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序章 多重人格者


 ――――悪魔が立っている。


 平穏を重んじ生きてきたその男子生徒は、目の前の出来事に対し目を瞑り耳を塞いで震えていた。

 今日も今日とて変わり映えのない一日だったはずだ。平凡な公立校に通い、つまらない授業を受け、冷凍食品の目立つ弁当を食べる。――そして、いつものようにリーダー格の連中が一人のクラスメイトを寄ってたかって虐めるのも含め、よく見た光景であった。


 昨今ではイジメの加害者と同様に、それを黙認していたクラスメイトも批難される傾向にある。だけど仕方ないじゃないか。リーダーに反抗すれば、次に標的にされるのは自分なのだから。誰だって我が身が一番可愛い。


 ……だから、彼がいつものようにただ虐められていれば、この平穏がずっと続くと信じていた。


 何の根拠もなく。

 罪悪感をそっと覆い隠して。

 けれどそれが間違いであったと、男子生徒は今ここに至って確信した。


「はあ、はあ、はあ……っ!」


 何もされていないのに息が上がる。とてつもない緊迫感により生じたものだ。過呼吸に近い症状が出始める。

 高まる鼓動を収めようと、両耳に当てていた手を心臓へと添える。


 それとともに、今まで拒絶してきた音が再び男子生徒の脳を攻撃する。

 ぼき、と何かが折れるような音が連続する。そして絶叫がその音を塗り潰す。

 男子生徒の頬に数滴の血が降りかかる。驚きつい目を見開くと、血塗れになったリーダー格の生徒と目が合った。瞳孔が不自然に開いているように見えた。


「は――は、は、は、はっ!!」


 屈託のない高笑いが教室を抜け学校全体に響き渡る。純粋に楽しい発する、気持ちの良い笑い声だった。


 しかし声の主が現に行っている行為は、嗜虐の限りを尽くしたものであった。

 あたかもスナック菓子を二分するように人間の手足を躊躇いなくへし折り、既に戦意を喪失している人の顔を何度も殴打し、何人もの生徒を窓の外へと放り投げた。二階とはいえ打ち所が悪ければ死ぬというのに一切の躊躇がない。


 ――――悪魔。破壊を愉しむ姿には、その表現がピタリと当てはまる。


 人が生来備えているはずのリミッターが存在していないこと以上に、何より驚きなのはその狂人が件の虐められっ子だということである。

 今日も普段通り腹を蹴られたりしていたその生徒は放課後、何の予兆もなく暴れ始めたのだ。虐められたストレスで狂ったのか、と思ったが、所詮はひ弱な奴。すぐにリーダー格らにボコボコにされて大人しくなるだろう、と考えていた。


 だがその予想は裏切られ、リーダー格たちは瞬く間に血みどろにされ、その暴力は他のクラスメイトたちへと波及した。逃げ遅れた人たちも分け隔てなく蹂躙された。


 ――――そしてついに、教室の隅でうずくまっていた男子生徒の元へ、狂人が歩み寄ってきた。


 ハハハ! と心底楽しそうに笑いながら、身の震えるような声を上げながら。


「ああ、そうか……」


 やっと理解できた。何故虐められっ子を見殺しにしてはいけないのか。


 隣人を愛さなくてはならないとか、倫理的に駄目とか、そういう以前の問題なのだ。

 悪い行いをすればいつかきっとしっぺ返しがくるのだ。救いを求める手を払い除けたら、自分の手も誰かに届くはずがないのだと。


 乾いた笑みが漏れる。絶望や諦念、後悔といった感情が一気に押し寄せてきたが、それら全てが狂人の手によって黒く塗りつぶされた。


    *  *  *


「いやあ、普通の刑務所なら何回も足を運んできたけど、特別刑務所はどうにもおどろおどろしくて敵わないな」


 ガラス越しに座る物腰の柔らかそうな男――柳生(やぎゅう)武蔵(たけぞう)は、面会室を物珍しそうにキョロキョロと見回していた。

 がっちりとした肩幅に、ややキツめに映る双眸。第一印象はとっつきにくそうだが、それ故に努めて柔らかい態度を心掛けているのかもしれない。


 二十代前半である柳生の向かい側に座るのは、それよりも若い少年だった。それなりに身長はあるものの、縮こまっているせいで小さく見える。やや茶色がかったショートヘアに、怯えの見える瞳。忙しなく指同士を絡ませたり開閉したりと落ち着きがない。事件から数日経ったとはいえ、少年のパニック状態は未だ継続中のようだった。


