21話 友達ができた。
それは朝のことだった。
「ともおちゃん、消しゴム持ってる? お母さん、消しゴム買ってきたから、よかったら使ってねっ」
「あ、ありがとう……」
朝、俺が学校に行こうとすると、玄関を出る前にうちの母が消しゴムをくれた。
俺が学校に行く直前で思い出して、慌てて消しゴムを持ってきてくれたみたいだった。
一応、俺も消しゴムは持っている。百均で買ったやつだ。
シャープペンの後ろの方の消しゴムを使ってもいいけど、あれはあんまり使いたくないという気持ちが働いてしまう。分かる人には分かると思う。
「それでね、その消しゴムは特別製なのよ!」
「……こ、これって……」
俺は母から受け取った消しゴムを見て、思わず目を見開いてしまった。
「私が今応援しているアイドルのグッズよ。いちごベリーストロベルちゃんたち仕様の消しゴムなの」
「い、いや、これは……」
そこにあったのは、デカデカとアイドルの顔がプリントされている消しゴムだった……。
いちごベリーストロベルちゃん。
新人アイドルで、今まであまり有名ではなかったのだが、最近になってテレビでもよく見るようになったアイドルである。
13人組のアイドルで、年齢は15〜20歳で結成されているらしい。
美少女ばかりで、現在、うちの母が応援しているアイドルでもある。
「ともおちゃんもこの前、一緒にライブ行ったもんね。楽しかったね」
「た、確かに、ライブには行ったけど……」
俺が学校に行っていなかった引きこもり期間中、ちょうどこの辺りでライブをしにきてくれたから、俺は母に連れられてライブを見に行ったのだ。
「ともおちゃんのお気に入りの、みるきーちゃんのグッズも、この前公式通販で買ったのよ!」
「い、いや、別に俺はお気に入りとかいないって……」
「またまた〜。こういうのは、恥ずかしがらずに、一途に応援してあげるのがいいと、お母さん思うな〜」
微笑みながら、俺の肩をつついてくる母。
ちなみに、みるきーちゃんというのは、見先きいなという本名の、おっちょこちょいの少女だ。
確かに可愛いかったとは思う。
さっき、母がくれた消しゴムにプリントアウトされているのも、そのきいなちゃんの顔だった。
でも……どうしよう、さすがに、これは学校じゃ使えない……。
「あ、あの、これ、大事に取っときたいから、学校では使わなくてもいいかな……?」
「うんっ。いいわよっ」
「いいんだ……」
「それに、そう言うと思って、じゃじゃーん。別のモノも用意していました〜」
「……予備があったのか……」
まさかの予備……。
別に、嫌なわけではないけど、単純に使いにくいから、学校には持っていけない。
こういうのは、飾ったり、プライベートで使うやつだと思う。
……と、そう思ったものの。
「あ……、こっちのはパッと見、普通の消しゴムだ」
「そう見えるでしょ? でも、実は、カバーをずらすと、じゃじゃーん。きいなちゃんの名前が書かれていましたー」
「こんなところにあったのか……」
ピンク色の消しゴムのカバーの下。
そこに、ピンク色の文字で、白い消しゴムに『きいな♡』と書かれてあった。
きいなちゃんの名前だ。
「これなら学校でも使えるでしょっ」
「た、確かに、使えるけど……」
「あのね、これは開封して、一週間で使い切ると、願いが叶う消しゴムなの。だから、これを使い切ったら、きいなちゃんと両思いになれるわよ」
「……そうなんだ」
でも、これなら本当に学校でも使えそうだ。
何より、母が期待するような目でこっちを見ているんだ。
俺がこの消しゴムを使うのを、望んでいる目だと思う。
母には俺が引きこもっていたこの一年で、色々苦労をかけてしまった。
だからなるべくその期待に応えたいと思ったのだ。
「分かった。使うよ。今日から使うから、ありがとう」
「よかった! じゃあ、ともおちゃん、行ってらっしゃい」
「い、行ってきます……」
その後、俺は母に別れを告げて、学校へと向かった。
今日で引きこもりから脱却して、二日目の学校だ。
そして、教室に辿り着き、授業が始まる。
今日の二時間目は、国語で、その国語の授業中のことだった。
俺が教科書を眺めていると、ふと、前の席に座っている女子生徒が、こっちを振り返っていた。
「あの、隠川くん……」
……どうしたのだろう。
彼女は前の席の冬下さんだ。フルネームは、冬下きいなさん。
「実は、消しゴムを忘れてしまいまして……」
……ああ、なるほど。
消しゴムを忘れたから、困ってるんだ。
「そっか……。あの、これどうぞ」
俺は彼女に消しゴムを渡した。
「ごめん! ありがと!」
冬下さんは俺の手をギュッと握ると、消しゴムを受け取って、笑顔でお礼を言ってくれた。
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私の名前は冬下きいな。
三年五組の生徒である。
……そんな私は、昨日からずっとドキドキしっぱなしだった。
だって! 私の後ろの席が、隠川くんの席なんだもん!
