11 家族になりたい
「どうして今動くのかという話でしたね」
「えっ? あ、そうですね、だいたいそのような……」
「マリアが僕に――いえ、僕たちに家族のような情を感じてくれているのは喜ばしいことです」
「それはありがたいことです」
「でも貴女はどうしたって、一線を引いてしまう。立場を気にしてという面もあるのでしょうね」
もちろんとばかりに頷いたマリアベルを、エリックはじっくり観察している。
後ろ暗いところはないはずなのに、見透かされそうな眼差しに彼女は身震いした。
はたして。
「ただ、それ以上に貴女が気にしているのは、血のつながりなのでしょう。マイラ母上やバートに対しては、貴女はもう少し気を許しているように思える」
「それは、だって」
なにか言い返そうとしたマリアベルは、だけど彼の指摘が当たっているのではと気付いて言葉を失う。
我が意を得たりと微笑むエリックの顔は、かつてろくでもないいたずらが成功した時のそれと同じようだった。
しかしそれでいて、マリアベルの知らない何かが含まれているようにも見える。
マリアベルが真に彼と親しく過ごした時はもはや遠い。お互いに成長し大人になったのだから、それが何かわからなくても無理はない。
「だから僕は思うのです。貴女に家族を作って差し上げたいと」
先ほどと似ているようでいて、少し違う言葉に混乱は深まるばかりだ。
「家族……」
呆然と呟きながら、だからこそ今エリックは動こうとしているのだとマリアベルは悟った。
結婚適齢期というものは、そのほとんどが子を産むのにふさわしい時期と被っているのだ。
しかし、どうして彼がその結論に至った理由はさっぱりわからなかった。
「貴女はあまり血縁に恵まれなかったにしては、血縁というものに憧れを持っているように思えます」
冷静な言葉にマリアベルは息を飲んだ。そうかもしれないと瞬間的に感じたからだ。
「そうでしょうか」
認めがたくてわからないふりで呟くと、エリックは自信ありげにうなずいた。
「貴女にはマイラ母上がいるのですから」
そしてマリアベルにとって、もっとも身近な親族の名を挙げる。
厳しくも優しくマリアベルを慈しんでくれた育ての母の名は、彼女を揺るがせた。
「そして、僕らが貴女に希望を抱かせていると考えます」
「希望、ですか?」
今度は本当にわからなくてきょとんと問いかける。
「僕の家族構成は少々特殊ですから」
エリックは口元に皮肉な笑みを浮かべる。マリアベルは彼の家族構成を思い起こした。
彼の家族――つまりすなわち国王一家の家族関係は、確かに特殊だ。
そもそもツァルト国において公然と側室が認められるのは国王その人のみだ。
当代陛下においては、外交を補佐する友好国出身の王妃サリアナ、国内については疎かった王妃を補佐する役目を負った第二妃マイラ、平民出身で特に負う役目のない――あるとすれば王を癒す役割持つ第三妃ファーラの三名が王の妻として認められている。
歴史を紐解けば唯一の妃を愛した王もいるし、もっと沢山の妃を得た王もいるらしいが、歴史上もっとも上手に後宮を制御しているのは当代エドウィン王ではないかとささやかれている。
なにせ歴史上付き物の後宮の女の争いというものが全くない。そして女たちが仲良くやっているからか、それぞれの産んだ子も仲がよい。
産まれた直後に母を亡くし、父や祖父母に疎まれ、叔母の愛情のみでなんとか成長していた幼い頃のマリアベルは。
母が違う姉を無邪気に慕い続ける王子たちの様子に、確かに家族の絆というものを感じ取った。
第二妃の養女として、非公式ながら王家の私的な団らんへの参加が認められたマリアベルは、彼らの関係に自覚以上に大きな憧れを抱いているのかもしれない。
自信たっぷりなエリックの様子に、マリアベルはついそのように考えてしまう。
それを突き詰めて考えてしまうのは良くないのではないかと頭の片隅で感じながら、彼の発言を認めざるを得ない心地になってきてしまう。
何か悔しい気がしてマリアベルは唇をかみしめた。
「貴女は愛情深い方です。ですから、そんな貴女が子を得たら幸せになるのではとふと思ってしまったのです」