 そんな少年に合わせるべく、柳生は一層優しさを振りまきながら言った。


「刑務所内じゃあ何かと不便だろう? 欲しいものがあったら言ってくれ。小説でも漫画でも、できる限り差し入れしてあげよう。あ、成人誌はいかんぞ? 持ち込む以前にキミは未成年なんだから」

「…………、」


 渾身のボケに対しても少年は一向に声を上げようとしない。ただただ戸惑っている様子だ。ぐすん、と柳生が若干涙目になる。


「そ、それはともかくだ! キミの出所日がひとまず決定したぞ。何も問題がなければ四日後になるんだが――――」

「……何でですか?」


 呻くような声が少年のものだと気付くのに少々時間を要してしまう。気弱そうな色はなく、どちらかと言えば責めるような声音だった。


「俺は悪いことをしたんです。多くの人を傷付けました。到底許せることではありません……」

「ふむ、つまりきっちりと罪を償って出たいと」


 三十人近いクラスメイトたちに大怪我を負わせたこの少年は、その経歴とは打って変わって真面目そうな雰囲気を有していた。誰であれ息苦しい特別刑務所から一刻も早く出たいはずなのに。

 幸い死者は出ていないものの、殺人未遂罪にも問われかねない事件の御咎めが拘留約二週間というのは甘すぎるだろう。本来なら数年少年院で過ごさなければならない刑罰だ。


「だがキミの罪には理由があった。仕方ない、とは口が裂けても言えんが、気の毒にとは思うよ。それにキミはちゃんと罪を認めて償おうとしているじゃないか」


 ふるふる、と彼は小さく首を振り、


「……違う、違うんです。俺はもう、陽の当たる場所に出ちゃいけないんです」

「……どういう意味だね?」

「俺は――――」


 何か紡ぎかけたところで、カクンと少年の首が力なく落ちる。


 見張りの刑務官が何事かと歩み寄り――次の瞬間、男の鍛え抜かれた巨体は容易く宙を舞っていた。

 そのまま少年と柳生とを分かつ強化ガラスへと叩き付けられ意識を刈り取られてしまう。その様子を監視カメラに捉えられていたため、警報ブザーがけたたましく鳴り響く。


 柳生は突如騒がしくなった周囲にはまるで反応を示さず、ただただ奇行に走った少年に視線を注いでいた。


「なるほど、これが話に聞いていた……」


 平然としている柳生とは正反対に、少年はガタリと椅子から跳ね上がり、両手で眼を覆っていた。


「ク――――」


 小さく、けれど確かに少年が嗤った。


「ク、ククク……ハハハハハハハハハハハハハハハハハッ!!」


 穢れのない、ひたすらに純粋な笑い声。その様は少年時代を彷彿とさせる。

 しかしそれ故、柳生に対し微かに恐怖心を植え付けていた。そう――まるで子供が何の罪悪感もなしに虫を惨殺しているような、そんな無垢な狂気を感じさせるのだ。


 沈んでいたはずの少年は一転、舞台役者のように大仰に両腕を目一杯広げ、


「ああ……! 狭い、狭すぎる……! 俺という存在を閉じ込めておくには、あまりに窮屈な箱庭だ」


 自分に酔っている風なセリフは、先刻までの少年の印象とかけ離れていた。

 しばらく恍惚そうな表情を浮かべていた少年がようやく柳生がいることに気が付いた。ピ、と人差し指と中指を揃えて爽やかに挨拶を表現してくる。


「おっと、そういやあ客人の前だったな。粗相を晒してもーし訳ない」

「……気にするな。男の評価を上げても詮無きことだろう」

「おお確かに! だがよ、あんたが俺を興味深そうに分析してくるから、ついそっちのケがあるんじゃねえかと思ってよー。俺は無類の女好きだが、マイノリティーにも理解のあるグローバル・マンだからな! リップサービスってやつよ」

