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第二章⑨ 本当の悪人は

 ――――三時間後。


「まさか収穫がほぼゼロに終わるとは……」


 商店街まで戻ってきた護国寺は疲れもあって落胆を隠せなかった。


 あの後意気揚々と捜査を始めたのはいいが、全然思うような進展を見せることはついぞなかった。

 入院しているという『無気力病』患者のもとを訪ね、偶然居合わせた家族や看護師に話を聞いてみても、「怪しい人なんて見なかった」とオウム返しのように突き付けられるばかり。現実はドラマのように都合よく有意義な情報がポンポン出てこないことを知った。


 宝島もいつになく肩を落としているようだった。それもそのはず、今回の事件に最もやる気を見せていたのが彼女自身だからである。空回りに終わったと感じているのだろう。


(正直なところ、これを毎日続けたとしても何か見つけられるとは思えないな……)


 負のサイクルに入ったときのように、明るい未来を想像できず悪い方悪い方へとつい考えてしまう。

 ともかく宝島までへこたれていては決まりが悪い。何とか励まそうと彼女の肩に触れようとしたところで、


「……ねえ。さっきの話の中で、気になったことはなかった?」


 いつの間にか宝島は顎に手を添えて、深く考え込む姿勢を取っていた。

 気になっていたこと――確かにある。それは被害者の住んでいた周辺の聞き込みを行っていたときのもの。大して気にも留めていなかったけれど、切り捨てるのは躊躇われていた情報。


 彼女の抱いていた違和感と同一のものだと不思議と確信できた。


「……聞いた話の中に、『無気力病』に罹った女性の一家が消失したって話があったよな?」

「その患者の夫が『空気の良い所でゆっくりと療養させようと思う』って打ち明けてたらしいから、てっきり引っ越したものだとばかり考えていたけど……」

「もしかしたらその一家に、黒幕の介入があったかもしれない……。そうたとえば、知ってはならないことを知ってしまったとか」


 要するに口封じである。顔を見られたのか、重要な話を聞かれてしまったのか。いずれにせよ突破口は今のところそれしか見当たらない。

 二人は顔を見合わせて頷く。


「明日はその家族の行方を洗いましょう。その後を確認できたならそれはそれで安心だし、もし行方不明となれば重点的に調査すればいい」

「それと同じようなケースが他にないかも調べる必要があるな。これだけ大規模な攻撃なんだ、他にも口封じされた関係者がいるかもしれない」

「あら、今日一日で随分と刑事っぽくなったものね」

「これも全て先輩のご指導ご鞭撻の賜物でありますっ!」


 ピシ、と敬礼の仕草を取っておどけてみせる護国寺。宝島はそんな彼を見て表情を綻ばせた。

 先ほどまでの閉塞感が嘘のように晴れやかな気分だった。一人だとどう進めばいいのかすら定まらなかっただろうから、やはり隣に誰かがいるという安心感は凄まじい。


 明日への希望を確かに抱いて、二人は学生寮へと戻るべく身を翻した。



「そうだ、今日の報告ってどうするんだ? やっぱり何かレポートにまとめて提出するのか?」

「あー、そのチームの誰か一人が出せばいいって話だから、多分葦原先輩が提出するんじゃないかな?」

「……あの人が? 本当かなぁ」

「大丈夫だって。言ったでしょ? 葦原先輩は出世欲が強い人だから、こういう報告を万一怠って心象悪くしたくないって思うはずよ」

「というか、連絡一つ入れれば済む話だよなこれ……」

「私は嫌よ。嫌われていると分かってるのに電話なんてかけたくないもの」

「それは暗に俺にかけろと言ってるのか? ムリムリ! 俺誰かに冷たくされると極度に死にたくなる人だから!」

「メンタル弱っ!」



 ぎゃあぎゃあ騒ぎながら歩いていると、不意に真正面から影がヌッと伸びてきた。あまり前方に注意を払っていなかった護国寺は慌てて止まり、その人影の顔を見つめる。

 目の前の青年の身長は護国寺よりも少し高い一七〇センチ半ばほどで、黒のマウンテンハットをやや浅めに被っている。柔和な笑みが咄嗟の警戒心を和らげ、落ち着いた振る舞いには安心感があった。


 ――何より特徴的なのは、その青年が右腕を失った隻腕であるということだった。


「あっ、すみません。前方不注意でしたっ」

「ああいや、いいんだよ。こちらこそせっかくの彼女さんとのデートに水を差して申し訳ないと思っているんだから」

「やーですよ、別に彼氏じゃありませんって。ねえナオトくん?」

「……、」


 和やかそうに話している二人とは打って変わって、護国寺は一人沈黙を貫いていた。どころか一歩後ずさりする。

 その不穏な反応に宝島も首を傾げる。一方突如現れた青年は困り顔ながらも笑みを絶やさない。


「おっと、どうやら警戒されてしまったようだね。うん、初対面の人を頭ごなしに信用するのは危険なことだ。その危機感は大事にした方がいいよ」

「……どうも」


 無愛想な返事をする護国寺。しかし彼の背中は冷や汗でびっしょりと濡れていた。


(なんだこの人……! 表面上はとても明るいはずなのに、どことなく不気味さが滲み出ている……っ。邪悪な怪物を腹の底で飼い慣らしているようだ!)


