4.愛情表現が不得意で
エリックと別れた後、精神的に疲れきったマリアベルは何とか自室にたどり着いた。
なんだか頭がぐらぐらしていたし、何よりも混乱していた。
「まったく……エリックさまときたら……っ」
嫌だと全身で主張したにも関わらず、第二王子殿下は取り合わずに言いたいことを言いたいように言ってのけたのだ。
そういうところが、いかにも王族らしく傲慢だ。
王太子殿下の想い人の話など、一介の侍女風情には過ぎた情報だ。
たとえマリアベルが彼の幼なじみであり、半ば身内のような関係だからといってその間には確たる身分差があるのだ。
もし仮に、何らかの機会に王太子殿下――エセルバート当人から話を聞いたのであれば、マリアベルはここまで気が重くならなかった。
そうであれば姉もどきの幼なじみとして信頼された上で明かされたことだから。
当事者ではないエリックから聞かされた事情は、マリアベルの胸のうちに収めるのはいささか重いものだった。
数年後とエリックが口にしたのは、お相手が彼らの弟と同じ年の少女だからだなどというのだから。彼らの弟といえばマリアベルの従兄弟で、そうなると自ずと年齢は知れる。
マリアベルは大いに戸惑い、詳細を問いつめたくなった。あの王太子殿下がまだ社交の場に出たこともないような幼い少女に懸想したという話が信じがたかったのだ。
そもそもどういった経緯で王太子と少女が出会ったのかというところからして疑問だ。従弟と同い年ということは、エルバートの友人関係だろうかと推測はできるけれど、彼の異性の友人と王太子殿下が顔を合わせる機会がそうあるとも思えない。
ではなぜと好奇心はむくりとわき上がったが、もちろん知りすぎるのも危険だとぐっとこらえた。エリックは思わず考え込むマリアベルの様子を楽しそうに見ていた。
きっと実際に疑問を口にすれば、彼は喜々として詳細を話してくれたとマリアベルは確信している。
しかし、伏せられたことを知りすぎるのは危険だ。もうすでに知りすぎてしまったような嫌な感覚もあった。
もしかすると全部が全部本当のことを話していたわけではなく、幼なじみをからかって冗談でも口にしていたのかもしれないとマリアベルは自分の心の安静のために言い聞かせた。
幼少時はやんちゃでいたずら坊主だったエセルバートは、どこをどう間違ったのか今では真面目を絵に描いたような人だ。もちろん、対外的に真面目さを装っているだけという可能性もあり得るが、基本的に兄王子は嘘をつけない真っ直ぐな人だから本当にそうなのだとマリアベルは思っている。
いつ何をどう間違ったのかも、おおよそ見当がついていた。
エリックが発想し、エセルバートがノリに乗った「王妃さまのお茶会異物混入事件」だ。
マリアベルは今でも王妃主催の茶会のためのお茶に彼らがこっそりお酒を仕込もうとしたときのことを思い出すと背筋が凍るような心地がする。
あれは他愛ないいたずらとするにはたちが悪すぎた。なにせ、ことは客のもてなしへの異物混入である。
いかなる手段によってか王子達は蒸留酒を手に入れ、小瓶に詰めたそれをポットの中に垂らそうとたくらんでいたのだ。
彼らの作戦を耳にしたマリアベルはなんとか説得しようと努力したが、微量だから問題がないと王子達はちっとも取り合ってくれなかった。
王妃の子である王子は参加できても、側妃の養い子であるマリアベルは問題のお茶会には参加できないし――何より、現場にいたところで二対一では止めきれる自信もなかった。
困ったマリアベルは叔母にそれとなく話を通せばいいものを、恐れ多くも王妃に直接王子達のたくらみをこっそり告げ口した。
性質は寛大な王妃ではあるが、この人は冷え冷えとした美貌の持ち主である。
王妃はマリアベルの訴えを聞いて激高することはなかったが、すうっと目を細めて手にした扇を閉じたものだった。
「愚かなことを」
呟いた彼女は、マリアベルにあとで息子達には釘を刺しておくのでいつも通り過ごすように命じて下がらせた。
エセルバートが変わり始めたのはその後のことだから、母にこってりと絞られて心を入れ替えたのではないかと予想できた。
いつも飄々としているエリックでさえあれから大それたいたずらを口にすることがなくなって、マリアベルは大いに胸をなで下ろしたものだ。
真実はどうあれ、すっかり真面目になってしまわれたかつていたずらっ子であった第一王子殿下は、王太子に指定されて以後浮ついた噂一つない堅物ともっぱらの評判だ。
王宮侍女に手を出す不埒な貴族子息の話はいくらでも耳にするが、王子達については一切聞いた記憶がない。
もちろん、マリアベルの預かり知らぬところでうまいこと遊んでいる可能性は十分にあり得るが、少なくともエセルバートについてはそんな器用なことはしそうにない。
彼は昔から真っ直ぐな人だった。素直にそのままでいられるような身分の方ではないけれど、本来の性質から大きく離れた成長は遂げてはいないだろう。
エリックはその辺り上手に遊べそうな器用な人だけど、こちらは自分の立場を十分に理解しているのでうかつなことはしていないと考えられる。
ついでに従弟のエルバートはというと、まだ女遊びに興味のある年齢でさえない。
女の子の方が先に大人びるといっても限度がある。従弟と同い年の女の子にあの王太子殿下が想いを寄せるなんて想像しがたいものがあった。