「いらん気遣いをどうも」


 資料には予め目を通していたが、実物を目の当たりにするとつい観察してしまうのは彼の悪癖の一つだ。でも滅多に見られない光景だから仕方ないよね。

 先ほどまで覇気のなかった少年とは正反対に、今の少年は非常に好感が持てる。他者に対し壁を作らず、明るい態度で接してくるだけで印象はかなり良くなるのだ。あくまで刑務官を投げ飛ばしたことに目を瞑れば、だが。


 少年は腰を落ち着かせることなく狭い空間を動き回っている。まるでわんぱく小僧だ。どうにも落ち着かないので柳生は諌める意味を込めて言葉を投げかける。


「あまり暴れないでくれ。せっかく出所日が決まった矢先、それをご破算にしてくれていい迷惑だ。またあの高圧的な看守長と向き合って話をしなくちゃならない、どうしてくれるんだ?」

「はっは。だがこの刑務官も悪いんだぜ? 陰で『ナオト』のことぶん殴りやがったんだからな。そりゃあ防衛本能も湧くさ」


 少年は気を失っている刑務官に目を向けながら、自身の胸に拳を軽く打ち付けて言った。

 拘置所とは内部情報がほとんど外部には漏れない、ちょっとした独立国家である。囚人に対し日常的に暴力を振るう刑務官もいるという話は聞いたことがある。現に少年の頬には小さい痣ができていた。


 まったく、と柳生は小さく吐き出して、背もたれに身体を預けつつ続けた。


「あとできちんと上に忠告しておくよ。だからこれ以上の揉め事は避けておいてくれ。でないとキミを庇うことも難しくなって――――」

「――――最終的には殺処分、ってわけかい?」


 いずれ突き付けられるかもしれない現実を理解しながらも、少年はなお軽い調子で代弁した。否、さらに彼は笑みを深めて、


「やれるもんならやってみればいいさ。縄でも銃でも断頭台でも、何でも持って来ればいい。そして結局、それらの致命の鎌が俺たち(・・・)に届くことはないと知ることだろう」

「…………、」


 直後、後ろの出入り口から刑務官が大勢押し寄せてきて、少年との面会は打ち切りとなった。彼は拘束されることを断固として拒否し、自分の脚で退室していった。

 余裕綽々な態度を最後まで崩さなかった少年を見送り、柳生は静かに息を吐いた。


「あれが噂の怪物くんか……。思った以上に根が深そうだな」


 立ち上がり、脳内で少年のプロフィールを今一度反復し直す。



 護国寺直斗(ごこくじなおと)。一七歳。

 言霊(ことだま)名:【喜怒哀楽】。



    *  *  *



 ――――人ならざるヒトが誕生したのはおよそ十五年前のこと。


 発火能力。瞬間移動。念動力。透視能力。これまで空想上のものでしかなかった摩訶不思議な力を宿す者が突如現れたのだ。

 先天的な例もあれば成人してから手に入れた例もある。超能力が発現し始めた年は、犯罪率が例年の三倍近くまで膨れ上がったと聞く。幸いだったのは彼らの数が全体のごく僅かだったということか。


 日本政府は軍隊を動員して瞬く間にこれを鎮圧した。平和だったはずの日本ではしばらく銃撃音が響き渡る日々が続いたが、主だった能力者の制圧に成功した。

 その後超能力についての研究が進み、その能力は四字熟語から派生していることが判明した。

 即ち【電光石火】であれば常人離れしたスピードを手に入れ、【以心伝心】であればテレパシー能力が使えるようになる。これになぞらえて以後超能力のことを【言霊】、超能力者のことを巷では言霊をもじって【ゲンレイ】と呼ぶようになった。


 言霊が発現したのは日本だけらしく、確認できている人数は一万にも満たない。

 一般人から見れば得体の知れない少数派の集まり。なおかつ能力に溺れて非行に走りかねないと危険視されるのは当然の帰結だろう。ゲンレイとなったサラリーマンは会社を首になり、学生たちは虐められるケースが乱発した。


 どれだけ並外れた能力を持っていようとマイノリティーには変わりない。ただ忌み嫌われる理由が生まれただけだ。そしてこれが自然な流れだというのなら、強力なゲンレイが現状を打破しようと動くのも当たり前である。


 ――――とどのつまりこれは、そういう物語。

 図らずもゲンレイとしての生を余儀なくされた少年による、本当の『人間』に生まれ変わるための物語だ。



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