第一章③ ファーストコンタクト
「うちのクラスは皆良い奴ばっかりだから、きっと温かく受け入れてくれるさ。だからキミは昼休みの質問攻めに備えて回答を用意することだけを考えておけばいい」
――――と柳生に肩をパシパシ叩かれながら告げられたのがつい三分前のこと。
転校初日の自己紹介を前に緊張する護国寺に対してかけた言葉は、恐らく柳生なりの気遣いだったのだろうが、どちらにせよ嘘はいけないと思う。
教壇の前に立ち、自己紹介を求められた護国寺は冷や汗を掻きながら、どこか楽観視していた過去の自分を恨んでいた。
(とても歓迎ムードには思えないんだけど……!)
二年一組(といっても一クラスしかないのだが)は十人ちょっとしかおらず、過疎地域の学校を連想させる。普通なら廃校待ったなしだが、未だに存続しているのは数少ない学生ゲンレイの受け皿だからだろう。
彼に注がれる眼差しに多少の関心はあれ、総じて警戒心が宿っている。「あれが噂の……」などと囁かれ、ちょっとした針のむしろ状態である。
ええいこんな所さっさと降りてやる! と護国寺は意を決して口を開いた。
「きょ、今日からお世話になる護国寺直斗ですっ! 言霊がどういうものなのか、まだ右も左も分からぬ現状ですので、学校生活含め色々教えてくれると嬉しいです!」
教壇から降りて用意された自分の席へと座ろうと思った矢先、ふと立ち止まり教室内を見渡す。
学園ラブコメにありがちな、「せんせーい! ここの席空いてまーす!」と美少女が助け船を出してくれる、なんて今時有り得ないイベントだ。決まって転校生が来る前に席は用意されているし、今回もそうだと護国寺は踏んでいた。
――だが。
(空席が一つもない、だと……っ!?)
十人程度しかいないのに空席の有無を見間違うはずがない。となると最初から用意されていなかったことになる。訴えかける眼で窓際に立つ柳生に視線を送る。
ややあって柳生は護国寺が何を言わんとしているのか察し、その結果両手をパン! と合わせた。
「すまん! 机持ってくるの忘れてた! 今から取って来るからそれまで親睦深めといて!」
「え、ちょっ。親睦深めといてってせんせーい!?」
しゅばっと走り去った柳生先生。教師自ら廊下を走るとは斬新だ。
残された護国寺は腰を落ち着ける場所もなく、気を休めることもできず、ただ茫然と立ち尽くしているしかない。柳生が机を持ってくるまでの間が永遠のように感じられた。
「――――ねえ」
不意に背中から声が飛んできた。慌てて振り返ると、容姿的な意味で教室でも目立っていた美少女が微かに敵意を滲ませながら歩み寄ってきた。
「私、宝島乙姫。で、さ……護国寺くん。ちょっと聞きたいことあるんだけど」
宝島乙姫と名乗った彼女は今時の女子高生らしいファッションをしていた。腰に届きそうな、黒く、長い髪が特徴的で見事にブラウスを着こなしている。やや吊り目気味の双眸は宝石のように煌びやかで、高めの鼻に小さな唇は極めて整った目鼻立ちと言える。
これで敵意さえ見えなければうっかり一目惚れしていたかもしれない。そもそもファーストコンタクトから嫌われてるってどういうことだよ。
「……ねえ護国寺くん聞いてる? さっきから上の空だけど」
「あ、はい。聞いてなかったス。すみません!」
「あのさぁ……喧嘩売ってるの?」
「とんでもないッス!」
やたら喧嘩腰の宝島。美しい見た目とは裏腹にスケバン気質があるらしい。
はあ、と宝島にこれ見よがしにため息を吐かれ、先ほどよりも声量を大きくして言った。
「もう一度聞くけど、護国寺くんはいったいここへ何しに来たの?」
「何しにって……」
