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勇者と勇者の勇者たち  作者: 睦月山
第1章 嘘つき少女と最強の勇者と
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7.マレリウスによる出会いととある兄妹の話(3)

「いらっしゃい……」

「よう」


 ぴしり、と固まったリギアの顔を見て、マレリウスは片手を上げながらへらりと笑った。


「あら、いらっしゃいませ」


 続いた柔らかな声にマレリウスは目を向ける。そこにいたのは目元に皺を作って笑う、女性の姿だった。リギアと同じく茶色のワンピースとエプロンを身に着けているが、よりタイトで年齢に合った服装だ。

 この前来たときには見なかった顔にマレリウスは首を傾げた。


「店主さん?」

「あら、前も来ていただいたのかしら。店主は私の夫。私は店のほうで手伝って、この子は私が家のことをしている間に店を任せようとして雇ったの」


 にっこり笑って女性は軽く頭を下げた。マレリウスも慌てて会釈を返した。

 が、リギアにとってその光景は気に食わないものだったらしい。二人の空隙に身体を滑り込ませると、険の含んだ声を発する。


「レーニさん、そこまで説明しなくていいんですよ。この方はとてもお忙しいのでいますぐお帰りになりますので」

「あら、そうなの。お引き留めして申し訳ないです」

「いえいえ、今日は時間がたっぷりありますので」


 マレリウスがそういうとリギアの顔が露骨に歪んだ。帰れ帰れという心の声が駄々漏れになっている。

 が、マレリウスにはどこ吹く風だ。こちらもマイペースなレーニが首をかしげて、リギアに尋ねる。


「リギアちゃんのお知り合いなのかしら」

「顔を知っているだけです」


 剣呑な色を帯びたリギアの声は変わることを知らないようだった。

 マレリウスはその言葉を浴びながら、心の内でため息をつく。なぜ来てしまったのだろうと自分の行動が自分で不思議だった。

 マレリウスは別にリギアに会いに来るために町に下りてきたわけではない。新市街三番街にある見習い騎士の練習場を見に来ていただけなのだ。マレリウスは隊を任されて半年ほどであり、いまだ人数も三十人足らずだ。その規模はいずれ中隊、つまりは百人単位にまで拡大する予定であり、各班を任せる班長の選定、班への組み分けなどやることは山積みだ。つまりは忙しく、まったくもって暇ではない。が、休憩は必要であり、腹が減っては頭が回らない。空いた小腹を埋めることを考えたとき、ふとあのパン屋のことが思い浮かんだのだ。


「豆パンと白パン、あとジャムもつけてください、林檎のやつ」

「はい、まいどありです」


 レーニはマレリウスが注文したものを手早くまとめ、紙袋に入れて差し出した。マレリウスは硬貨とそれを交換して紙袋を受け取る。かさり、と紙がこすれる音がした。


「じゃ、リギアちゃん。お見送りお願いね。お店もひと段落するし、少し休憩をはさみましょう」

「お見送り!? なんでですか?」

「いいから、いいから」


 レーニがリギアの背を押す。慌てたリギアが首だけ後ろに回したが、レーニは変わらず柔和な笑みを浮かべていた。


「……常連さんへの道はもう始まってるのよぅ」

「な、なるほど」


 こそっと耳元で呟かれた言葉にリギアはこくこくと頷く。納得はしていないが理解はしたのであろう、大変不本意そうな顔をしつつもドアを押えて「どうぞ」とマレリウスを促した。常人よりもはるかに研ぎ澄まされた聴覚によって一言一句聞き取っていたマレリウスは苦笑してドアをくぐった。


「どうも」

「あんたが笑っていると全てがムカつく」


 とても常連に仕立て上げようとしているとは思えない態度だ。しかし、いきなり今までの素行を改めて、媚びられ、遜られても良い印象には映らないのだからこれはこれで正解かもしれない。

 店を出て、通りへと踏み出したマレリウスが言う。


「ま、気が向いたらまた来るよ」

「来るな、とは言いたいけど言えない……っ!」


 リギアの弱点はレーニらしい。

 ううっと唸っているリギアを横目にマレリウスは考える。

 どうしようかねえ。

 ここにまた来るか、否か。

 ほんの気まぐれ、暇つぶしのために始めたリギア探しだ。特にこれ以上執着する理由はないように思える。今日の服装は騎士見習いの練習場から直接やってきたため、堅苦しい騎士の制服だ。白地に赤の刺しゅうの入った長衣。その下には襟ぐりの狭い、首に纏わりつくようなシャツと細いズボンを身にまとい、おまけに腰に剣を吊るすためのベルトと鞘まである。先ほどまでわざわざ神剣を見せびらかすためにここに差して歩いていたのだ。神剣を携え、一言も話さないまま、練習を見ていれば、なかなかに見栄えが良いらしい。それはあまり素のまま市井に乗り込んでほしくないらしい上からの指示だった。おかげでリギアにはもちろんのこと、レーニにまで騎士であることは伝わっているだろう。

