第二章 無気力病
「……それで、彼の様子はどうかね?」
薄暗い室内で、二人の男が向かい合って座っていた。
一方は柳生武蔵。もう一方がコトノハ高校の校長を務めている犬井権三郎である。皺の多い顔にしわがれた声。御年八四にもなる高齢者で、校長就任もかなり難色を示していたらしい。
穏やかな問いかけに対し、柳生は緑茶を啜りながら答える。
「護国寺ならあの強盗事件の後、極めて模範的な生徒として過ごしていますよ。授業も真面目に取り組んでいますし、僕のつまんない座学を寝ずに聞くのなんて宝島と彼くらいなもんですよ」
「これ。あまりはぐらかすでない。儂が問いたいのは、護国寺くんがちゃんと言霊を制御できているのか、ということじゃ」
「あっはは。どうもすみませんね、つい」
雲井泰男の事件があってから、早二か月が過ぎた。あの日以降護国寺は忌み嫌っていた言霊と真剣に向き合うようになった。言霊がどういうものか、どうコントロールすればいいのか。『松ノ下』のゲンレイだ、元々素質があったのかメキメキ力を付けていった。
ときに柳生に助言を乞うこともあったが、主に彼の周りにいる宝島や嵐山たちが手解きをしていた。ゲンレイと蔑まれていようとも、本来あるべき青春を送っている生徒たちを見て、つい柳生の胸が熱くなったのは秘密だ。
「逐一報告書で上げている通り、至って順調……いやそれ以上ですよ。まだまだ【喜怒哀楽】の全てを引き出すには程遠いですが、確実にモノにしてきています。今でも『竹ノ中』クラスなら問題なく倒せるでしょう」
「ふむ……。眠っていたとしても獅子、というわけか」
言霊自体の強さもあるが、護国寺はそれ以外にも桁違いの霊力を保有している。平均霊力量の七、八倍以上だ。言うなれば最高のエンジンと潤沢なガソリンを備えたスポーツカーのようなもの、軽自動車が追いつけるはずがない。
その成長ぶりを熱く語る柳生に対し、ふむふむと穏やかに相槌を打つ犬井。その姿は気のいいお爺ちゃんだ。
しかし話が一段落したところで、犬井の表情が一転して曇る。白髭を触りながら言う。
「……彼らは儂にとってひ孫のような存在じゃ。できる限り危ない橋を渡らせたくない。そのために様々なコネクションを駆使してそれを避けてきた」
「はい、存じておりますよ校長」
犬井はかつて官僚だったこともあり、政界にはかなり顔が利く。コトノハ高校の生徒を私兵下させようと画策する議員を阻止したり、ゲンレイたちにとって不利になりかねない法案を握り潰したこともあった。どれも表面化されていないものの、犬井はゲンレイたちを裏で守ってきた存在だ。
そんな老練な犬井が、苦虫を噛み潰したような表情を浮かべて言った。
「実はの、上から『護国寺直斗の有用さを即座に示してみよ』とのお達しが入ったのじゃ。さもなくば獅子身中の虫として処分する、とも」
「いつもみたいにノラリクラリ拒否できないんで?」
「無理じゃのぉ……。今回は普段と違い耳を貸してすらくれん。とにかく実行しろとの一点張りじゃ。どうも一部議員が動いているのではなく、政界の大多数が絡んでいるのだろう」
実を言うと護国寺直斗はかなり微妙な立場にある。前科持ちに加え強力な言霊。しかもその言霊が制御できないときている。政府にとってはいつ爆発するか分からない爆弾を抱えているようなものだ。「すぐに死刑に処すべき」と論ずる者がいても不思議はない。
それを裏付けるように例の強盗事件だ。解決はしたものの実行犯だった雲井は大怪我を負った。護国寺にどのような葛藤があったにせよ、事実だけを見れば『暴走して雲井を殺しかけた。助かったのは運が良かっただけ』となってしまう。不満を抱えた者たちを宥めるのに犬井は大層骨を折っていた。
ついにこの日が来たか、と一瞬思った柳生はすぐさま思い直した。
「……どっちなんでしょうね。どんな成果を出しても揚げ足をとるつもりでいるのか、それとも――――」
「――その性能をテストしてみたいのか、じゃな?」
はい、と柳生が頷く。犬井は答えを口に含んではいたが、その態度を見れば一目瞭然だった。
「上の奴らは護国寺の実力を確かめたくなった。とはいえあまりに急だ。となると何かキーとなる出来事があったはず。そして最近起こったニュースと言えば……」
「ロシアンとの武力衝突、か」
元々外交的不和を抱えていた日本とロシアン。それがここ最近冗談で済まなくなるレベルで問題となり始めていた。
