7.囲われた元王女
「来てくれてうれしいわ、マリア」
到着した目的地で待ちかまえていた友人は元気そうだった。
ツァルト国の愛される元王女殿下は、満面の笑みでマリアベルを迎えてくれた。
「お久しぶりです、フィーアさま」
マリアベルが彼女に会ったのは出産の一ヶ月ほど前のことなので、会うのはずいぶん久し振りだった。
当然ながら前回は重そうだったお腹はしゅっと引っ込んでいる。妊娠前よりも多少ふくよかに見えるが、いずれ元に戻りそうだ。
市井の人のように手ずから我が子を育てていると耳にしていたが、さほど疲れた様子ではない。
幸せなのだろうなと感じて、自然に笑みが漏れた。
「遅くなりましたが」
マリアベルは言祝ぎを述べて、大事に抱えていた贈り物を彼女に手渡す。
元王族であり、公爵家に嫁した方の出産祝いには高級なものが山ほどあっただろう。
一応は叔母という後見はあっても頼るべき実家もない一侍女であるマリアベルの贈れるものなどたかがしれているが、せめて気持ちのこもった品をと用意していた。
「ありがとう」
フィーアは青い瞳をきらめかせた。
「ご存じの通り裁縫は得意ではありませんので……、ご自宅でお過ごしの時にでもお使い下さい」
マリアベルはおずおずと言い添える。
用意したのは上質の綿を用立てて仕上げたハンカチとスタイのセットだ。
大事な友人には心のこもった品を贈りたかった。裁縫下手な分時間をたっぷり使って仕立てたが、努力に見合っただけの仕上がりかはいまいち自信がない。
見栄えは悪くなく仕上がっただけで、マリアベルとしては及第点だった。
「うれしい。大事に使うね」
マリアベルの気持ちをきれいに拾い上げて、フィーアは嬉しそうにしてくれた。
彼女が皆から愛されるのがわかる気がするのはこんな時だ。マリアベルもほっこりしながら笑みを返した。
二人のやりとりが終わるのを見計らったかのようなタイミングで、遅れてエリックがやってきた。
荷物が多いから先に行くようにマリアベルに促していた割に、案外身軽な様子だった。
久々の再会に気を回してくれたのかもしれない。
異母姉弟がにこやかに挨拶を交わしている間に、マリアベルは断りを入れて赤子が横たわるベッドを覗かせてもらう。
生まれたてを脱しつつある幼子は少しふっくらとしている。小さなこぶしを振り上げて、それをじっと見つめていた。
子は望めないのではないかと噂されていたフィーアの子は男子だった。
性別はどちらであったにしろ無事に子が産まれたこと自体を皆が喜んだろう。けれど、文句なしの後継を得られたのは公爵家にとって幸いであっただろうとマリアベルは思う。
後継者争いで屋台骨が揺らいでは国に動揺が走りそうなほどに、ルガッタは国の中枢に食い込む一族だ。
アレックスと名付けられた赤子は今はまだその重圧を知らず、あどけない微笑みを見せている。
「かわいい」
マリアベルは思わず呟いた。
「目元がどことなくフィーアさまに似てますね」
「そうみたいね。自分ではよくわからないけど」
弟との挨拶を終えてにこやかに近づいてきたフィーアは、
「目は私、口元はアルトに似ていると言われるわね」
そんな風に続ける。
「鼻筋もアルト寄りのようですね」
マリアベルの反対側からベッドを覗き込んだエリックが会話に混じってきた。
「まだ人見知りはありませんよね?」
「ええ」
「では、僕はしばらく甥っ子をスケッチしています。姉上とマリアはゆっくりご歓談下さい」
まるでホストのようにエリックは場を取り仕切る。
「後で姉上がこの子を抱き上げた姿も描かせて下さいね」
そう言うと、彼は椅子をベッドの側に引き寄せて作業を開始した。
テーブルに背を向けるように構えたエリックを見て、マリアベルは思わずフィーアと顔を見合わせた。
会話に混じるつもりはないと態度で示すようだった。
エリックがいることでどうなるかと思っていたお茶会は、それなりにいつも通りの体裁が整った。
とはいえどうしても視界に入り込む紳士の存在はいつもにはないことで、どうしたって気になってしまう。
療養暮らしの長かった元王女は、過保護にされている割に周囲には驚くほど人が少ない。
特に元側付きの侍女であったマリアベルが訪れる時には、公爵家の侍女はいない有様だ。
周囲に人が多いとどうにも落ち着かないという、高貴な方らしからぬ元王女なのだ。ただ、代わりに部屋の周囲には厳重に人が配してあるようだ。