「そんなこと、考えたこともありません」
固い声を出すマリアベルにでしょうねとあっさりエリックはうなずいた。
「それにリックさまが、御子をお望みとは意外です」
マリアベルは彼が子を望むことが不思議だった。エリックは特にそんなことに興味がないように思えていた。
「まあ、僕は兄に何かあった時のための予備ですので、特に望んでいるとわけでも周囲に望まれているわけでもいうわけではないのですが」
エリックはゆったりした口振りでマリアベルの考えを肯定する。
「まあ、王太子の双子の弟という立場上は、本来兄より先に子を得るのは逆に望まれないと言ってもいいかもしれませんね」
「でしたらなおのことなぜ、今」
食い気味に問いかけたマリアベルに、エリックは返答に迷う素振りを見せる。
「僕としては、貴女が隣にいてくれさえすればそれでかまわないところがあるのですが」
「ええ」
「夫婦になっただけで貴女が僕を家族認定してくれるか怪しいところですし」
エリックはそこでよからぬ笑みを見せた。
「それに、エセルが無事に想い人を伴侶として得られるよう、協力しようと思いまして」
「なにをたくらんでらっしゃいますか」
マリアベルは一瞬息を飲んで、彼はきっとろくでもないことを言うに違いないと確信しながら嫌々尋ねた。
「たくらむとは実に心外です」
「日頃の行いです」
傷ついたふりをするエリックにぴしゃりと言ってのける程度の強さならマリアベルは得ていた。
エリックはそんな彼女をご機嫌で見つめる。
「王太子殿下が子をなすことができないのではないかという噂をいくつか撒く予定です」
「噂ですか?」
「異母姉に道ならぬ想いを寄せて操をたてているだとか、男色だとかそういうアレですね」
にっこり言い放つエリックの発言はやはりろくでもない。
「それは、エセルさまがお怒りになるのでは?」
「大丈夫ですよ」
遠回りに諭そうと口にした名にエリックはそよとも揺らがなかった。
「あの人が他に目を向けるつもりがないのであれば、年頃の婚約者候補が自分を諦めるように僕が動いて少々周りに胡乱な噂が流れたところで文句は言わないはずです」
余所見をしそうにないのは真面目なエセルバートらしくあると認められたが、だからと言ってエリックの行動を黙認するだろうか。
マリアベルの知る限り現在の王太子殿下は真面目で潔癖さを感じさせる美丈夫だ。事実をねじ曲げるようなことを好みそうはない。
もちろん、そう見えるだけで潔癖なだけでは生きて行けぬ立場だ。
それに――マリアベルはそこではたと思い出した。
この双子はかつてどうしようもない悪戯が好きな悪童であったなと。今でも目的を果たすためなら弟の悪のりに目をつぶることくらい今でもするのかもしれない。
「世継ぎの君が子をなせないだなんて不名誉な噂、ともすれば立場を危なくすることでしょうに」
ため息混じりにマリアベルはつい口にしてしまう。
「そんなことで揺らぐわけありませんね」
エリックはそれを体現するかのように全く動じない。
「姉上が最大派閥のルガッタに嫁いだことで王家の立場は盤石です。王位継承順位の高い僕もバートも、王位に野心は抱いてませんしね」
「でも」
言いかけるマリアベルをそっと手で制して、エリックはにっと笑う。
「なに、王太子に子がなせないというのなら、同腹の王子である僕の子でも養子に迎えればいいんですよ」
かつてのいたずらっ子の発言に、マリアベルは大きく息を吐いた。
心なしか痛くなった頭に手をやりながら、エリックのたくらみを理解してしまう。
「それで、これといった後ろ盾もなく、気心が知れていいように扱える幼なじみを妃に迎えようとお考えですか」
あらかじめ内情を詳らかにしておけば、まかり間違っても野心を抱かない女だと信頼してもらえたのが良かったのか悪かったのか。
他人の人生を盤面に乗せて知的な遊戯でもしているつもりなのだろうか。
これはさすがに許容できかねると怒りをもって睨みつけるマリアベルにエリックは両手を上げる。
「違います」
「何が違うのです」