そして先日、北方領土付近で両海軍が小競り合いを起こしてしまったのだ。こうなれば謝罪で収まる問題ではなくなり、現実は「いつ戦争が起こるか?」にシフトし始めている。
しかし相手は大国ロシアン連邦。他国からの介入がなければまず日本は敗戦するだろう。そこで目を付けたのが他国では持ちえない戦力――ゲンレイたちだ。
「ゲンレイだけの特殊部隊もありますが、とても戦況を変え得るだけの力を持った能力者はいない。だからそれが望める護国寺に白羽の矢を立てた、と」
柳生が弾き出した考えを受けて、犬井が答え合わせをするように頷いてみせた。
「『松』ランクのゲンレイは所在の不確かな者が多い。居場所を把握していたとしても、強引に徴兵するにはそれ相応の戦力がいる。しかし護国寺くんであれば、既に首輪を付けておるし性格的にも御しやすい。まさにうってつけの戦力じゃ。今回の要求はそれを確認するためのものじゃろうな」
「危険すぎる。そんなもん無視すれば……って、わけにはいかないんでしょうね」
「うむ。そうなればいよいよ身柄が危うくなる。加えて腐っても国家権力、齢一七の子どもが刃向かうにはあまりに大きすぎる相手じゃ」
柳生が不服そうに頭を掻く。国は表向きゲンレイと歩み寄ろうとしているようで、その実物珍しい駒としてしか見ていないのだとふと突き付けられる。
(それでも国に縋って生きなきゃならないんだから……人間っていうのは弱いものだよな)
柳生はそっと過去へ思いを馳せる。かつてゲンレイとして国家転覆を図ったことのある大悪人の存在を。柳生が腕を斬り落とした、仮初の友人のことを――――
「――……ぎゅうくん? 柳生くん? どうしたのかね、ぼうっとして」
犬井に呼びかけられて、遠くへ馳せていた意識が現実へと引き戻される。
「……何でもありません。ともかく、政府からの指令に逆らえないのであれば、素直に従うほかないでしょう。そして僕が可能な限り彼をサポートします」
「それしかあるまい……」
「で、いったい何をさせようってんです? また強盗事件でも負わせますか?」
「あるいは、そちらの方が単純で良かったやもしれん。力で解決できるならゲンレイにとってはさほど難しくないからのう」
言葉を濁らせる犬井。彼の顎髭を触る頻度が目に見えて増えてきている。思索に耽るときの癖だ。
犬井は悩んだ末にようやく口を開いた。
「――――『無気力病』、じゃ」
無気力病、と柳生がオウム返しをする。
「ここ一年で急激に増えてきた謎の症状。それまで精力的であった人間が、ある日人が変わったように無気力になる病……、でしたか?」
「その通りじゃ。微生物の仕業か、精神的なものか、脳に異常が生じたのか……。あらゆる分野の名医が診察をしたが、未だ結論の出ていない病でな。その原因を護国寺くんに調べてほしいそうじゃ」
柳生が苛立ちを垣間見せながら深いため息を吐く。
「だったら医学生にでも頼れって話ですよね? 餅屋に対して中華料理を注文するなんて、連中おかしくなったんじゃないですか?」
ピり、と柳生から僅かに殺気が漏れる。堪らず犬井が宥めるように努めて穏やかな声音で言う。
「どうやら官僚たちは『無気力病』をゲンレイの仕業と見立てているそうでの。実を言うと儂もそうでないかと睨んでおった。あながち突飛とも言えん推理じゃろう」
確かに謎の多い事件の陰にゲンレイが潜んでいた、という話はわりと耳にする。だからといって凶悪事件が起きれば何でもかんでもゲンレイを疑うのは止めてもらいたい。オタクが皆特殊性癖者ではないのと一緒だ。
柳生自身、異議を唱えてはいても最初から従うほかないということは理解していた。とどのつまり先ほどの抵抗は、彼のやりきれなさを表していたのである。
小さく舌打ちをして、柳生は眉間を指で揉みながら言った。
「……実務経験のない護国寺を単独で行かせるのは無理があります。三年生を一人付けて、サポートでもう一人適当なのを見繕いますが構いませんね?」
「キミに一任しよう。もし何かあった場合、責任は儂が取るから好きになさい」
「いつもありがとうございます」
軽く頭を下げ、柳生は校長室を後にした。
本来高校生がやるべきでない危険な任務を前に、彼の眉間には深く皺が刻まれていた。
『無気力病』編、開幕!
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