昨日から学校に来てくれるようになった隠川くん。
なんでも隠川くんは去年から学校をお休みしていたみたいで、この一年間ずっと学校に来ていなかったみたいだった。
噂では、この学校に来ていなかった一年の間に、隠川くんは留学をしていたという話をちらほらと聞いてしまった……。
なにそれ、とってもすごい! めっちゃ、頭のいい人だ!
私も受験生だし、勉強は頑張ってたけど、なんていうか後ろの席の隠川くんからは、只者ではないインテリの気配がする。
だって、とってもかっこいいもん! 色白で、美肌で、多分制服の下は細マッチョ! 私には分かる。隠川くん、絶対、細マッチョだよ!
あ〜、も〜、どうしよう!
隠川くんの細マッチョに抱きしめられたら、私、我慢できないよ〜。
そんなことを思いつつ、私はドキドキしながら、授業に集中することにした。今は国語だ。
そんな私は今日は消しゴムを忘れてしまったから、せっかくということで、後ろの席の隠川くんに消しゴムを貸してもらうことにした。
……話しかける時、とっても緊張した……。まずい、本当に隠川くん……かっこいい。
そんな隠川くんから、手渡しで消しゴムを貸してもらった私……。
隠川くん、ごめんなさい……。迷惑だったよね。でも、嫌な顔せずに消しゴムを貸してくれて、ありがとう。すぐに返すから、本当にごめんね。
「……あっ」
そして私は、貸してもらった消しゴムを見て、戦慄した。
こ、この消しゴム……新品だ……。
(は……はわわわわわわ……)
新品の消しゴムには角があり、どこも黒くなっていない純白の輝きを見せていた。
……こ、ここ、これ、使ってもいいの!?
おニューの消しゴムじゃないの!?
「か、隠川くん!」
「ん?」
私は慌てて後ろを振り向いた。
隠川くんは教科書に落としていた視線をこっちに向けて、私のことを真っ直ぐに見て、小首を傾げていた。
「〜〜〜〜っ」
あぁ〜、かっこいいし、かわいいなぁ〜、もぉ〜。
私は自分の顔が赤くなっていくのを感じた。
……って、そうじゃなくってっ。
「あ、あの! 隠川くん! こ、これ、本当に使ってもいいの?」
「え、あ、うん……。どうぞ?」
「あ、ありがとう……」
隠川くんは特に気にするでもなく、新品の消しゴムを使っていいと言ってくれた。
ーー優しい。
……だめだ。惚れた。
「〜〜〜〜〜っ」
私は、隠川くんの優しさに当てられてしまって、恋に落ちてしまった……。
だって、こんなの、……好きにならない方がおかしいと思う。
普通なら、新品の消しゴムを人に使われたら、ぶちぎれると思う。私ならそうだ。あれは……小学生の時のことだった……。
私は小学生の頃、シャープペンの後ろの部分の消しゴムをクラスの男子に使われて、ぶちキレた過去がある。あの時は、手さげ袋で、その男子をボコボコにしてやった。それはもう容赦無くボコボコにして、その男子が泣いて謝っても許さなかった。その結果、私は男子から消しゴムの番人と呼ばれるようになった。
そして私は男子が嫌いになった……。
そんな、悲しき過去を持つ私に、隠川くんは優しくしてくれた……。
私はようやく、あの時に失ってしまった人の心を取り戻せた気がした。
ありがとう……隠川くん。
「……すきっ」
私はそう思いつつも、罪悪感を感じながら、隠川くんの新品の消しゴムで、ノートを消した。
ノートの上で消しゴムの角が削れて、消しカスが生み出される。
