6.マレリウスによる出会いととある兄妹の話(2)
銀色の髪。
蒼の瞳。
一目見たら忘れられない容姿。
少し調べれば見つかるだろうと高をくくっていたマレだったが、意外にも発見までには時間を要した。
まずは順当に出会った六番街の周辺を探ってみたが一向に見つからない。それもそのはず、その少女は三番街のはずれに在った。何とか目撃証言をつなげ、大人に冷やかされ、子供に怪しまれ、ようやくその少女がパン屋で働いているということを突き止めたのだ。
それは出会ってから三日後の昼のことだった。
朝は薄い雲がかかっていたが、ようやく空が青を見せ始めたころ。心地よい風が吹き、空には光芒が五つ。
その少女はこぢんまりとしたパン屋の前で箒を持って掃き掃除していた。茶色のワンピースに白いエプロン姿。一区切りしたのか、手を額に当てて笠を作り、まぶしそうに空を見ている。薄暗かった路地裏でも美しいと思った銀の髪は太陽の下ではさらにその美を見せていた。光を浴びてキラキラと輝く。
マレリウスはその日常を呆けたように見ていた。
国王が纏う金糸と銀糸が縫い込まれた衣よりもきれいで、尊いもののように見えた。
何か感じたのか、リギアが振り返る。遅れた髪が弧を描いて、空を舞う。宝石のような青がマレリウスの碧眼と合わさる。
慌ててマレリウスは口を動かして、言葉を作った。
「よう」
沈黙が流れる。鳥の鳴き声が聞こえる。
瞠目したリギアは口の端をひきつらせ、
「ど、どちら様でしょうか」
明らかな動揺を含んだ疑問を返した。
◇◇◇
「なあ、覚えてない訳ないよなあ」
「何かお買い求めでしょうか、お客様」
「しかも俺のこと誰か分かってる感じだよなあ」
「お客様はお客様です」
「そういうことじゃなくて……」
「お客様、出口はあちらです」
「暗に帰れって言ってるの!?」
少女は辛辣だった。
「お前、名前は?」
「――」
そして必要以上に寡黙だった。
「無視かよ。この俺に対して……いいぞ、当ててやる。リギアって言うんだろ」
「……調べたね」
「まあな」
相好を崩したリギアを見て、へらっとマレリウスは笑う。
場所は店先から店内へと移動していた。二言目には「さようなら」と宣ったリギアに無視する形でマレリウスは扉の中へと押し入った状態だ。
間口の狭さから予想していた通り、中はそれほど広さがある訳ではなかった。マレリウスの歩幅では五歩も歩けば反対側の壁に到達してしまうほどだ。
店内は他の者は出払っているのか、リギアしか店員がいなかった。
店に入ると反対側に小さなカウンターがあり、そこにリギアは向かった。縄張り、というか店員の定位置らしい。カウンターの奥が厨房のようだ。
残りの二方の壁には接するように配置された棚に商品があり、そこには多種多様なパンが所狭しと並べてあった。黒パンに白パン、豆を混ぜたものや長持ちする硬パンに野菜やハムを挟んだ昼食用のサンドイッチのようなもの。さらにお菓子用のマフィンや余った小麦で作ったらしいクッキーまであり、カウンター横のケーキドームのなかに雑駁に置かれていた。小麦の良い匂いが部屋中いっぱいに充満しており、深く息を吸い込めば腹の虫が鳴く。
「何も買わないのなら今すぐ出ていきなさい、色魔」
「色魔ってなあ……はいはい。じゃあ何か選びますよーっと」
店内を回り、いくつかのパンに目星をつける。昼食を摂らずに出かけていたので腹の好き具合はちょうどよい。
そのとき、客が入ってきたらしく、ちりんっとドアに着いたベルが鳴った。マレリウスは特に気にすることなく、振り返り、
「じゃあ、この白パンを二つ……」
そこでマレリウスの口はぽかんと開いたまま停止した。
振り返ったマレリウスが見たのはカウンターに手をついて飛び越えているリギアの姿である。スカートの裾は向こう側であるのが非常に残念だった。
リギアの行く先を視線で追うと入口で慌てている子どもが二人。町にいるには相応しくないみすぼらしい恰好をしていた。扉の向こうへ逃げようとしている子どもをリギアは後ろ襟を捕まえて床に引きずり倒した。
「いったー!」
「いってー!」
小さいのと大分小さいのが打った背中を丸めて転がっている。どうやら男と女らしい。
――物取り、か……。
マレリウスは瞬時に理解した。
服装からして貧民街の子供なのだろう。食べ物を求めて町に来て、うまくいかずに捕まる。そんな事件がこの王都で多発しているのだ。衛兵を呼ぶのか、はたまた外に放り出されるのか。この気性の荒いリギアのことであるから、蹴とばすくらいはするのかもしれない。それは見たくないな、とマレリウスは思った。
先ほどまでリギアがいたカウンター近くまで引きずられた二人はぶすっとした表情のまま一言も口にしない。リギアはちらりとマレリウスをみて、出ていくよう促したがマレリウスはへらりと笑って受け流す。リギアの眉間に皺が寄り、「むかつく」と呟かれた。
