1.伯爵家の娘で、王妃の侍女
マリアベルは、一応は由緒正しき伯爵家の娘だ。
一応とつくのにはいくつかの理由があるが、一番当たり障りなく人に説明しやすいのは現在の彼女が王宮勤めの侍女だというものだ。
王宮に侍女として採用されるにはそれなりの後ろ盾が必要だが、入ってしまえばその背景は関係ないものとされるのが慣習である。
結婚するために箔付けの一環として一時的に行儀見習いとして採用される侍女であればその辺りを理解しないものもあるが、マリアベルは二十二歳と若手ではあるがもう十年近く勤め上げているベテランだ。
そこらの若い娘のような心得違いなど起こすはずがない。
起こすはずがないが、マリアベルは平然と彼女に声をかけ、隣に座るように促してきた王子殿下にどう反応すべきか迷った。
マリアベルは現在、王妃付きの侍女をしている。とはいえ、お輿入れから王妃のそばに控える古参の侍女ほど常に主の側に侍るわけではなく、若い彼女は使いに出されることも数多い。
だが、第二王子エリックは彼女の主である王妃サリアナの息子であり、王妃の側に侍っていればほぼ毎日のように彼と顔を合わせる機会があるのだった。
だから決してエリックが言うように「お久しぶり」ではない。
ただ、職務中の一侍女が王子と言葉を交わすようなことはあり得ないので、親しく名を呼ばれるのは久しぶりなのだが。
二人の間を隔つ何もかもを知らぬげに珍しく個人的に顔を合わせたかと思いきや、ろくに言葉を交わさぬうちにとんでもないことを言われてしまって、混乱は深まりはしてもとても平静にはなれそうにない。
「どうぞ」
王子に促されたマリアベルは、困惑したまま彼の正面に腰掛けた。
マリアベルの名を親しく呼んだくらいだから、彼女が現在職務中にないことをエリックが承知していないはずはない。実際、きちんと主の許可を得て仕事を離れていた。
加えて、この場が王族がいるにふさわしく人払いをされていることもマリアベルは理解していた。
庭園には視界を遮る植物が数多く植わっていてさりげなく見回しても王子以外は彼女の視界には入らないが、警備のためにそれとなく周囲に人が配置されている中を通り抜けてきたのだ。
なにせ、マリアベルが待ち合わせていた従弟であるエルバートは第二王子エリックの異母弟である第三王子なのだから。マリアベルの叔母マイラは国王の側室なのだ。
まだ幼さが抜けきらず、末っ子とあって甘えがちなエルバートの我が儘でこの場は設けられたはずだったのだが――現実にマリアベルの目前にいるのはその兄であった。
「バートはどうしたのでしょうか?」
先ほど耳にしたはずのとんでもない言葉を意識しないでいられるように、マリアベルは話を逸らした。
成長したとはいえまだ大人には遠い従弟には、兄たちとは違って公務とされる仕事はほとんどない。
言ってみれば将来に備えて学ぶことこそが彼の仕事だ。国を継ぐ長兄とその補佐を目指す次兄ほど厳しい教育ではないようだし、あらかじめ予定されていた約束を急に反故にするほど急ぎの用事が彼に入るとは思えなかった。
それに、万が一そのようなことが起きたのならば、多忙な次兄に伝言を頼まずともマリアベルに知らせる手段はいくらでもある。
「それについては貴女に謝らなくてはなりません」
マリアベルの問いかけにエリックは口を開いた。
「バートの名を使いましたけど、今回ははじめから僕が貴女を呼びだしたのです」
「えっ?」
「当たり障りなく貴女とお会いするには、それが確実かと思いまして」
エリックは謝らなければと口にした割には悪びれたそぶりを見せずににこりと口角を上げた。
「正攻法で渡りを付けても、身分だのなんだのを盾に貴女は遠慮するでしょう?」
「当たり前です。お互いもう子供ではないのですから」
「その姿勢は大変好ましいのですけどね。人づてで求婚するなんて冗談じゃありません」
再びエリックの口から飛び出してきた問題発言にマリアベルは息を飲む。
「その求婚とやらこそ、何のご冗談なのでしょう」
「冗談だなんて心外ですね」
エリックは真っ直ぐにマリアベルを見つめた。
「僕は本気です」
言葉通りの本気が滲む真剣な言葉を聞いたマリアベルは、それこそ冗談でしょうと叫びたいのをギリギリのところでこらえる。
だけど第二王子が自分なんかに求婚するなんて、 冗談以外の何者でもないと思えた。