ああ……新品だったのに……。
……しかし、この消しゴムのカスは取っておこう。
私、冬下きいなの思い出の宝物が生まれた瞬間だ。
隠川くんとの愛の結晶だ。
私、冬下きいなは、控えめに言っても可愛くない女の子だ。
顔に比べて、名前だけは可愛いと噂の女の子である。
なんでも、最近、テレビでよく見る新人のアイドル『いちごベリーストロベル』に私と同じ『きいな』って名前の子がいるらしく、確かなんだっけ……ああ、そうそう。みるきーちゃんだ。本名は『見先きいな』。
私の名前は冬下きいなだから、「きいな」という名前だけは同じだ。
それを見て、うちのお母さんが「あんたとこの子、同じきいなって名前なのに、雲泥の差ね〜」とか言っていた。
知ってるわ!
そんなの、私が、一番、知ってる!
お母さんの、無神経!
アイドルと、比べないで!
しかし……所詮、この世界は顔が全てなのだ。
全く、これだから面食いは……。私は面食いは嫌いだ。
やれやれ……。
こうなったら、後ろの席の隠川くんを、あとでじっくりと見て、このむかむかする気持ちを沈めよう。
イケメンな隠川くんを見て、この憎悪の気持ちを浄化しようと、心に誓った。決して、私が面食いというわけではない。
そんな私、冬下きいなは、隠川くんから借りた消しゴムを使い終えると、隠川くんに返すことにした。
「んっ?」
……その時だった。
お……?
隠川くんの消しゴムのカバーで隠れている部分に、何かが書いてあるのが分かった。
なんだろう……。
ハートマークが書いてあるよ?
私は不思議に思い、心の中で「勝手に見てごめんなさい」と謝りながら、隠川くんの消しゴムを見た。
ーーそして、ギョッとした。
「! こ、これは……!」
『きいな♡』
「……ぃ!? わ、私の名前ッ!?」
「「「「!?」」」」」
私は思わず、ギクっと背筋が伸びすぎるほどに伸ばした。いきなり背筋を伸ばしたからだろう、周りに座っているクラスの人たちが、びっくりしたようにこっちを見ていた。
でも、待って、待って! なんで! え”!
隠川くんの消しゴムに、私の名前が書いてあるよ!
『きいな♡』って、書いてあるよ!
アイドルと同じ名前の私の『きいな♡』って名前が書いてあるよ!
こ、これって! もしかして!
(きゃ〜〜! きゃ〜〜! きゃ〜〜〜!)
頭が沸騰しそうだった。だって、これって、隠川くん! 新品の消しゴムに、私の名前を書いてくれたってことでしょぉ〜!
それって、もう確定じゃん! 隠川くん、私のこと、好きだったの!?
消しゴムに私の名前を書くぐらい、私のこと、気になってるの!?
え、なんで、なんで!?
(きゃ〜〜〜!)
私は消しゴムをギュッと両手で握りしめた。
……信じられない、嬉しいっ、嬉しいっ。
も、もう……っ。隠川くんはしょうがないんだからっ。
……いいわ、分かった。
そっちがその気なら、こっちにも考えがあるわ。
私はぎゅっと消しゴムを握りしめると、覚悟を決めるのだった。
* * * * * *
そして、二時間目の授業が終わった後。
「あ、あのっ、隠川くん……友達からで、お願いしますっ!」
「ん?」
前の席の、冬下さんがもじもじしながら、友達になってくれると言ってくれた。
……とりあえず……。
「よ、よろしく」
「うんっ」
こうして俺に初めての友達ができたのだった。




