第二章⑥ 隻腕の男(前)
コトノハ高校からそう遠くない街中にある、既に潰れてしまったダーツバーにて。
少し前に廃業になったのだから当たり前だが、店内に電気は通っておらず地下にあるため不気味なほど薄暗い。唯一の光源は持ち込まれた蝋燭一本のみ。
廃業になったとはいえ段取りが上手くいっていないのか、ビリヤード台やダーツの的などの内装はほとんどそのままになっていた。どこぞの不良のたまり場に使われているらしく、酒ビンやお菓子、使用済みの避妊具なんてものも散らばっていた。
そして今、このダーツバーには一人の青年がいた。
「~~♪」
ちょっとだけ上機嫌なその青年は、残されていたダーツを投げて遊んでいる。年の頃は三〇代といったところで、笑顔の絶えない表情は人の良さを窺わせる。何より特徴的なのが、青年の右腕がない――隻腕だということだ。
青年は次々と金属製のダーツを的の中心付近に命中させていく。けれどそのことに多幸感を覚えているのではないらしく、もっと別のことで気分を良くしているようだった。
手の中でダーツを弄んでいると、不意に木製の扉がギィと小さく音を立てた。
「まったく……。そう何度もねぐらを変えてんじゃねえよ」
そう悪態をついた男は、バンドマンのような奇抜な髪型をしていた。性格を表したかのような逆立った金髪。鼻や耳に複数のピアスを付けて、首筋には刺青まで入れている。現代社会では随分と生きづらそうな男である。
その男の背後には四人の男女が控えており、彼らは一様に店内を物珍しそうに観察している。
「きったねえなぁ。こんなとこに住むなんざ正気じゃねえよ。病気になっちまいそう」
「でもでもぉ、薄汚いドブネズミにはお似合いの場所っていうかぁ。あっはは」
「リコっち正直に言い過ぎだって! ぷ……っ」
そして返ってくるのは、いずれも目の前の青年を小馬鹿にするようなセリフばかり。彼の温和そうな見た目もあるが、何より多数派でいることに優越感を覚えているのだろう。
青年ははて? と首を傾げる。
「キミたちはどこの誰だったかな……? ネズミ探しに来たのなら、是非とも夢の国に行ってくるといいよ。といっても、あの華やかな場にキミたちは不釣り合いだと思うがね」
「あぁん? ナニこのおっさん。チョーシこいてんじゃね?」
「そう言ってやるな。こう薄暗い場所に引き篭もってたんじゃ、現実が見えなくなってもおかしくねえ。それにこいつは一度夢敗れた敗北者だって話だ。しかもその原因が相棒だと思っていた男に裏切られたってー間抜けな話だしよ」
「…………ああ、やっと思い出したよ。確か派手な髪型をしたキミは、ツバサくんだったかな?」
どれだけ挑発を繰り返されようとも、青年は決定的にその余裕を崩さない。
その飄々とした態度に苛立ちを覚えたツバサは「チッ」と舌打ちをした。
「まあいいや。おっさん虐めても楽しくねーし。んで? 何を上機嫌に口ずさんでたんだ? 気持ちワリー」
聞かれていたのか、と青年はやや気恥ずかしそうに頬を掻いて、
「実はね……もうじき、欲しかったものが手に入りそうなんだ」
「もうじき……ってーと、まだ手に入ってねえってことだろ? 今からそんな浮かれて大丈夫かぁ? また前みたく足下掬われたってシラネーゾ!」
あはは! と取り巻き含めて大笑いするツバサ。対して青年は「分かっていないな」と肩を竦める。
「何事も叶う前が一番心躍るものだよ。ほら、たとえばゲームの発売日前や、風俗店の待合室で待たされている瞬間とかね。だけど、実際に手に入れてみると、どうしたってそれに点数を付けなきゃならなくなる。そして大概、現実は理想を下回るものなのさ」
「? ナニ訳分からねーこと言ってんだおっさん」
「これを理解できていないうちは、まだまだ青二才ってことだよ。――それよりも、いい加減本題に入ったらどうだい? こうやってニコニコと談笑する間柄でもないだろう?」
「ちっ。指図すんじゃねーよ」
と、ツバサはそう言いながらも結局は青年の言う通り本題を切り出す。
「要件は前とおんなじだ。俺らの仲間になるか、ならないのか。今なら幹部クラスのポストを用意してくれるらしいぜ」
そう、ツバサは今でこそリーダー面をしているものの、実際は言伝を頼まれた雑用役でしかない。内容は今の通り「仲間になれ」というもの。簡単に話を聞いているだけでもかなりの規模の組織であることが窺える。それは不定期に住処を変える青年をしっかりと追いかけることからも読み取れよう。
しかしツバサにとっては気が進まない話らしく、今のように勧誘どころか敵対させようとしている言動を繰り返している。
ツバサはガムをくちゃくちゃと咀嚼しながら、
「一度大事な局面でしくじった奴は、次また同じような場面に出くわしても失敗に終わる。てめえの価値なんざそん時既に終わってんだよ。なのにうちの奴らはお前を引き入れようと躍起になってやがる……! 俺の方がよっぽど強いってのに!」
結局はそれが本音である。虚栄心の塊。自己を大きく見せたいがあまり、分不相応な袈裟を被ることに躊躇いがない。ある種それは美徳でもあるが、過ぎたるそれは時に身を滅ぼすことになるのだ。
激情を露わにするツバサと反比例するように、青年の気持ちは冬の隙間風のように冷え切っていた。見るに堪えない、と。
それがつい表に出てしまい、彼の眼差しは氷を思わせる冷酷さを宿す。
「――僕の答えはいつもと変わらないよ。ノーだ。それなりの規模なんだろうが……僕には大して魅力的に思えない。それ以上にキミみたいな短絡的な部下を抱える方がデメリットに感じるくらいだ」
ぶち、とツバサの眉間が切れた音がした。
「あぁあああっ、そうかよ! これでもう勧誘は五度目だ。次に袖を振られたら始末していいとお達しが出ている……! おいお前ら、このおっさんに地獄を味あわせてや――ッ!」
ツバサが取り巻きに号令をかけるより一瞬早く、仲間の一人の額にダーツが突き刺さった。それは紛れもなく青年から放たれたものだった。
「言われなければ戦闘態勢を取ることさえできないとは……。なるほど、これがゆとり世代か。確かに危機感に欠けているね」
「野郎――――ッ!」
仲間が一人殺されたのを契機に、彼らは一斉に青年へと襲い掛かった。他三人は特殊警棒、ナイフ、スタンガンなどの武器を手にしているが、ツバサだけは無手のまま突進してくる。
隻腕ってワードかっこよすぎだろ……!
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