 言葉で表現するのは難しいものの、護国寺は直感的にそう読み取っていた。

 本来は宝島のように好意的に接するのが当たり前なのだろう。勝手に警戒している護国寺が異端なのだ。だから無理に青年と引き離すことはできない。


 そうだ、と青年が帽子を被り直して、


「こうしてキミたちに声をかけたのには理由があったんだ。それをすっかり忘れていたよ」

「理由……ですか?」

「そう。キミたち――『無気力病』について調べているのかい?」


 びくり、と宝島の肩が微かに震えた。何故それを、と思ったのか怪訝な顔付きになる。

 すると青年が左手をいやいやと振り、


「ああごめんよ。盗み聞きするつもりはなかったんだけど、ちょっと耳に入ったものでね。何だか悩んでいるみたいだったから、僕の知っていることだけでも話しておいた方がいいんじゃないかと思ったんだ」

「なるほど……」

「うん。だからさ、ちょっとどこか腰を落ち着かせて話せないかな? 別に無理にとは言わないよ。彼氏くんと話し合って決めてからでいいしね」


 そう言って青年は護国寺に目配せをする。ややブラウンの混じった瞳に射抜かれると、途端に心臓が凍りついたように錯覚してしまう。

 護国寺は宝島の腕をぐいと引き寄せて声を潜めながら言う。


「……なあ。ちょっとだけ胡散臭くないか、あの人」

「そう? まあ『無気力病』のことを言い当てられたときは少し疑ったけど、そこまで怪しい理由じゃなかったし」

「そうじゃなくて、なんかこう……危ない感じがするんだよ。関わり合いになるのは拙いって本能が訴えかけてきてるっていうか……!」


 護国寺がわたわたと説明する姿を見て、楽観的だった彼女も「ふむ」と一考する姿勢を取った。もっと具体的に述べることができたらてっとり早くこの場から去ることができたのに、と歯噛みする。

 少しの間悩んでみせた宝島は真剣なトーンで呟いた。


「……ついて行ってみましょう。虎穴に入らずんば虎児を得ず……、リスクがあったとしてもそれ以上に良い情報が手に入るかもしれない。正直ここを逃す手はないからね」

「だけど……!」

「もしもこの人が『無気力病』を招いている側だったとしても、私たちはゲンレイ――ちゃんと戦える。それにあなただっている。変な所に連れ込まれなきゃ大丈夫よ」


 危険を避けてばかりだと埒が明かないのも事実。彼女の言にも一理ある。

 何より彼女が覚悟を決めて臨もうとしているのに、男の自分がひよってどうする。護国寺は何だか情けない気分に駆られ、降参するような面持ちで首を縦に振る。


「……分かったよ。だがもしも危険が迫ったら――」

「えぇ。そのときは躊躇なく言霊を行使する。そのときは合図をするから、迅速に身柄を確保して街に被害が出ないようにしましょ」


 こくり、と二人して頷き合う。それから青年の方へと向き直った。

 青年は相変わらず人の良さそうな笑みを浮かべたまま、


「話はまとまったようだね?」

「……はい。ぜひお話を伺いたいですね」

「それはよかった。じゃあ立ち話もなんだし移動しようか。そうだなぁ……あそこの喫茶店なんてどうかな? あそこのざくろがとても美味しくてねぇ」


 そう言って青年はすぐ傍にある喫茶店を指差した。西洋風の外装が特徴的で、パッと見でそれなりにお客さんが入っているようだった。あそこなら人目もあって下手なことを抑制することができる。


(逆に言えば被害が出やすいということでもあるけどな……)


 それくらい疑い深くほど、護国寺は青年のことを不気味に捉えていた。あたかも地獄の窯にみすみす近づいているような――拒否感が拭えない。

 二人は青年の案内に従って、その背中の後を追いかける。このとき護国寺の脳裏には、かつて宝島が言い放った一つのセリフが蘇っていた。



――――『「私は悪人でござる」みたいな恰好してる悪人なんてこの世にはいないの。いたとしたらそれは単なる馬鹿よ。本当の悪人は悪に見えないものなの!』



その言葉が警笛とともに彼の脳内に響き渡っていた。



隻腕のホモおじさん、出現。(ホモじゃないよ!)

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