しかしそういうどこか無防備なところは、いかにもツァルト王族らしくもあった。彼女の異母弟エリックもお忍びとはいえ今回の訪問に侍従を連れていないし、護衛は御者のふりをした騎士一人なのだ。
国王陛下の治世が安定しているとはいってもどうだろうと苦情を申し上げても、エリックときたら「ルガッタは王城に近いですし、侍従を連れていたらマリアと二人きりになれませんから」なんて平然としていた。
そんなわけで、室内にはやんごとない血筋のお三方と、マリアベルしかいない。
使用人の姿が一人としてないことが余計にいつもならぬ状況を際だたせているように思えた。
気持ちを落ち着かせるべく彼女は職業柄手慣れた動作でテーブルに用意されたポットを使ってお茶を淹れた。
「今日はシャーロットは来ないのですか?」
「ええ」
フィーアと親しくしていた侍女はマリアベルばかりではない。彼女が呼ばれる際には大抵もう一人もいるのだが、今日は姿がない。
大人しいたちのマリアベルとフィーアを取り持つように明るい人なので、いれば場が明るくなるのだが。
「リックが来ると聞いては……ちょっとね」
弟に聞こえぬようこっそりとフィーアが言うのを聞けば、なんとなくその気持ちは分かる気がした。
第二王子と私的に顔を合わせるだなんてことになれば、友人は興奮して大変なことになっただろうなと。
「難しいものよねえ」
フィーアは今度はふつうの声で漏らす。
「ほら、シャーロットも先日嫁いだでしょう? 新生活に慣れるまでは気楽に誘うわけにいかないって、アルトが」
「そうなのですか?」
思わず問い返したが、マリアベルはすぐに彼女の夫の考えを察した。
商家に嫁いだシャーロットが妻をいいように利用しないか警戒しているのだろう。
本人はからっと明るくフィーアとの関係には他意はないが、夫となった者がどうかはわからない。
有力な公爵家に降嫁した王女殿下の利用価値は計り知れない。警戒はするに越したことがないのだ。
「アディもなかなか顔を見せてくれないし……」
仲良くしている夫の妹の名を呟いて、フィーアはため息を漏らしている。
そちらはそちらで、関係が複雑なのだろうなとマリアベルは悟った。
子が望めないとされた――現実には誕生したが――王女の降嫁にあたり、一番割りを食ったのが公爵家令嬢であったアデレイドのはずだ。
美しく優秀な淑女は身分も十分すぎるほど。ただでさえ引く手あまただったというのに、将来の公爵家当主の父になれるかもしれないとさらに多くの者が彼女の前に列をなすこととなったそうだ。
最終的に彼女の連れ合いは、他派閥の中核をなす侯爵家から選ばれた。兄が愛で王女を選んだのに反して、政略の意味合いの強い取り合わせのようだった。
現在のルガッタ家は余りに力が強すぎる。自派閥内での縁組みを避けることで他からの不満をそらす意味合いでもあるのだろう。
実家とはいえ頻繁に顔を見せるのは、婚家との関係に何かと障りがありそうだ。
「寂しいな」
みんな幸せにしているようだからいいんだけど、なんて呟くフィーアがその辺りの事情をどこまで知らされているかは見た目ではわからなかった。
彼女の夫が詳しく話しているとも思えない。
ただ、王城育ちでなく疎いところは多くても、彼女は聡い人だから何かを感じているだろうなとマリアベルは考えた。
「寂しいですけど――ずっと同じではいられませんよね」
「うん」
当たり前のことを当たり前に口にしたマリアベルにフィーアはこくりとうなずいた。
「ほんとにそうだね。私に子供が産まれたくらいだもん」
過保護に守られ家に籠もりがちのフィーアは日頃は口数が多い方ではないいけれど、ホストの責任感からかムードメーカーの友人の代わりとばかりによくしゃべった。
二人が顔を合わせるのは久々だったし、彼女には話すことのできる大きな変化があった。
マリアベルは微笑ましく友人の話を聞き、時々お茶を入れ直し、相づちを打った。
話を求められても、あいにく自分に話せるのは代わり映えのない日々のついてくらいしかなかった。現在進行形で同じ室内で静かにスケッチしている幼なじみについてなんて、口にするなんてとんでもないことだ。
貴女の異母弟の第二王子に求婚されました、なんて。まさか、いえない。
そんなことを聞けば彼女はどうするだろう?
――案外さらっと話を聞き流しそうな気がする。
マリアベルはふと過去を思い出した。