第一章 人生ってのはビールみたいなものでね
護国寺は自分が自分でなくなるような瞬間が、高校二年生になってから稀に起こるようになったことを自覚していた。
朝のHRを受けていたはずが、次に気付いたときには昼休みを迎えていたり。
放課後校舎裏に呼び出されたはずが、いつの間にか日が沈んでいたり。
意識の空白とも言うべき時間が日に日に増えてきたのだ。そして大抵身体に生傷が刻まれ、翌日クラスメイト――自分を呼び出した――たちが欠席していた。記憶の欠落とその間の出来事、明らかに因果関係が窺えたものの周囲に問いただすことはできなかった。そのとき既に、護国寺直斗は孤立していたのだから。
とはいえこの件に言霊は関係していない。それまで自分がゲンレイであることすら把握しておらず、単にクラスで目立った行動を取ったことが原因である。
それ以来虐められるようになったが、大して反抗はしなかった。多勢に無勢という事情もあるが、自分だけに被害が留まっているのならまだ我慢できる気がした。
……気がしていただけで、本当はできていなかったのだと、取り返しのつかないことになってからようやく気付いた。
いつものように放課後の教室でイジメの主犯格たちに囲まれてからの記憶がまるでない。しかし次に意識を取り戻したとき、護国寺は返り血に塗れた姿で茫然と立ち尽くしていたことが、何があったかを明確に語っていた。
これがミステリーなら真犯人に罪を擦り付けられた悲劇のヒロイン役だろうが、拳に走る鈍い痛みが、返り血の生温かさが何より自身の招いたことだと証明していた。
その後送られた拘置所で、護国寺は自分がゲンレイであることを研究者から教えられた。言霊名は【喜怒哀楽】。有り体に言えば多重人格者である。
それもただの多重人格ではなく、支配される人格によって能力が大幅に変わるらしい。そのいずれもが常人離れしたもので、支配されている間の記憶は失われると。
ゲンレイ――これまで対岸の火事だとばかり思っていた存在が、自分の身に宿っている。得も言われぬ不気味さに襲われた。ゲンレイは犯罪予備軍ばかりだと教育されてきたから。ゲンレイになった者がどういう末路を辿るか、そして身内にどういう被害が及ぶか、護国寺はよく知っていた。
死ぬしかない、と思った。最近の若者にありがちな、短絡的行動ではなくて本気で思い悩んだ末に。ただでさえ犯罪者になって周囲に迷惑をかけたというのに、これ以上の迷惑はかけられない。
実際に独房で隙を見て首を吊ろうとしたが、失敗に終わった。複数ある人格の一つに身体のコントロール権を奪われたのだ。どうやら意地でも自死させないらしい。護国寺が死ねば多重人格も巻き込まれて死ぬのだから当然か。
死ぬこともできない。能力を改善する手段も分からない。無力感に苛まれているとき、彼はある男と出会った。
――――柳生武蔵。どうやってか暴力事件を起こした護国寺を早期出所させた男。
普通であれば渡りに船というべき申し出だったが、護国寺はとても乗り気になれなかった。自分でもいつ暴発するか分からない拳銃を抱えて人間社会に再び舞い戻るなど考えられない。
なかなか折れない柳生との面会は五回にも及んだ。緊張をほぐすためか大半がくだらない世間話だったが、時折真剣なトーンで言葉を交わしたこともある。
「人生ってのはビールみたいなものでね、始めは苦くて飲めたものじゃないが――いつしかその苦さがクセになる。どうやらキミは死にたがっているようだけれど、せめてビールの飲める歳まで生きてみないか?」
危険人物たる自分のどこに心を砕く要素があったか、結局最後まで推し量ることは叶わなかったが、柳生がそれを真剣に言っていることだけは理解できた。
「僕がこれから連れていくのは、キミが本来過ごすはずだった学生生活を取り戻す学び舎であり、今は制御不能の言霊を御するための訓練場であり、世界の平和を守るための機関だ。そこでモラトリアムを過ごすのも悪くないだろう」
今まで当たり前に続くと信じていたレールを突如見失い、どこへ行くかも定まらなかった護国寺に柳生は道を示してくれた。
その道はおぼろげで、終着点も険しさも計り知れない。
いつか自殺しておけばよかったと思う日が来るかもしれない。
けれど、挑戦することはしないことよりもずっと尊いことを信じて。
護国寺直斗は新たな道へと踏み込む覚悟を決めた。