16 覚悟を決めて
「リックさま」
このままなあなあで誤魔化して、何事もなく穏やかに日々が過ぎゆけばいうことはないのだが。
往生際悪く考えながらも、マリアベルは覚悟を決める。及び腰でいてもいずれ追いつめられるだけだと経験上明らかだった。
結局どうしようもなくなるのなら、前向きに事に当たりたい。
居住まいを正した彼女を見て、エリックもマリアベルの意図を察したようだった。
神妙な顔つきでじっと見つめてくる視線は鋭くて、つい逸らしたくなってしまう。
「……リックさまのお気持ちは十分に理解しました。ちょっと――その表現の仕方は下手をすれば誤解されると思われますけど」
「受け手であるマリアにさえ誤解されなければ、他の誰になんと思われようと構いませんけど」
「多少は考えた方がよいと思います」
マリアベルは忠告してみたが、きっと無駄だろう。
些末なことを彼が気にするとは考えがたかった。王族はもっと大局的なものを見るものであり、ある程度の傲慢さが許されるものだから。
マリアベルは頭を振った。
実際にエリックの行動に嫌悪感を感じない自分が何を言っても響かないだろうと静かに諦める。
折を見て忠告を重ねていけば、そのうち少しは受け入れてもらえるかもしれない――マリアベルが今後も彼の側にいることができれば、だけれど。
はたして周囲に許されるものなのか、彼女にはわからない。
マリアベルには許されない未来は容易く想像できたが、許されることは想像しがたかった。
しかし、万事に卒がないエリックが勝算もなしに動くとも考えにくい。彼の愛情表現に難があることを考え合わせると、どうなることやら読めなかった。
「ただ、私自身はリックさまのお気持ちは、理解できたものと思います」
それならよいとばかりにうなずくエリックにはやはり考え直すような気配も見えず、さらには自信たっぷりだった。
「ではそろそろ、僕の妃になる決心はつきましたか」
まるで未来を確信しているような口ぶりに、抵抗するのは馬鹿らしくなってしまう。
「それが許されることでしたら」
マリアベルは静かに首肯した。
それは分不相応な、大それた決心だった。許されなければ、自分は何もかもを失うだろう。数少ない親族と、幼馴染みたち。さらには現在の職も。王子妃を望んで叶わなかった身が、このまま侍女の職に付き続けることは難しいだろう。
そうなった場合は、きっとよいようにエリックは動いてくれるだろうが、せいぜい残されるのは我が身とこれまでほとんど手付かずでいた給金くらいか。
この数年は王族側に侍っていたマリアベルはそれなりに高給取りだ。人生の半分以上を城の内で過ごした彼女は市井に疎いが、王都を離れ慎ましく生活すれば自分の生涯を全うすることはできるのではと考える。
ようやく望みの答えを得たはずのエリックは、あんなに自信たっぷりだったくせにマリアベルの真意を探るように彼女のことを観察している。
じっくりとマリアベルを上から下まで見て、ようやく一つうなずいた。
「もちろん許されるに決まっているじゃありませんか」
彼の口から飛び出たのは、自信に満ちた言葉だ。
「王子が自ら望み王の許可がおりれば、何の障害があるでしょう」
決まったことに陰で文句を言う人間はいくらでもいる。
それを知っているだろうに、エリックは平然としている。その際に文句を言われるのが、高貴なる第二王子殿下ではなくマリアベルなのだろうが。
「そもそも、陛下がお許しになるのでしょうか」
「父上は諸手をあげてお喜びになりますよ」
その自信の根拠を知りたいと思ったマリアベルの心を読んだかのように、エリックはフッと笑った。
視線がなんとなく謁見の間がある方を向けて、彼は厳かに口を開いた。
「姉上と親しい貴女が、双方同意の上で息子の伴侶になることを望めば、あの人がうなずかないわけがないでしょう」
マリアベルは思わず「ああ」と漏らす。国王陛下は賢王と呼ばれるほどの傑物ではないが、愚王ではない。凡庸と言えば聞こえが悪いが元々第二王子であり、帝王学よりも剣に熱中していた過去があるにしてはよく国を治め、治世は安定しているとされる。
そうであるからして王城で勤めるマリアベルたち使用人にとっては充分に優秀で偉大なる国王陛下なのだった。
ただ、寵妃と愛娘のことに関してはたがが外れがちな点を除いては。
あの陛下なら「フィーアの気に入りの娘なら」とあっさり息子の結婚を認めそうだった。
マリアベルはエリックより年上で出生も少々怪しいが、世継ぎの王子ほどには妃に求められるものは多くないであろうから。
「そんな簡単なことでいいのでしょうか」
「マリアの人となりは父上もご存じのことですからね」
マリアベルの懸念をよそに、エリックはけろりとしたものだ。
幼い頃いたずらを成功させた時のようなわかりやすい機嫌の良さを見せている。
(そうか)
自分が決めるべきは去る覚悟ではなく、この愛情表現の下手な王子殿下の隣に本当に立つ覚悟だったかとマリアベルは悟った。
とても心許ない気分になるし、現実味も感じられない。
ただ、実行すると決めたならば完遂するまで手を抜かないのがエリックであり、これまで幾度となくそれに巻き込まれてきたのがマリアベルだった。
彼女はごくりと息を飲んだ。
この矮小な身の上で王子妃など恐れ多いことだ。だけど、そうなることによって誰はばかることなく彼の側にいることできるようになるのならば、喜ばしいことだった。
憂いはないとは言えない。想像もできない苦労もあるだろう。
でも。
「それでは、末永くよろしくお願いいたします」
まだ愛をささやくなんてとても無理だけれど、精一杯の気持ちを込めて頭を下げたら、エリックが素直に嬉しそうにうなずいてくれたのでマリアベルはこの先に幸いがあることと信じることにした。