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第二王子と幼なじみ  作者: みあ
本編
14/20

13 処女作の秘密

 エリックが作業を中断したのはアレックスが再びぐずりはじめた時だった。

 子を縦に抱いたフィーアが立ち上がりよしよしとあやすのを前に、一旦描いたものを確認するようだ。

 見えそうで見えないそれらスケッチを彼が人に見られることを好まないのを知っているマリアベルは一度退席することにした。


 断りを入れて部屋を出て、見知った公爵家の侍女に湯をお願いする。

 戻ったらお茶を淹れなおして、休憩がてらのんびり三人で話すのも目新しいかもしれない。そんなことを考えていた。


 しかしマリアベルが部屋に戻った時、子を抱くフィーアと、スケッチを抱えるエリックの間に、未だかつて彼女が見たことのない緊張感が満ちていた。

 マリアベルは後ろ手に扉を閉め、そろそろと中央のテーブルに歩を進める。

 日頃おっとりとしているフィーアがまなじりをつり上げているところをマリアベルが見るのは初めてだ。それはきっと、彼女の前で珍しく動揺した気配を見せるエリックも同様だろう。


「マリア」

 異母姉弟がほとんど同時にマリアベルの名を口にしたので、どちらに応じるべきかしばし迷った。

 元主であるフィーアと、現在の主の息子エリック、どちらも尊重すべき主筋であることに変わりない。

「リックがスケッチを見せたくないと言うんだけど」

「姉上がどうしても見たいと言うんです」

 マリアベルが答えを見いだせないうちに先に口を開いたのはフィーアだ。困り果てたようにエリックの言葉が続く。


 マリアベルはフィーアがどこか苛立ったように見えることを不思議に思った。

 元主は恥ずかしがり屋なところがある。そんな彼女が自分の描かれた絵を見たいというところにまず違和感があった。

 この人はかつて自分の肖像画を見た時も、それをもとに作られた絵姿が広く国民に頒布されていると知った時も羞恥で身悶えしていた。

 それが恥ずかしがりもせずスケッチを見たいと言うだけで、以前と違う。またそれを否定されただけで穏やかな彼女が苛立つのも不思議だった。

 自分の絵は恥ずかしくても、我が子の姿はどうしても見たいのだろうか。


「リックさまは完璧主義ですから」

 苛立ちの理由を想像しても不作法に確認できるわけではない。だからマリアベルは努めて冷静にエリックに助け船を出した。

「私も幾度となくモデルにはなりましたけど、一度も見せて頂いたことがありません」

 信じられないことを聞いたように、フィーアは大きく目を見開いてエリックを見ると、

「信じられないわ!」

 大きな声を出した。


 驚いてびくっとした赤子をあわてて揺すりながら、フィーアは明確に機嫌を損ねた顔をする。

「それってどうなの? 私だってどんな風になったかちょっと見たくなるくらいなのに。さんざん協力してもらっておきながら一度もない、とか」

「そもそも、フィーアさまの肖像画を描くための習作でしたもの。リックさまのスケッチを見たのなんて、絵の師だけではないでしょうか」

「基本的にはそうですが、姉上のお顔は記憶だよりに描くしかなかったので父上やエセルには確認のために見てもらったことがあります」

 フィーアはもう一度信じられないっと叫んだ。


「協力してもらうだけで成果物を見せもしないなんてあり得なくない? 完璧主義だからスケッチは見せないし、その上家族の肖像画しか描かないだなんて」

「フィーアさま?」

 単純に今描いた絵が見たいという話がなんだか明後日の方向に逸れていっている。マリアベルはおずおずと口を挟んだが、彼女は一顧だにせずに弟を睨みつけている。

「あのう、私は別に気にしておりません、よ?」


 あの頃慣れないドレスを着ることも、さらにはめかし込むことも、なんだか面映ゆいだけだった。

 昔も今も、そういうことは苦手だ。

 叔母はせっかく綺麗なのに勿体ないと言ったけれど、めかし込んで良いことがあるとは思えなかった。

 明るく美しかったという母は、それがために興味本位の父のお手つきになったのだ。変に色気付いて誰かに目を付けられるのが恐ろしかった。

 平民の母を持つ伯爵家の非嫡出子――半分貴族の血を引き、さらには王家に側室入りした叔母を義母に持つマリアベルは、伯爵家における平民の使用人であった母よりは幾分かましな立場だ。

