魔狩人追放署名運動
悪夢から一夜。
シェイン王国勇者訓練校では、編入してきた魔狩人の話題で持ちきりだった。何せ訓練グラウンドに空いた、塹壕の様な削り穴に、教官1名、見習い2名による死闘。
その決着は、冠持ちの勇者と魔狩人が、お茶会を持って和解し、失態により警備兵一名に死罪が言い渡された。
この話をもしも、その日休んでいたり医療棟にて治療を受けていた勇者見習いが居たならば『おまえは何を言っているんだ?』と、気でも狂ったかと疑われかねない話である。
しかしてそれは事実であり、現実である事を、勇者訓練校に通う生徒達はしかと認識したのである。
訓練校の生徒達は、敷地内の寮に部屋を与えられて寝食、勉学を共にしている。そして時には訓練として、魔物討伐の補助や補佐に出動する事もあった。
「よぉレン……今日サボらねぇ?クッソ怖いんだけど?」
「駄目だよリッド、行くんだ、サボるのは駄目」
「昨日の戦闘で休暇手当出ないかな、あー、肩痛くなって来た」
翌朝、レン・ガーランドとリッド・モンディルスは寮の部屋にて、鞄の中身と魔導機を確認しながら話をしていた。
「つーかレン、もうあんな事やめてくれ、勢いで出たのは自分だけどよ、お前命捨てる行動多い」
「善処するよ……で?」
「あ?」
「肩、やっぱり痛むの?真上に吹っ飛んだし」
「いや、まぁ……大丈夫」
リッドの休暇手当云々に、レンはリッドの肩が本当に痛むのかと尋ねた。魔狩人と真正面から拳がぶつかり、それに押し負け遠心力で振り回されて吹っ飛んだのだ。下手したら肩が外れてもおかしくなかった腕の衝撃だった。
よく、生きてたものだな、僕達。そうして教材類をしっかり確認して、入れ忘れは無いか確認して、そうしてリッドが、あっ、と思い出した。
「レン、登校したら支給棟寄ろうぜ、エーテル剤補給しよう」
「そうだね、一本使ったし……昨日の事だから支給してもらえるよね」
昨日の魔狩人との戦闘で、使ったエーテル剤を補充しなければと、レンはリッドの話に頷いた。これから、本当にあの化け物じみた魔狩人と生活が始まるのか。クラスの半分がまた減るかもしれないと、呼気から魂が抜けそうな程に心配して、レンは左腰に魔導機、右手に鞄を抱えて寮の自室から出る事にした。
「署名お願いします!これは勇者訓練校の、いや!シェイン王国の危機です!!」
「署名お願いしまーす!」
レンとリッドは、寮よりしばらく歩いた学舎棟の、正門を前にして、目を見開いていた。見た顔の子達や、今年卒業して勇者となる第83代訓練生となる先輩方までそこに居て、羊皮紙と羽ペンを拡げていたのだ。
看板を持つ子も居て、そこには。
『魔狩人の戦力確保における、転入取り消し願い署名運動』
『由緒正しき勇者の学舎を汚させるな』
『徹底抗戦!!』
『畜生は森に帰れ!!』
と掲げられている。
つまり、あの魔狩人が勇者訓練校で学ぶ事を良しとしない子達による、反対署名運動だ。殆どの生徒が校舎に入る前に羊皮紙に名前を刻み込んでいる。
「昨日の今日でこれだぜ?やっぱ無理なんだよ、魔狩人と勇者が並び立つなんざ」
「王の勅命でも、署名あれば話聞いてくれるんだっけ?」
国王の言葉だが、勇者見習いが署名運動している異例の事態まで発展している。無理もなかろう、忌み嫌われ、魔物や野の獣と同じ扱いを受けている魔狩人を、都市に招き入れるだけで無く、学舎に招致など気が狂っているとしか思えない。
レンも、リッドも同じであった。あったが……その招致したクラスかつ、対峙したという経験から、これを見た魔狩人が、屍山血河を築き上げる幻影を見てしまうのだった。
「あれ、あそこに居るのメルディじゃね?」
「あぁー……本当だ、大丈夫かな、彼女」
その署名運動の中には、レンと同じクラスの女子、メルディが居たのだ。昨日あまりの事態に泡を吐き、担架で運ばれた勇者見習いの女の子である。レンとリッドは、同じクラスで昨日の事もあり、声を掛ける事にした。
