5.第三王子の呼び出し
案外不器用な人の次の行動を、マリアベルは密かに恐れていた。
分をわきまえて出しゃばらないことがマリアベルの処世術で、それは周囲に好ましく受け取られているように思う。全く何もないとはさすがに言わないが、おおむね問題は起こらなかった。
しかし、第二王子が彼女を妃になどと世迷いごとを言い出したら話は別だ。
彼がかつて姉にしたようにマリアベルのところへ日参してくることになれば困ったことになると考えていた。
そんなことになれば、周囲がいい顔をしないこともたやすく想像ができたからだ。
エリックはマリアベルの恐れを知らぬげに、翌日からはいつも通りだった。
ツァルト王家の面々は多忙ながら日々交流することを心がけているので、王妃側のマリアベルと第二王子が顔を合わせることが多々あるが、これまで通り取り立てて彼が彼女に構うようなことはなかった。
肩すかしを食らったような気分だが、同時にほっとしていた。
よく考えてみれば、十分な配慮があった場所でマリアベルに告白してきたくらいだから、昔のようにわき目もふらずに行動するつもりはないらしい。
それもそうだとマリアベルは思った。
エリックは昔から、姉を特別慕っていた。父王がことさら愛情を注ぐ異母姉だというのに嫉妬するようなそぶりは全く見えなかったくらいだから、彼が姉に寄せる親愛の情はかなりのもののはずだ。
妃にしてもよいと考えるくらいマリアベルのことを好ましく感じていても他の女性よりは情があるというくらいで、あれほど必死になるほどではないのだろう。
人に求婚までしておきながら、姉への愛情表現よりマリアベルに対する物が薄い――そのことに釈然としないわけでもなかった。
だけど、彼らの姉代わりになろうとしてもなりきれなかったのと同様、それはどうしようもないことだともわかっていた。
何か胸の内にわき上がりそうなものを、マリアベルは宥めた。
マリアベルの価値なんて、幼い頃から気心が知れていて、野心にあふれた後見がないことくらいだ。
エセルバートが兄より先に伴侶を得ようと考えたのは消極的な理由のはずだから、彼女を得るために必死になる必要は全くない。
彼がマリアベルを得る利点で考えられるのは、お互い気心が知れていることと、彼女が面倒な後見を持たないことくらいではないだろうか。
兄を支えて影に徹する構えのエリックが後者を重視していても何の疑問もない。
うまくいけば後々の厄介を避けられる利点はあるかもしれないが、マリアベルが相手ではその前段階で面倒が避けられないだろうから。
だから、節度を持ったエリックの行動に落胆するのもおかしい話だと、マリアベルは自分に言い聞かせた。
落胆するということはそこに期待があったのだという事実には目をつぶって、気づかない振りをした。
そうして何事もなく、半月ほどが過ぎた。
その間にマリアベルの身近にあったことといえば、今度は本当に従弟に呼び出されたことくらいだ。
指定場所が第三王子の私室とあっては相手がエリックではないかと疑う余地もない。
王妃は「貴女は日頃働きすぎですからね」と快く彼女を送り出してくれたので、マリアベルは心おきなく従弟の元へ向かったものだった。
従弟のエルバートも、基本的に末っ子気質でちゃっかりした天真爛漫な少年だが、案外そうでないところもある。
正室腹の双子王子とはまた違った微妙な立ち位置にあるからだ。
上二人と年も離れ、兄たちが優秀なものだから、側室腹の第三王子の存在は軽いのだ。
母であるマイラは当然として、父である国王も、さらには王妃や兄王子達も彼には十分な愛情を注いでいる。
いわゆる家族の愛情は十分であろうとも、その他周囲の扱いの違いが分からないような鈍い子どもではなかった。
国王陛下が明言したわけではないが、成人した暁には臣に下ることが確定しているようなものであり、王族として第三王子に期待されるものがあまりないのだ。
日頃は何も気にしない風に明るく振る舞ってはいるし、仕方ないものだとも思ってはいるらしい。
だからといってすべてを気にしないで泰然と過ごすわけにはいかない程度に、彼は若い。
対外的にはお利口にしているのだから時々愚痴を言いたいというのがエルバートの主張であり、それを甘んじて受け入れる相手として従姉のマリアベルは適任なのだった。
以前は側付きの侍女だったこともあるから仕事の延長のような気もするが、エルバートの相手は嫌いではない。
愚痴相手とはいっても、本来からっと明るい少年だから他愛もない内容だ。おいしいお茶とお菓子が用意してあり、ゆっくりと過ごす中で楽しい話だってしてくれる。
「最近教師が厳しくなってきた」という泣き言に「成長したからこその厳しさね」なんて励ましてみれば「優しい方が僕はやる気が出るんだけどなー」と口にしてから、「僕、そんなに成長した?」なんてうれしそうにするんだから、暗い雰囲気にはなりにくい。
代わり映えのしない仕事漬けの日々を送るマリアベルは、ほとんどエルバートの話を聞くばかりだ。
だから。
「ところで、この間マリアはリック兄上とどの程度話が進んだの?」
彼女は満面の笑みで問いかけてきたエルバートに間抜けな顔をさらすことになった。
すっかり気を抜いていたところに、ひどい不意打ちだった。
「どの程度、って」
気を取り直して何とか呟くことには成功したが、動揺しきりだ。
なぜそんなことを問われるのか一瞬疑問に思ったが、先日エリックにはエルバートの名を使って呼び出されたのだ。名を使われた方も承知の上のことだろう。
これまでなかった初めてのことに、少年が関心を抱いても何ら不思議はない。興味津々に見つめられたマリアベルは、いったい何をどう言っていいのかわからなかった。
事実をありのままに伝えたところで、とても信じてもらえるとは思えなかった。
「バートにはまだ早い話、かしら」
「ふぅん?」
それは何とでも問いたげに首を傾げたものの、エルバートは明確に疑問を口にしないのが幸いだった。
「じゃあまあ、いっか」
あっさり引いてくれたのをいいことに、マリアベルはこの会をお開きにすべく逃げるように暇の挨拶を口にしたのだった。