ため息をついたリギアは二人と向き合い、おもむろに口を開いた。
「パハロ、ガトレ」
ぴくり、と二人の肩が震えた。リギアは腕を組み、二人を見下ろす。
「何度言えば、その頭は言葉を認識するの。そんな恰好で町をうろついててたら物乞いか、盗みかのどちらかしかあり得ないよね。目立つって分かっていてやっているんだよね。店に扉がついていない八百屋の前をうろつこうものならまず嫌悪されて追い払われて、扉がある店はその時点で追い返される。
今回みたいに急いで逃げようたって貧民街まで逃げおおせるわけないんだから。まずはその小汚い恰好をやめる必要があるんだよ。そのためにはお金がいる。そのために働いていれば、自然と盗みなんて必要なくなる。真面目に働け。以上!」
長々と語ったリギアの口調は滑らかだった。まるで何度も言い続けてきたように。実際、マレリウスは知らぬことであるが、このやり取りはすでに四回目のことだった。
「うるせー、俺たちを雇ってくれるところなんてないって言ってるだろ」
「むう、リギアのお姉ちゃん、難しいこと言うから分かんないよ」
ようやく二人――パハロとガトレは固く閉ざしていた口を開いて、不平をこぼした。どこか親しいような印象にマレリウスはほっと安心した。リギアはため息をついて奥の部屋へと去っていく。このまま放っておくつもりなのだろうか。
当然、店の中にはマレリウスと二人の盗人が残された。
「おい、お前!」
「な、なんだ!」
男の子の方――パハロにマレリウスは上ずった声を返す。あまり子どもには慣れていないのだ。しいて言えば隊員であるロイドとミクシュロメインがまだ少年の域を出ていないが、それでも十四歳であるし、おまけにあの性格だから気兼ねなく接することができる。こんなに小さい子供と話す機会はそうなかった。
「衛兵とかにチクんじゃねーぞ」
「ねえぞ!」
パハロは睨んで、ガトレはきゃっきゃとなぜか楽しそうに笑いながらそう言った。
「べつに……そんなことしねーよ。リギアはお前らのことをどうもしないみたいだしな。こういうのは当事者同士で解決できないときに衛兵を呼ぶもんだし」
「とうじ……? おにいちゃんもむずかしいこと言うねー」
「んー自分たちでってこと!」
今度は理解できたのか、ガトレは深く頷き、パハロはガトレの裾を引いて自分の後ろに隠した。マレリウスと話しているうちにガトレが身を乗り出してきていたのだ。
あからさまな警戒心。
当然のことだ。彼らにとってマレリウスは見ず知らず――否、認知しているかもしれないが理解していない存在なのだ。今日の服装は町男に見えるような安いものを身に着けていたのもあり、マレリウスが勇者であることも、この国の騎士であることも、まったく考えていないだろう。
それはマレリウスが望んでいることだ。
勇者――すなわち神剣を扱う者である、という前提の上に成り立つ関係がマレリウスは経験上、信頼も安心もできない。
「良い判断だね、パハロ。そいつに近づくと良くないよ。変な性癖が移るからね」
「性癖って、なあ……」
聞こえてきた声の方を呆れながら見ると、リギアが戻ってきていた。右手は腰に当て、左手には入った幾つかのパンが入ったバケットを持っている。
「特段、間違ってはいないでしょっと」
可愛らしい掛け声とともにリギアが不意に右手を振るった。飛んできたのはバケットに入れられていたパンだ。マレリウスはそれを正確にも目視し、つかみ取る。
掌のそれは表面に黒い焦げができている白パンだった。
「これは……売り物じゃないのか?」
「そう」
カウンターを回ってリギアはパハロとガトレにも一つずつパンを差し出す。こちらの表面は黄金色に輝いている。パンには切り込みが入れられており、その隙間に赤いジャムが覗いていた。失敗作であるとは思えない。
「やりー!」
「ありがとー」
「何か扱い違くないかー」
「同じ扱いを受けられると思っている神経を疑うね」
さらっと辛辣なことを言って、リギアはカウンターの席へと戻る。
「ちなみに二人に渡したのは試作品だから感想よろしく」
「いいぜー」
「任せろー」
つまりは試作品の感想を求める、という名目で慈悲を与えたらしい。今までとは少し違う印象にマレリウスは内心、驚いていた。
「なに?」
「いや、なんでも……」
見つめる視線に気が付いたのだろう。リギアがちらりとマレリウスの方を見た。首を慌てて横に振るマレリウスにリギアはふんっと勇者相手に高圧的な態度だ。
「なら見てくんな。気持ち悪いよ」
「あのなあ……もう少し優しさと女の子らしさってのを……」
ひどく掴みづらい性格だ。優しいか、傲慢か、いまいちどちらが偽りなのか分からない。
黒パンのように焦げた白パンは齧ると苦かった。