「メルディちゃん、おはよう」
「署名を、あ!レン様!おはようございます!!」
「あーはは、様付けしないでよ、メルディちゃん」
様をつけられ苦笑いするレン、リッドは始まったかと右上を見て目を逸らした。
メルディ・ナルシムーネ。彼女の実年齢は、レン、リッドと二つ下の14歳である。しかし、彼女の魔法の素養の高さと、魔導機との適合率の高さにより、飛び級して教育を受けていたのだ。即ち才女である、小さな身長はまだまだ伸びるだろうし、尖った耳がエルフの先祖返りを思わせる。
そんなメルディは、レンにあからさまな尊敬と好意を向けていた。
「いいえ、レン様はいずれ冠名を持つ方、そんな貴方を気安くお呼びできません!」
「まぁお前、第一クラスで魔物の撃破スコア筆頭だからな」
それには理由があった。レン・ガーランドは第84代勇者訓練生、第一クラスにて勇者見習いながら、現在魔物の撃破スコアでトップを叩き出していたのだ。
勇者見習いではあるが、郊外のまだ危険度が比較的に低い魔物を駆除する為に、勇者見習いが駆り出される事があり、レンは積極的に参加していた為、それが積み重なってのスコアである。
「ま、まぁ、出動に参加してれば数だけはね、ほら、結局まだ強い魔物は倒せないし」
どうどうと、メルディを落ち着かせるレン。しかしその眼差しはまぁなんとも、英雄を見つめる子供の煌めきだった。数では無いのだ、魔物の強さもあるのだと説明するが、そんなメルディは、はっ!と思い出して羊皮紙を取り出した。
「それはそうと、レン様もご署名を!あの魔狩人を追い出す為に協力してください!あ、リッドもはい、書きなさいよ」
「へいへい、この扱いの差よ、レンも書こうぜ」
羊皮紙に、羽ペンが手渡される。リッドはぞんざいにされながらも、賛成の為かさらさら羽ペンを走らせ始めた。レンも、断る理由は無いので、さっさと羽ペンを走らせる。
「あ、ごめん羽ペン貸してくれる?僕も書くからさ」
「はいどうぞ」
ここでレンは右隣に誰か署名しようとして、羽ペンを借りたいと言った子が居たので、書き終わった羽ペンを手渡した。昨日の魔狩人の少年が、勇者訓練校の白い制服を身に纏って羊皮紙を眺めていた。
「どうも、ここに名前書けばいいの?」
魔狩人の少年は話を聞くや、書く場所を訪ねて来た。
「そうそう、ここにね」
だから、レンは優しく指差して教える。
「何の署名?」
「それは、君の編入を快く思わない人達の、編入……取り消しのーー」
と、言い切ろうてして、レンがやっと気付いた。その魔狩人の少年ユートが、件の少年が、羊皮紙を眺めて、看板を見て、そしてこの署名運動をしていた勇者見習い達が、ようやっと気付いたのだ。
『『『『『わぁぁああああああああ!!?』』』』』
皆が驚き、一気に離れた。リッドも、メルディめ離れてユートの周囲を囲む様に円が出来上がる。そしてレンは……動けなかった、レンは確実に、死を覚悟したのである。
「ふぅん、君たち、僕に文句があるんだ……一応、君たちの国の王様から、通っていいよって言われて、こうして服まで頂いたんだけどなぁ」
昨日は深緑のジャケットを着ていたから分からなかったが、白き制服に身を包むユートは、似合う?と聞くかの様に両手を広げた。
しかし、着こなしが異様だった。上着の白制服のボタンを全て外して羽織る形にして、下のシャツを晒している、そのシャツも上三つは外して首から胸の辺りを晒していた。
ちなみに、この上着のボタンや留め具を外しておくという着こなしは『ローマリアンスタイル』という、ロマルナの民草の学生がしている着こなしであり、シェインでは好まれていない。シェイン王国ではむしろ、しっかりとした着こなしを重視している傾向がある。
「どう?似合ってる?レン・ガーランド」
「え!?あ、な、なぜ名前を?」
