3.第二王子と王妃の侍女
卒のないエリックのことであるからこの場は十分に人の目に付かない配慮がされているだろうが、あくまでここは庭園だ。
王宮にいくつもあるうち特に限られた階級にしか解放されない庭園であっても、建物の中から目の良い者が外に視線を向ける偶然でもあればこの顔合わせが知られる可能性は考えられる。
わずかでもそんな可能性もある場所で彼がこのような話をしはじめたのもあるいはたくらみのうちの一つなのだろうか。
だとしたらそれはいかにもエリックらしいなとマリアベルは思った。
幼い頃、いたずらを思い付くのはたいてい兄であるエセルバードだったが、まれにエリックもなにやら「いいことを思いつきました」とよからぬことを言い出すことがあった。
後で笑い話になるのがエセルバードのいたずらで、下手をすれば罪になりかねないのがエリックのいたずら。
お互いに片割れの思いつきに「いいね」と乗っかるため双子の王子はいつも暴走しがちであり、協力して事に当たるのだから罪は同等だったが。
姉代わりとしてなんとかそれをいさめようとしたマリアベルではあったけれど、二対一では分が悪く――さらには王子たち相手に意見を押し通すほどの強さもなく、彼女は彼らの巻き添えを食うのが常だった。
ずいぶん久々に巻き込まれることになるのかしらとマリアベルは考えた。
あいにく、エリックが何をどう考えてマリアベルを引き込もうとしているのかはさっぱり理解できなかったが。
「エセルさまに婚約者さえいらっしゃらない状況で、年増の私に求婚する意図はなんなのでしょう」
それでも理解できないなりに、王太子に特定の相手がいない現在、王位継承権第二位のエリックが先に伴侶を得る事に問題があることは分かる。
王太子と双子であるエリックには慎重な行動が求められているし、彼はそれを十分に理解しているはずだった。
兄より先に伴侶を得る危険性など、マリアベルが指摘するまでもなく知っているはずだ。
伴侶を得るということは、子を得る可能性があることを意味する。エリックが先に後継を得ることになれば、穏やかに纏まったはずの物事がひっくり返ることが万に一つないとは言えない。
じっと自らを見つめる視線にエリックは居心地悪げに身じろぎをした。
「相手が貴女だからこそ、今なんですよ」
いつも堂々と悪びれない人の珍しい様子と、その言葉にマリアベルは目をぱちくりとする。
「下手をすると貴女が婚期を逃しそうだから、今動かざるを得ないんです」
言葉選びの微妙な失礼さはいかにも彼らしいけれど、エリックがいじけたように口にするのもまた珍しい。
実際のところ、二十歳を過ぎてしまったマリアベルは婚期を逃しそうというよりは逃したと言ってもいい年齢だから、残念ながらさほど失礼な話でもないのだが。
「僕だって、可能ならばエセルが身を固めてから貴女にアプローチしようと思っていましたとも!」
ぱかりと口を開けて惚けてしまうマリアベルに、とうとうエリックは叫んだ。
「エセルが婚約も成さないうちに僕が結婚してなおかつ先に子供が産まれたりしたらさぞや面倒なことになるということは僕だって理解していますよ」
やけになったように彼はまくし立てる。
「もうとうに王太子が定まったというのに、水面下でなにやら動く輩がそれはもう面倒なことをしそうなこともわかっています」
「でしたらなぜ」
「だから貴女が、婚期を逃しそうだからと言いました」
心なしか、彼の目が据わっているように思える。
マリアベルはあまりの剣幕に少し引いた。じりと後ずさってすぐに椅子の背もたれに阻まれてしまったが。
「エセルが身を固めるまで待っていたら、貴女に逃げられるに決まってます。今でさえ、逃げ腰なんですから」
マリアベルはおろおろと視線をさまよわせる。ここに誰か救いの手がいないかと愚かにも期待した。
しかしここは第二王子が人払いをした王宮庭園の一角であり、見る限り誰の姿もない。近くの茂みに彼の従者や護衛の一人や二人隠れていて会話が聞かれていてもおかしくないけれど、主に忠誠を誓い、よくしつけられた彼らが姿を現すようなことはない。
ここは見過ごせないと出てきて主を諫めるべき場面だとマリアベルには思えるのだが、全くそんな兆しがなかった。
「僕は割合、貴女への好意をあからさまにしてきたつもりなんですが、ちっとも気付いていただけていない――それはまあ、それでもよかったんですよ」
エリックがこちらを見た気配をマリアベルは感じた。おそるおそる、彼を再び視界に収める。
エリックはちょうど、ため息をついたところだったので目は合わなかった。彼の言葉通りに、自称あからさまな好意とやらに気付きもしていなかったマリアベルはそのことに少しだけほっとした。
「貴女は仕事にばかり熱心で、男にうつつを抜かすようなことがない。自分が誰かと添い遂げるということを想像してみたことさえなさそうですから、安心していました。
これまでは貴女が僕の気持ちに気付いていなくても、他の誰かのものにならないのならばそれでよかった。いつか、そのうち、エセルが落ち着いたら……僕は常々自分に言い聞かせていました」
エリックの方も正面からマリアベルと視線を交わすことにためらいでもあるのか目線を落としたままだ。
貴族的な言い回しではなく、そこには本人が先ほど口にしたとおりにあからさまな好意が含まれているのがマリアベルにでも分かった。
果たして、これまでもそうだったのだろうか?
マリアベルは首をひねったけれど、さっぱりわからなかった。エリックとこれだけ間近で親しく言葉を言葉を交わすのは長らくないことだった。
思い出せる限り、ここまでのことはなかったはずだ。彼ら兄弟との間に疑似兄弟にも似た親愛の情があることくらいは理解していたけれど。
「その落ち着く先が数年後だと判明するまでは、それでかまわなかったんですけどね」
「そう、ですか」
ゆっくりと相づちを打ってから、マリアベルははたと気付いた。
「数年後ですか? それはどういう……いえ、なんでもないです」
昔懐かしい雰囲気についつい気安く問いかけてしまってから、マリアベルは慌ててごまかした。
いくら幼なじみ相手でも、王太子の今後のことなど一侍女が気軽に聞いていいことではない。
「なんでもないことはないです」
エリックはそう言って微笑むから、マリアベルは大急ぎで立ち上がった。
これは彼がよからぬ事を思いついた表情だと気付いたからだ。
「わ、私はこれで失礼しますわ!」
「マリア」
きびすを返そうとしたマリアベルは、有無を言わせぬエリックの声に立ち止まらざるを得ない。
「僕の用件はまだ終わっていませんよ」
「ですが、私の聞いていい話ではありません」
「何を言っているんですか」
エリックは宥めるように笑みを深めた。
「貴女は僕の将来の妃です。エセルの――兄上のこととは無関係ではいられませんよ」