 それでも態度を変えないリギアの存在はありがたいが、どこか気味が悪い気もした。

 曖昧にへらりと笑ったマレリウスにまたリギアは険しい顔をした。


「おい、まて! 止まれっ!!」


 と、二人の横っ面を叩くような大声が通りに響きわたる。

 細い路地から転がるように飛び出してきたのは襤褸衣だ。ついで顔を真っ赤にした老年の男性が一人。何に使うものなのか知りたくない木の棒を振り回し、大きな巨体についた腹を揺らして襤褸衣を追いかける。

 二人はリギアとマレリウスの視界を横切り、反対側の路地へとあっという間に消えていく。その襤褸衣の動きについてマレリウスは覚えがあった。


「今の……パハロか?」


 マレリウスの問いかけにリギアはこくり、と頷いた。


「でも……ガトレと一緒じゃないのは珍しいね」


 思案顔でリギアは独り言のようにポツリと呟く。すると、マレリウスは獲物を探す獣のように鼻をひくひくと動かし、眉間に皺を寄せた。


「血の、匂いがする」


 空気に溶けこんだ微かな匂いに反応し、マレリウスは走り出した。パハロが飛び出してきた路地に入り、匂いの在りかを探す。匂いの濃さからいって大怪我ではないようだが、どこかでだれかが一人、血を流していると思うと落ち着かなかった。


「そんなことまでわかるの? ったく……」


 悪態をつきつつ、リギアも後ろに続く。

 匂いの根源は酒樽の中にあった。少しずれた蓋を外して中を二人で覗くと襤褸衣がここにも包まって置いてある。それがもぞりと動くと肌色が見えた。血の匂いが増す。


「リギアのおねえちゃん?」


 ガトレだ。

 おそるおそるといった声とともに眼のふちから涙がはらりと花びらのように落ちた。




□□□


 ガトレの傷はマレリウスの予想通り、それほどひどいものではなかった。腕に数センチの切り傷、肩に打撲といったものだ。そのほかにも古いものから新しいものまで細かな傷はあったが、それを数えていたら限がなかった。


「あんなところでなにをしてたんだよ」


 マレリウスとリギアとそして、ガトレは今、パン屋の二階にいた。屋根裏部屋というべき小さな部屋ではあるが、昔、主人が若かりし頃に使っていたベッドと机がまだ残っていた。ガトレは小さな体でちょこんとベッドの端に腰かけ、腕を見せていた。


「わたしが腕、痛くしちゃったから、お兄ちゃんがここにかくれてろって……」


 ぐずぐずとまだ鼻を鳴らしながら、ガトレは言った。


「それで傷、おさえてろって」


 腕をくるんでたのは体を包む襤褸衣とは比べ物にならないほどきれいで真っ白な布だ。広げてみるとそれが外套であることが分かった。右肩から背中にかけて血がしみ込んで赤黒くなってしまっている。

