レンの矜持
中庭にて相対する両者、84代訓練生筆頭ジルパ・アッシュラウド。そして、魔狩人のユート。
この戦いが中庭で始まるや否や、通りかかった生徒達が、何事かと覗き、それが筆頭のジルパの戦いと見るや、訓練生達はこぞって集まりだした。
「なぁ、風魔法より早いな、噂ってのは」
「まだ数分経ってないよ」
ぽつん、と中庭にてレンとリッドが体育座りで、仲良く横並びで、ユートとジルパの睨み合いを見ていた。が、これは駄目だとレンは、ジルパに声を上げた。
「ジルパー、勇者同士の決闘や私闘は禁じられてるぞー、ユートも喧嘩買わないでくれー、ほんと、胃薬を町で処方してもらう事になるからー」
ジルパは恐らく、ユートの力を知らないだろう。多分昨日討伐に赴いていたから、それを知らないからこんな事ができるのだ。そしてユートには、俺の胃が荒れるから喧嘩やめて欲しいと願う事にした。
「ふんっ!レンよ、これは決闘ではない!私闘でも無いわ!」
そう強気に言い放つジルパが、取り巻き達が三人がかりで引きずる剣型魔導機を受け取り、片手で振り回してユートに突きつける。
「躾よ、物を知らん野の獣に、人の常識を叩き込むのだ!」
「だってさー、レン、僕躾けられるんだってー、喧嘩や決闘じゃないんだってさー」
交渉決裂!!入る余地無し!!レンはガックリ肩を落として、リッドの横に戻り体育座りをするのだった。
「もう知らん」
「いーだろ別に、何なら賭けるか?」
「成立しないだろうが」
リッドに肩を叩かれ、もう知らないと監視を放棄したレン。そうしている間に、ジルパは笑いながら宣いだした。
「そこな二人と教官を追い詰めたと聞いたが、何を使うか知らんが俺には通じんぞ畜生よ!本当の勇者の実力、刻み込んでしかと哭き喚くがいい!」
エーテル剤を刀身の窪みに装填するジルパ、刀身が赤熱し輝き始める。
ジルパ・アッシュラウド。第84代勇者訓練生筆頭、その血統の中には『竜人』の力が色濃く表れており、勇者の中でも膂力と、火魔法に特化した勇者である。その力は現世代トップクラスとされ、傍らにて見ているレンや、リッドも、その実力と力の差には頷いて認めるしかなかった。
「さぁ!喰らえ!!竜のーー」
ーーその場で見ていた見習い勇者、R・Gの証言ーー
はい、もう一撃でした。ジルパが剣を振り下ろす前に、こう、右の一撃で。
なんていうんですかね、こう、潰れたというか。そんな音がしたんですよね。
でね、頭から地面に叩きつけられて、バウンドしたんですよ、ジルパの身体が。
あれ、馬車に轢かれたとかじゃないなって。
勉強になりましたよ。人間って、バウンドするんだなぁって。
一瞬であった。
決着はたった一瞬。
ジルパが剣を上段に構えた刹那、その視界に見えたのは拳。右の拳が、鼻柱にめり込み、鼻骨周辺、上顎部の骨を粉砕。その拳に振り抜かれたまま、地面に後頭部をぶつけて、足が宙に投げ出され、それでもまだ勢い死なずにジルパの身体が宙を舞った。
観客となった訓練生達も、ジルパの取り巻き達も、そして体育座りしていたレンとリッドも、宙を舞うジルパを唖然として見るしかなかった。
「よく生きてたよな、俺たち」
「だね、リッド」
昨日を生き抜いて、今ここにいる僕たちは誇っていいなと、リッドとレンは互いに頷いた。
そうしてたっぷりの時間、宙を舞ったジルパが、背中から地面に叩きつけられれと同時に、ジルパの剣型魔導機も地面に突き刺さったのだった。
観客達は、期待していた。現世代最強ジルパ・アッシュラウドが、魔狩人の獣を倒してくれるかもと、教官でも駄目だった、冠持ちの勇者は和解した、だがこの、誇り高き才能の塊ならばと。
「ぴぃぃい!ひげ!ぎぎげぇえええ!!」
そんな我らが希望が、上の歯を全て砕かれ、鼻を潰され、涙を流してパニックに陥っている!拳の形に鼻骨周辺、上顎部が凹んで変形し、下顎だけが前に出ている様に、観客の何人かは口を押さえた。
対して、魔狩人の獣は……ギラリと、冷たくジルパを見つめていた。振り下ろした右手に食い込む、砕けた歯、それに力を込めて肉圧だけで抜き放ち、ゆっくりてジルパの元へ歩み寄り始めた。
「躾って、言ったよね?勇者様?」
「へぎぃ!はふ、はふけへ、はふ!こりょは、こりょはりりゅ!!」
「つまりだ、これは喧嘩でも決闘でもない、それで死んでも無駄死にでさぁ、文句は言わない覚悟を持って来たんだよねぇ?」
這いながら、必死に逃げるジルパに、ユートが追いついた。
「逆になっても、文句はないよねぇ……つまりだ、これは野の獣が獲物を喰らうのと同じ、事故ってわけさ」
そして、ユートの虹彩が、瑠璃色から金糸雀色に染まるや、右腕前腕から黄色に輝く刃が具現化する。
「これは決闘でも、私闘でもない、蹂躙だ」
そして構わず、横に振り抜いた。ジルパの膝から下が、抵抗の一切もなく切り離されたのだ。
「えがぎゃあぁああああああ!!」
両足の膝から下を切り離され、叫びを上げる84代筆頭!我らが才覚の頂点が!勇者の才能が!まるで野の花を悪気なく摘む童女の如く蹂躙されている!