「同じクラスの人の名前は、皆昨日覚えた、それに殺しに来た相手だからね、そちらの人がリッド・モンディルス、君が……メルディ・ナルシムーネだね」
リッド、メルディと指差すユート、最早それは、死の宣告と思う程に恐ろしい。次はお前だ、その次は貴様から殺すと、順番と人数を指し示している様だ。
しかもだ『名前を覚えた』とまで言い出したのだ、貴様の顔と名は覚えた、覚悟しろという事か!?どこへ逃げようとぶっ殺してやると言う意味なのかと、リッドは指差されて震えた。
下がった中で、すぐさまキッと目つきを変えたのはメルディだった。校門の壁に立てかけていた、杖型魔導機を持ち、エーテル剤を装填するや、先端をユートに向けたのである。
「こ、この野蛮な魔狩人!私が相手になってやるわ!!」
「よ、よせメルディ!レンに当たる!!」
メルディは少々ヒステリックで周りが見えなくなる事が多い、既に装填されたエーテル剤がカートリッジにより記憶された失われた魔法の発動を可能にしている、逃げ損じてユートの隣に居るレンを見て、リッドが待ったをかけたがもう遅かった。
「フレイムランス!発射ぁ!!」
「馬鹿ぁあああ!?」
ユートとレンに向けて、杭の如き火の弾丸が放たれた。レンは動けず、ユートはその火の弾丸を見るや。
「退いた」
「わっ!?」
レンを突き飛ばして、そのまま火の弾丸に右手を伸ばしたのだった。尻餅をつくレンの傍では、信じられない光景が起こっていた。
「嘘でしょ!?」
「真正面から」
「掴んでる!!」
署名運動に参加していた訓練生達も、何より魔法を放ったメルディも驚かざるをえなかった。火魔法、フレイムランス、固定化された槍の如き火炎を射出し、刺さった相手を内部から焼き殺す恐ろしい魔法を、真正面から右手に掴んでいるのだ。
「おほっ、熱いな、ほっ!はっ!」
そしてその炎を、左手右手と持ち替え、熱い熱いと弄ぶ。まるで出来立て熱々カップケーキに四苦八苦する様に。
「いよいしょっ!はぁっ!」
そのまま左へ、右へ、本当の槍の様に見立てて回して、脇に挟んでポーズを決めると、フレイムランスは霧散した。
「わ、私の魔法が、こんな」
自分が放つ魔法が、玩具の様に弄ばれた。その衝撃は計り知れないだろう。避けられたならまだ良かった、効かないならまだ諦めれた、しかし弄ばれたという事実にメルディは体を震わせた。
「しっかし……弱い炎だね、この程度で魔物を焼き殺せるわけ?あ、小型なら十分か……」
パンパンと両手を叩くユートが、杖を構えたメルディをそう言って睨みつけた。
「ヒィイっ!」
その一睨みで、メルディの腰が抜けて、膝をワナつかせ、崩れ落ちる。そして……彼女の腰元から水溜りが湯気立ち広がった。そんなユートが、看板やら署名された羊皮紙の山にふと目が行くと、ニンマリと笑った。
「せっかくだから、お手本を見せてあげよう」
そう言ったユートが、左手をゆっくり前に伸ばすや、メルディが、そして傍に尻餅をついたレンは見た。
極彩色の瑠璃色の虹彩が変色し、唐紅に染まる。そうして親指と中指を擦り合わせ。
「グアブラスト」
パチンと指を鳴らした瞬間、豪ッッツ!と熱風が吹き荒れて署名が刻まれた羊皮紙の山を包み込む火柱が上がり、周囲の訓練生を熱風で吹き飛ばしたのである。
火柱が上がったのは一瞬、ただその一瞬で看板も、署名も、何よりメルディの腰元の水たまりも蒸発したのであった。そしてその地面には、炭化した跡だけが残り、校門にも燃えた跡たるススが付着していたのだった。
「じゃ、今日からよろしくね、メルディ」
膝をついたメルディの肩を、ぽんぽんと叩いて、ユートは校門をくぐった。
署名運動の訓練生達も、リッドも、何よりメルディも、最早何も言えずただ固まるしか無かった。
レンは、立ち上がりながら、遠のく背中を見て、先程自分をメルディの魔法から突き放したユートを思い出すも、この惨状をどうすればいいのかと困惑するしかなかった。