「僕は自分の思い通りになる妃が欲しいのじゃありませんよ」
「どうだか」
マリアベルは冷たく吐き捨てる。
先ほどまでもっともらしく語られたあれこれが、とたんに胡散臭く思えてしまうのは彼の日頃の行いだ。
その日頃は遠い昔のことだけど、エリックの中身は成長しているようでいてそうでもないらしいと彼女は認識した。
「僕は」
エリックは笑みを引っ込めた。
「自分の隣に貴女がすんなり収まってくれるように、周囲を整えようと考えただけです」
一瞬怒りを忘れて瞬きするマリアベルからばつが悪そうに目をそらし、
「ついでに、エセルにも都合がいいようにしようと思ってますけど」
あっさりと白状する。
「僕だって本当は、エセルが無事に妃を迎えた後に動こうと思ってましたとも。その方がきっと簡単でした」
そしてぼそりと彼が続けたのが「貴女の後ろ盾が弱い方が後々面倒くさくないと言えば乗り気でなくても検討してもらえると思ったんですよね」なんて言葉だったので唖然とした。
完全に怒りを忘れて、マリアベルまじまじと幼なじみの第二王子殿下を見つめた。
「それは、あの」
優秀の呼び名の高い――暗に計算高いとも腹黒いとも言われることのある人の言葉とはとても思えなかった。
ダダ漏れで筒抜けなところが、特に。
「諸々に都合のいい私が必要なのでなくて、私がいること前提の計画というわけですか?」
「もちろんです」
迷いなくエリックはうなずいた。
マリアベルはなんと言っていいものか、わからなくなった。
考えれば考えるほど、色々ひどい。経験上言っても無駄なのだろうけど、苦言の一つや二つ口にしても許されるのではないかと思った。
だけど彼女は大きく息を吐いて、いくつもの言葉を飲み込んだ。思い付くままに口にしてしまえば、大事なことがおろそかになりそうだった。
「あのう」
マリアベルはおずおずと口を開く。
「つまり、そこにあるのは私への好意なのですか?」
エリックはうなずいた。
「先日そうお話ししたはずですが、またそこから説明しなくてはなりませんか?」
不満そうに言うと、彼は大仰にため息をつく。
「引かれない程度に、できうる限りの表現で伝えたつもりでしたが……足りませんか」
エリックの言う通りだとマリアベルは思い出す。いろんなことがありすぎてすっぽり頭から抜けていた――そう理解して、気が遠くなりそうになる。
はっきり言われていながら、信じないなんて本来ならば失礼な話だ。
しかし反論が許されるのならば、常のエリックの言動がよろしくないと口にしたい。幼い頃から散々に振り回されたマリアベルだからこそ、すんなりと彼の発言が信じられない。
ただ、全部が全部信じられないわけではないのが判断に迷うところだ。
今回だって、根底に好意があるとしたって――いや、だからこそ。その好意を疑わせるような裏事情をマリアベルを口説き落とす前に告げるのは悪手にもほどがある。
好意を信じて欲しいなら、もっと最適な行動がきっとある。
マリアベルはかつて弟のように感じていた第二王子殿下を見て、彼が取りうる最適な行動について考えてみる。
彼が素直に好きだの何だの言ってくれたところで、きっと結果はあまり変わらない。
マリアベルはエリックの正気を疑うか、何をたくらんでいるのか訝しんだろう。
愛をささやくエリックなんて想像しがたかった。マリアベルに妃になるように言い、好意を伝えてくれただけで、彼としては上出来の部類だ。
王位継承争いを避けるべく、ほぼ同格ながら一応は兄であるエセルバートに王太子の座を譲る時だって、偽悪的に「裏でエセルを操る方が楽しそうですからね」なんてうそぶいていたくらいなのだから。
相変わらず愛情表現が不得手らしいと思えば微笑ましくもあるが、これまでの言動を思い返せば浮かぶのは苦笑いになってしまう。
「十全ではないかと、思います」
何を言うべきか思案にくれているらしきエリックにマリアベルは伝える。本当に何か言うべきなのは、彼でなく自分だ。
不器用な愛情表現をうまく受け取り損ねていたマリアベルにはすぐさま彼への返答は出来そうにないけれど。