「お、おい!誰か止めろよ!マジでジルパが殺されちまう!!」
「教官呼んでこい!いや、冠持ち様を呼べ!」
「間にあわねぇよ!だれか、誰かジルパを助けろって!」
「あなたが行きなさいよ!」
「俺に死ねってか!?」
取り巻き達も、観客も、誰も手を出せない!もし手を出したら、次は自分が死ぬのが見えているからだ!だから、助けるふりなりするしか、見放すしか無い!
「さぁ、ぶちまけろやぁああ!!」
ユートの黄色き刃が、ジルパに振り下ろされる刹那、ユートの身体が横に吹き飛び、悲劇は回避された。
「やめろ!ユート、やめるんだ!」
飛び込んできたのは、レンであった。レンが思い切り体当たりをして、ユートを突き放したのである。そのまま剣型魔導機を構えて、倒れ伏し痙攣しながら、血を噴き出すジルパの前に立ち、声を上げた。
「ジルパをすぐ医療棟へ!治癒を専攻している教官と訓練生を集めて!!早くしないと死ぬぞ!早く!!」
レンの一喝が、取り巻き達や野次馬を我に帰らせた。それからは早かった、取り巻き達がジルパを抱えて、太ももを縛り上げながら断面を包み、素早く走り出した。膝から下も回収して、医療棟に一目散に走ったのだった。
地面に倒れたユートが、ゆっくり起き上がる、そしてギラリとレンを睨みつけた。
これだ、吐きそうなほど怖い、いや昨日吐いた。殺意がしっかり分かってしまう。レンは体から一気に体温が消え去るのを感じた。心音が身体中に響き渡る、毛先まで凍りつく殺気に、レンの剣を握る指が固まった。
傍に居たリッドは、いよいよ死んだやもしれんと口元を押さえ、傍観する他なかった。
「邪魔するなよレン、レンもあいつを、嫌な奴見る目をしたじゃん、このまま放っておいたら居なくなったろうに」
甘言がレンの耳に纏わりつく、確かに思った。微かにだが、あぁ、ジルパ痛い目にあうなと、期待していた。だから、止める振りはした。あくまで喧嘩を売ったのはジルパだ、そしてこの喧嘩で、ジルパが無様を晒しても泣き寝入りしかない。
『勇者訓練生が、魔狩人に負けた』
実力差はある、しかし、言い訳としてもこれは決して言えない。民草を守る勇者が、畜生と同じ存在に負けたなど口が裂けても言えないだろう。
いい気味だ、この瞬間でもう、ジルパの尊厳は多大なる傷を負った。
だが、死んでいいなんて、思ってはいけない。
「そうだな、それも……少しよぎったさ」
「なら何で?」
「それはーー」
それを超えたら、自分は。
「僕は、勇者だからだ」
自分が勇者ではなくなってしまうからだ。
「嫌なやつだっている、憎い奴もいる……だからって、それだけで、見捨てては駄目だ、分けてはダメなんだ、勇者は……勇者は、目の前で脅威に蹂躙される様を見逃してはならないんだ」
そう、レンはユートに宣った。それが勇者たる自分が、決して曲げるわけにはいかない道理なのだと、冷たい指先に力を込めて剣を下ろさない。
それを聞いたユートは、ニンマリと笑って、黄色の刃を霧散させる。金糸雀色の虹彩も、瑠璃色に戻っていく。ふう、と一息を吐いてユートはレンに言った。
「分かった、分かったよレン、もうやめるからさ、剣を納めてくれ」
それを聞いても、レンはユートをキッと睨みつけて剣を下ろさない。警戒しているのだ、下ろした瞬間、隙ありとばかりに襲ってこないかを。
「信じてくれないか、レン?」
それは悲しいなとユートが少しばかり顔を顰めた所で、レンの指が解けて剣を地に落とし、膝から崩れ落ちた。
「……キミは本当に強いね、レン」
立ったまま、クスクス笑うユートに、息も絶え絶えに崩れたレン。しかして、まだ残っていた野次馬達からして、この光景はーー。
「レンが、レンが魔狩人を戦わずに降伏させたぞ!」
「なんてこった、ジルパが手も足も出なかったのに、手も足も出さずに勝ちやがった!」
「レンくん凄いわ!」
周囲から、レンのコールが巻き上がり、本人は何だどうしたと辺りを見回した。
この日、訓練校に新たな伝説が生まれた。
筆頭訓練生も、教官も、全く歯牙にかけなかった魔狩人を、手も足も出さずに降伏させた男、レン・ガーランド。彼はしばらく校内を賑わせ、見直した人、ファンになった人が増えたという。