柳生から『このコトノハ高校は言霊の使い方を学ぶ場所』と聞き、制御不能である自身の言霊をコントロールする術を学ぶために転校を決意した。
だからこの場合だと「勉強をするため」と答えるべきか。そう答えるよりも早く、宝島がひらひらと手を振って、
「まあそれはどうでもよくて、私が言いたいのは大人しくしておきなさいってこと。『下』の高校では随分と暴れたみたいだけど、ここで同じことをすればどうなっても知らないから」
「……っ!」
自分の悪行はいずれ打ち明けなければと覚悟していたが、もう既に広まっているとは思っても見なかった。なるほど、道理でクラスメイトから危険視されていたわけだ。
宝島の発言には忠告の意図と、蔑みの感情が内包されているようだった。一般人に手を出したことに軽蔑しているのだろう。仕方ないことだ。前科者は生きづらくなるのはどの世界でも同じだ。
彼女はなおも続けて、
「いい? ここには『竹』ランクの生徒が大勢いるの。あなたがどんな言霊を持っていて、どれほど危険なのかは知らないけど、校内で暴れたら次に怪我するのはあなたの方よ」
それでも注意してくれるということは少なからず心配しているということ。ちょっとだけ有り難い気持ちになる。
護国寺が彼女の剣幕に気圧されて何も言えないでいると、颯爽と一人の生徒が立ち上がり横槍を入れてきた。
「まあまあまあまあ! せっかくクラスメイトになったんだから、もうちょい仲良くしよーぜ? それにほら! 暴行犯だって言うからどんな凶悪そうな奴が来るのかと思いきや、ふつーのもやしっ子じゃん! 全然危なそうじゃないって!」
「もやしっ子……」
護国寺は自分の二の腕をぷにぷにと触る。そりゃあ確かに細身だけど、そこそこ筋肉質だという自負がある彼は地味にダメージを負っていた。
とはいえ味方をしてくれるのは助かる。名前も知らぬ男子生徒に内心で頭を下げる。これで宝島の追及も収まるかに思えたが、彼女はさらに捲くし立てた。
「甘い甘い。『私は悪人でござる』みたいな恰好してる悪人なんてこの世にはいないの。いたとしたらそれは単なる馬鹿よ。本当の悪人は悪に見えないものなの!」
「ぐぬぬ一理ある……!」
いやすぐに押し負けんなよ! 宝島に反論できず一歩後ずさる男子生徒に心の中でエールを送る。どうも護国寺は彼女のような気の強い女子は苦手だった。
再度宝島による尋問が始まる、と身を固くした直後、教室の扉が音を立てて勢いよく開け放たれた。
「いやあすまん! 机と椅子持ってきたぞ! 階段の昇り降りが辛いのなんのって……」
「柳生先生! 僕は一番後ろの席でいいのでさっさと今日の授業を始めましょう!」
自らの腰を労わる柳生から机を受け取り、それを一番後ろの窓際へと配置する。
柳生の介入のおかげで一旦話を途切れさせることができた。これこそ助け船と呼ぶにふさわしい。宝島の方を恐る恐る見やると、まだ聞き足りないことがあるらしく訝しむような彼女の視線とかち合った。反射的に目を逸らす。怖い。
何はともあれこれでようやく二年一組に腰を下ろすことができる。護国寺は神妙な面持ちになって椅子へと腰かけた。
「……あの、先生」
そこで彼は致命的な問題に気付く。
名指しで声をかけられた柳生は「なんだ?」と首を傾げた。
「この机と椅子……サイズが合ってないです」
「あっ」
椅子は高く、机の位置が低いという組み合わせの結果、護国寺の脚が机の下に入り切らないという事態に陥らせてしまったのだ。
……どうやらこのクラスに定住するまで、今しばらく時間がかかりそうだ。
直後、柳生は再び机の運搬を行う羽目となった。
その間宝島による詰問が続いたのは想像に難くない。