さてどこまでが本当で、どこからが冗談なのか――思い返すと判じかねる。
すべて冗談で仕掛けるほど、第二王子が暇だとは考えられない。
だとすると。
お仕着せではない数少ない私服のドレスがしわになるのを覚悟の上で、マリアベルはベッドに突っ伏した。
――半端な者に聞かれては自らの身辺を怪しくさせるマリアベルに対する告白だけは、真実なのかもしれない。
困ったいたずらの好きな人だけど、本気にされては困るようなたちの悪い冗談を口にするほど迂闊ではないはずだとマリアベルは知っている。
なにか叫び出したいような気持ちをシーツを握ってこらえ、マリアベルはうめいた。
「……っ、リックさまは、もっと器用な方と思っていたのだけどッ」
巧拙を論じる以前の、直接的な言葉で話を切り出すなんて、まったくエリックらしくない。
そのらしくなさがかえって本気であると自分に伝えているようで、今更ながらわき上がる羞恥心に身悶えし……マリアベルははたと我に返る。
「でも……よくよく考えたら、愛情表現は苦手な人だったかしら」
過去を思い返すと、そうである気はした。
とにかく色恋沙汰の噂のない人だから、例えで思いつくのは残念ながら彼の初恋の人などではなく、姉であるフィーア王女のことなのだけど。
思い返せば彼の不器用な愛情表現は、遠方で療養する姉王女の姿を残すために絵を学ぶところから始まった。
王位継承もあり得る王子の趣味にしては本格的に絵を学ぶ姿勢をとったから、彼は本気だった。
王女に近しい年頃の娘としてマリアベルはその修行に付き合わされたものだ。そのかいあってか、今ではエリックの描く絵は一定の評価を得ている。
もちろん王族への媚びで過剰に評価されている可能性も否めないが、少なくともマリアベルが見る限りはエリックの腕は上々だった。
国王が魔女に頼み込んで時々見せてもらう王女の姿を、その人だと分かるようにキャンバスの中に収めてみせるのだから、記憶力もなくてはものにならなかったのだろうけど。
ただ親愛の情を表現するのに彼が選んだのが絵である辺り、はじめから少し変わっていた。
王女殿下が長い療養生活を終えたのは彼が十五の頃で、その時に彼の不器用さはさらに露わになった。
当時、降って沸いたように急に王女のお戻りが決まって、城は大層な騒ぎだった。
発端は友好国の王太子が王女に会いたいとおっしゃったからだそうで。しかしその原因は、国王が娘を散々自慢してのけたかららしい。
王妃の縁戚のその王太子殿下は、ツァルトの双子王子の従兄弟でもあり、断りきれなかったものらしい。
当時は王家と距離のある配属だったマリアベルにとっても、それは転機だった。
なるべく王女に年が近く、信がおける者として、王女の側付きに取り立てられたのだ。余計なやっかみを避けるために素性を伏せ慎ましく過ごしていた彼女は、あえて上を目指そうとは思っていなかったのだ。
事情を知る古馴染みの侍女長は「そんな貴女だからです」と断言して尻込むマリアベルの背を押し、あろうことか彼女を王女付きの頭に据えた。
実際、集められた面々を見れば納得の人事でもあった。
鄙びたところでゆったりと過ごしていらっしゃったという王女のための侍女はどちらかというと位の低い素朴な若い娘たちが選ばれていた。
もちろん王女付きになれるだけの素質を備えた優秀な者ばかりだったが、対外的にその筆頭を名乗るには身分以上に年齢と経験が足りなかった。
マリアベルも王女付きの筆頭を名乗るには若かったが、彼女たちの中では一番経験があり、一応は身分の裏打ちがあったというわけだ。
結果として、マリアベルの配属は王女にとって悪いことではなかった――と、彼女は今では考えている。
王城暮らしに慣れない王女の元へ、王子達が日参してきたからだ。しかし人慣れしない彼女は毎日のように彼らが三人そろってやってくることにすっかり参ってしまった様子だった。
どうにも、王女にとって異母弟たちの訪問は好ましくなかったようだ。
半分血のつながりがあるとはいえ、長い療養生活の間あまり周囲に人がいなかったらしき王女に彼らはよく知らない異性だったのだろう。
双子王子は帝王学を学ぶかたわら公務を任され始めた時期であったから、予定を合わせるのも難しかったはずだ。
それをどうにかどうにかやりくりつけて、とにかく三人そろって姉と距離を詰めようと、彼らは必死に押すばかりだった。
一刻も早く親交を深めたいと前のめりがちな王子たちにやんわりとお引き取りいただくのは、王子たちとある程度気心が知れているマリアベルにはうってつけの役目だった。
お互い立場があるから節度を保っての話だけど、他の侍女ではああはできなかっただろう。
「兄上達が大好きな姉上は僕も大好きだから仲良くなりたい」と無邪気なエルバートがそうであったなら、まだわかる。
思いこんだら一直線のエセルバートが、猪突猛進したのも理解できた。
しかし、エリックの必死さには違和感があった。
常の彼ならば、人の心の機微には敏感なはずなのに、がっついてくる弟たちに姉王女が引き気味だった事に全く気付いていなかったからだ。
そんなわけで大好きな姉上に慣れてもらうまで随分遠回りしたようだから、器用なようでいて肝心なところで不器用なのだなとマリアベルは思ったのだった。