 リギアは外套を掲げてその汚れにため息をついた。ついで忘れたようにぽろりと干し肉が落ちてきた。ガトレがバツの悪そうな顔をする。

 リギアは正当な手段で手に入れていないであろうそれに関心を持つことなく、会話を続ける。


「これは洗わなきゃね……」

「ううん、大丈夫。それ」


 ガトレがふわりと生地に触れると、外套は幻のように消えてしまった。残ったものはキラキラと輝く光の欠片だ。それが示すものはただ一つ。


「神さまの落とし物?」

「うん」


 マレリウスが尋ねるとガトレは頷いた。その間にもリギアは「なるほど」と呟いたのみで大して驚いた様子も見せずに怪我の手当てを手早くしていく。

 マレリウスはその場に膝をつき、ガトレに笑いかけた。


「いいな、それ。暖かそうだし」

「うん! でも……」


 ガトレは俯いて下を向いて、唇を噛んだ。くしゃりと顔が歪む。


「こんなのじゃ、お兄ちゃんを助けられないもん。わたしは弱いから……じゃまで、でもスラムに置いていっても危ないからって……どうしようもなくって……」

「お、おい」

「――」


 ガトレの拳が震えて、また涙がぽたぽたと流れ始める。

 慌てるマレリウスを前にリギアはやはり超然としていて、そして冷ややかだった。およそ幼い子供に向ける視線とは思えぬものだ。


「――弱いんだ。だから、ガトレが悪い」

「おいっ!」


 こぼれた言葉もまた、冷ややかであり、断定的な物言いだった。

 リギアの顔は俯いていて、影が差し、よく顔が窺えなかった。おもむろに立ち上がると、スカートと髪をなびかせて部屋の外に出て行ってしまった。

 ガトレの頭を優しく一撫でしてから、マレリウスはリギアを追いかける。廊下を歩いているリギアの肩に手をかけ、振り返らせる。


「ちょっとそういう言い方はあまりにも……っ!」


 マレリウスはそこで固まってしまった。先ほどまでの超然とした態度はなりを潜め、リギアはただ震えていた。拳と肩と瞼を震わせて、けれどしっかりと二本の足で立っていた。

 小さな唇をまた、開いた。固い言葉が零れだす。


「弱いのは罪だ。強者のお荷物にしかならないんだから」

「おい」


 語気を強めるマレリウスにリギアはようやく口元を動かし、不器用な笑みを浮かべてみせた。


「『強者にとって弱い奴は悪だ。あたしは強い。だからあんたたちは悪者だ』」

「それって……」


 リギアのものとは異なる口調。

 言問い顔のマレリウスにリギアはため息をこぼした。それは他人への嘲りや呆れを示すものではなく自身への形容できぬ感情をどうしようもできず口から息となって出てきてしまったものだ。


「私の……親の、口癖」

「それは……すごいな。悪神アグーのつもりか」

「さあ、神様とかどうでも良さそうな人だったからね。だからさっきのは自己嫌悪が混じった。私も弱くて、酒樽の中で震えているような子だったから」


 リギアの視線が遠くを向く。時間を遡り、どこかを見る。

 瞳は懐かしむ色ではなく、青色のせいか悲傷的に映った。


「ガトレに謝らなくちゃね」


 またリギアは不器用な笑みを浮かべた。

 へたくそな笑みだった。

 なんなんだろう、こいつ。

 マレリウスはやはり分からない。リギアは行動できずに怯えているような性格だとも、こうして曖昧な笑みを浮かべるような性格だとも、思っていなかった。いつも不遜な笑みをたたえて高笑いして、すべての人を睥睨して生きているような印象を失礼ながらも受けていたのだ。人の性格は多面的であり、数多の一面がある。それはマレリウスも承知しているところであるけれども、リギアのそれはあまりにちぐはぐしていて、まるで出来の悪いパッチワークのようだ。


「それにしてもパハロを見逃したし、さっきの干し肉についても何も言わないから、意外と義務しか果たさないタイプかと思ってたけど、ちゃんとガトレのこと怒るんだ」

「なんだよ、その言い方」

「いや、ちゃんと勇者やってるんだな、と思っただけ」


 失礼な、と口に出そうとして、マレリウスは固まった。リギアの言葉を反芻させる。

 ――勇者。


「ゆ、へ、えっ! えーっ!!」


 突然奇声を上げたマレリウスにリギアは思わず眉間に皺を寄せて、耳を塞いだ。


「なに? 今度は頭のどこがおかしくなったの?」

「いきなりまた辛辣だな! じゃなくていつ俺が勇者だって……」

「いつって……」


 リギアは質問の意図がよく分からないようで、小首を傾げた。マレリウスは顔は可愛いんだけどな、と思いながらも質問の返答を急がせる。


「なんで? 俺ってそんなに分かられないんだけど?」

「勇者が分かられないって……」


 憐憫の視線を向けてくるリギアにマレリウスは首を横にぶんぶんっと振って何かを否定する。男の沽券に関わるような気がしたのだ。


「俺って特に表立ってやる公務とかないし! 似顔絵も描いてもらってないから! そういうことだから! だからリギアなんで分かったの!?」

「似顔絵って……はあ、姿絵のことね。べつにたまたま建国記念のパレードを見ていただけ」

「ああ、あれか」


 あっさりと種を明かしたリギアにマレリウスは会得がいった。

 数少ない公務の一つだ。つい先月行われたものなので記憶に残っていても仕方がない。


「でもあれってすごく遠くから手を振ってるだけだよな」

「目もいいし、私()頭もいいから」

「遠まわしに俺がバカだって言われている気がする」


 リギアは否定せず、ガトレのいる部屋へと歩き始めた。

 その顔に先ほどまでの激情は見受けられない。冷静かつ冷徹なのかとも思っていたが、これも裏切られた。


「ほんと、よく分かんねー奴」


 ポツリと心中を吐露し、頭を掻いた。リギアは振り返り、いたずらっ子のように笑った。


「嫌いになった? そうだと嬉しいんだけど」

「あのなあ……」


 こちらもへらり、と笑って応えようとしたところで、


「ここにガトレが居るのか―――っ!」


 肩を激しく上下させたパハロが勝手に店の奥にあった階段を駆け上ってきていた。




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