 だけど王家の温情にあぐらをかいて調子に乗ればどんなことが起きるかわからない。ましとはいっても血統主義の貴族の前ではマリアベルの立場は危ういと考えられる。


 姪っ子を飾りたがったのも叔母ならば、マリアベルにそのあたりの事情を説明して身を慎むべしと諭したのもまた叔母なのだ。

 幼いマリアベルは着飾ることへのときめきよりも、心ない人間の手に掛かる恐怖のほうが大きかった。

 マリアベルは清潔感のある身なりと最低限の化粧だけを自分に許した。そうすれば面白味の欠ける堅物の侍女にあえて目を付ける人間はいなかった。


 つい先日、エリックがとんでもないことを言い出すまでは、誰一人として。


 そんなわけだから、エリックが描いたはずの常にないほど着飾った自分のスケッチを見たいとは考えたこともなかった。

 着飾った姿を鏡で確認することすらおそるおそるのことだったくらいだ。

 マリアベルにとってその姿は虚構の代物でしかなかった。目的は王女殿下の絵姿なのだから、なんなら構図を定めるためだけのスケッチの顔部分は描かれていなくても良かった。

 目的を果たした後は処分していてくれてもいいくらいだ。


「私も一応、以前は家族の枠組みに入れていただいておりましたので、リックさまは私にも絵を一枚くださるとおっしゃったこともあるのですよ」

「それ見たいなあ」

 興味津々に声を上げたフィーアに、マリアベルはゆっくりと首を横に振る。

「そんな恐れ多いこと、他に知れたら大変です」

 想像しただけで身を震わせたマリアベルは申し出を断ったのは自分だと、エリックを庇った。


 不満そうな顔ながら、フィーアが納得した様子を見せたのでマリアベルは安堵する。

「姉上が見たいとおっしゃるのでしたら、お見せすることができますよ」

 しかし、せっかく落ち着いたところを混ぜっ返すように二人のやりとりを黙って聞いていたエリックがとんでもないことを言いはじめた。

 再び眠りに落ちた息子をベッドに降ろそうとしていたフィーアも、ようやく落ち着いてお茶を淹れようとしていたマリアベルもそろって動きを止めた。


 えっと漏らしたのはどちらが先だっただろう。

「姉上が僕のアトリエに来て下さるのでしたら、ですけど。家族しか描かないと常々言っている僕のアトリエからマリアの絵を運び出すのは危険ですから」

 二人の驚きを知らぬげにエリックは平然としている。

「リックさま、あの、どういうことですか?」

「どうとは?」

「私の肖像画があるということなのですか?」

 エリックはあっさりと首肯した。


「どうして!」

「どうしてもなにも。せっかくのマリアの晴れ姿を残さずにいられるわけがないじゃありませんか」

「私は断ったのですけど」

「ええ、マリアには断られましたけど、僕が個人的に描いたものならいくつもありますよ」

「いくつもって……」

「小さいものばかりですけどね。本当はマイラ母上が欲しいとおっしゃったのですけど、他に知れたら大変だというマリアの言にも一理あるとアトリエで眠らせているんです。時々、マイラ母上も見にいらっしゃいますよ」

 けろっとエリックは言うが、マリアベルはどうしてという思いが消せなかった。

 そんなこと初耳だし、エリックが自分の絵を完成させたことがあるなんて考えたこともなかった。


「実は、僕の本当の処女作はマリアの肖像なのですよ」

 にこやかに白状するエリックにマリアベルは絶句した。

 公的に彼の処女作とされるのは、無論彼の最愛の姉姫フィーアだ。エリックが彼女のために絵を志したことは広く知られている。

「今となれば未熟さが目立つのですけど、あれは記念すべき一品です」

 マリアベルは、かつての主のように羞恥でわなないた。何と言っていいのか、さっぱりわからない。

 あえぐようにそんなだとかだってだとか口にしても、それ以上のものは出てこなかった。


「私はあると言うなら是非見てみたいけど、先にマリア本人に見せてあげるべきじゃないの?」

 二人の様子も気にかけつつ、まずは子をベッドに寝かせることを優先させて黙って経緯を見守っていたフィーアが、ようやく口を開く。

 マリアベルにとってはあまり助けにならない内容だったけれど、エリックよりは物わかりのいい人だ。

「それはとても気恥ずかしいので遠慮したいです」

 それに……と、マリアベルは考える。

 自分の預かり知らぬところで肖像画を仕上げたエリックは、おそらくこれまではマリアベルのことを慮ってそれを秘していたのではないだろうか。

 姉に責められたことであっさりと秘め事を明かしたエリックなら、「見せてあげて」と彼女に言われたらどう行動するか想像するに難くない。


 弁の立つエリックの申し出を断る自信はほとんどないけれど、情に訴えてフィーアを翻意させることならば不可能でない気がする。

 マリアベルは「だって、着飾った私なんて私ではない気がしますから」などとともごもご続ける。

「なんだかすごくわかる気がするわ」

 つたなくとっちらかった言葉だったのに、フィーアはなるほどと大いに頷いてくれた。


 高貴な生まれの姫君だけど、病のために素朴に育った方だ。

「私も城に戻った頃は毎日そう思ってたもん」

 そう言われると、マリアベルも当時の彼女が戸惑っていた様子を思い出せる気がした。

「今ではさすがに慣れたけど、まだちょっと不思議な感覚はあるかも」

 言いながらフィーアはふんふんと納得したように頷いている。

 この人が納得してくれたならエリックも無茶なことは言わないだろうとマリアベルはほっとした。

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