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第一話『幽霊タクシー』

『放課後遅くまで一人で屋上にいると、ハリツキさんが現れ、屋上から突き落とされてしまうらしい。突き落とされたくなければ、好物のイチゴ味の飴を二つ渡さなければならない』



 薄暗いタクシーの中で、あなたを見ていた。

 無意識にかそうでないのか、あなたは自分の左の頬を二本の指で軽く挟んでいる。タクシーに乗っているというこの平凡な状況が、あなたにとっては夢に思えるほど非現実的なものだったらしい。

 しかし目を瞑っても指を回しても、夢のように場面が移り変わることはない。

 頬に指を当てたまま首を傾げ、あなたは窓の外の景色に目を移す。外にあるものは闇だ。街の光も、或いは山道に在るはずの街灯でさえも存在しない、概念をそのまま垂れ流したかのような闇だ。

 月の光すら薄暗く、どこか偽物じみている。低いエンジンの音も断続的なタイヤの音も慰めにはならず、あなたはいよいよ不安になったようだ。


「ここは、どこですか」


 運転席にいる運転手に声をかける。闇に白い手袋が浮かんで、手首だけがハンドルを握っているようにも見えた。


「目的地に向かうための、道の途中です」


 運転手らしき人物から返答が投げかけられる。果たして返答と言っていいものか。

 ただ一つ確かなことは、その答えはあなたの期待したものとは正反対であるということだけだ。頬を抓るあなたの指に力がこもる。


「私は、いつから、このタクシーに乗っていたんですか」


 あなたはいよいよ決心したように、この言葉を吐き出す。あなたは自分が何故、このタクシーに乗っているか理解していない。あなたにとって、それは異常事態と言えるものだろう。

 私も、あなたの感情の、思考の全てを把握しているわけではないから、この発見は意外だった。


「ついさっきからですよ」


 すぐに返ってきた声は、答えにはなっているが、回答にはなっていない。まるで質問への答えを予め設定された、機械か何かと話しているようだった。あなたは息を一つつき、質問を重ねる。


「このタクシーは、どこに向かっているんですか」


 寸毫の間、運転手の声が遅れた。初めてのことだった。返答を躊躇ったというより、何故そのような質問をするのか理解できなかった、そんな静寂だった。


「"街"に向かっています」


 どこの街ということも、街のどこかということも問題ではない。その"街"に向かっている、それだけが事実なのだ。運転手の言葉には、こんな確信がこもっているように感じられた。

 あなたも同じように感じて、この運転手からこれ以上の情報を引き出すのは不可能だと考えたのか、それ以上自分から口を開くことは無かった。

 代わりに話題を投げかけて来たのは、運転手の方だった。


「お客さん、都市伝説とか信じられますか」

「いえ」


 間髪入れず否定を示すあなたは、きっと空想は信じず、ただただ現実だけを見て生きている。私は少し、悲しくなった。


「ここだけの話なんですけどね、この辺りには"出る"らしいんですよ」

「……"出る"って、何がですか」

「幽霊です」


 引っ張った割に、あっさりと、面白味もない結末を言ってしまう運転手。

 あなたはいい気分ではない。当然だ、都市伝説は信じないと言ったばかりなのだから。この運転手は話を聞いていないのか? と思ったのだろう。

 しかし運転手には、話さなければならない理由があるのか、見えない口を閉じることをしない。潜めた声とともに、密室のドライブは続く。


「後部座席の左側、進行方向向かって左側に、事故で亡くなった女性の霊が出るとか」


 あなたは、言葉を失ったようだ。その話はこの場で出すには、余りにも不謹慎。そもそもその座席には、他ならぬあなたが座っているのだ。失礼な話である。私でさえ、これには少し苛立たされた。

 しかし、運転手はさらなるおかしな行動を重ねる。


「それから、どこからともなく赤ん坊の泣き声がするとか、サイドミラーが血で汚れるとか……」


 一般的に怪談というものは、一つの話を掘り下げていくことで不気味な信憑性を増していくものであって、このように列挙されても怖さは薄れる。あなたの顔に、今度は侮蔑の色が浮かんだ。


「それは、噂でしょう。ただの噂ですよ、荒唐無稽な」


 怪談を台無しにしてしまうような一言を、あなたは吐き出した。運転手は至極真っ当な正論を言われ、押し黙る。


「──ええ、その通りです」


 かに、思われた。しかし運転手は、まるでその言葉を待っていたかのように話を続ける。


「世界は科学を中心に回っている。科学的に、客観的に認識できない物は、怖い噂は、現実には存在しない、そうでしょう、お客さん」


 抑揚のない声は止まない。あなたはいつの間にかまた、頬に手を当てている。


「でもですね、お客さん」


 幼子に教え諭すように、運転手は言い、顔をこちらに向ける。


「この世の全てが科学で見えるなんてのは、思い上がりですよ」


 普通の人間に見える。

 しかしその顔からは人間としてあるべき、感情が抜け落ちていた。


「科学だけが真実の世界があるように、荒唐無稽なことだけが真実の世界もあるんですよ」


 どこからか、見捨てられたような赤ん坊の啜り泣きが聞こえる。サイドミラーが、赤黒く変色している。

 運賃を表示する電光掲示板に、『六文銭』の文字が浮かんでいることに、あなたは気が付いただろうか。扉を突き破らん勢いで開き、タクシーから逃げ出したあなたは。


「お忘れ物、ありませんか?」


 運転手の声は、タクシーからどれだけ離れてもこちらに聞こえてきた。


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