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勇者と勇者の勇者たち  作者: 睦月山
第1章 嘘つき少女と最強の勇者と
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1.ロクスの十五日

■ロクスの十五日

 エリアート市内の新市街六番街にて『勇者』マレリウス=ディーン=ナフィストラと接触。

 下っ端とはいえ、喧嘩慣れした男三人を五秒で沈める手際は鮮やかだった。


◇◇◇


 拳と肉がぶつかる暴力的な音が路地裏に響いた。表通りとは異なる陰鬱で湿った空気が揺れ、その数秒後には人が倒れる音を捉えた。


「ふう……」


 一仕事をこなした男――『勇者』マレリウス=ディーン=ナフィストラは息をついた。そして手の調子を確かめるように二、三度握り、異常がないことを確認する。こんなことで怪我でもしようものならば幼なじみが恐しい形相で迫ってくるに違いない。王宮に響き渡るような大声を思い出し、思わず顔が歪んだ。足元に転がる男三人が気絶しているのはすでに確認済み。さっさと衛兵に突き出したいところだったが、それよりも先にやるべきことがあった。

 ひょいと後ろを振り返ってみれば、そこには路地裏に連れこまれ、あわや貞操の危機に瀕していた少女がいる。俯いた少女は確かに目をつけられるほどに美しかった。夜空の星を掬ったような銀髪は肩の上で揺れ、伏せられた瞳は青く透き通る宝石をはめ込めたかのような人を魅惑する輝きがあった。小さく開いた唇は綺麗なピンク色だ。絶世の美女とは言いがたいが、視線を合わせれば捉えられる。欠点としては胸が少し小さいことぐらいか。

 こいつは上玉だな、と勇者らしからぬことをマレリウスは考える。


「君、大丈夫だったかい」


 しかし、そんなことはおくびにも出さない。こちらとて美少年と持て囃される身である。黄色い悲鳴があがること間違いなしの笑顔をむけ、手を差し出すおまけつき。さらにはこの銀髪少女にとってマレリウスは危ない所を助けてくれた恩人だ。

 これはいけるだろう、とマレリウスは楽観視して、王宮を一晩抜け出す言い訳を考え、今晩の宿屋場所までシミュレーションした。


 ――浮かれていた。だからいけなかったのだ。


 声に応じ、銀髪少女が伏せられた瞳を持ち上げた。案の定、少女の頬は羞恥のためか桃色に染まっていた。


「怪我はないかい」


 幼なじみが聞けば、気持ち悪いと言われるであろう口調で再び声をかける。

 少女は返事こそしなかったが、おずおずと手を重ねてきた。

 マレリウスをじっと見つめる瞳は燃え上がるように熱く、しかし――冷静であった。少女を引き上げようとマレリウスが後ろに重心をずらしたのを見逃さなかった。

 少女は自ら勢いづけて起き上がった。前へと手を引かれたマレリウスが蹈鞴を踏み、左足で踏ん張り――その瞬間に重心がのっていたそれに足がかけられ、払われる。完全に油断していた国内最強が宙を舞う。

 殺気はない。しかし、少女の体は流れるように動いた。

 少女は素早く身体を捻って、引き絞り、拳を唸らせる。左足で踏み込み。そして宙にあるその腹を少女が拳で突き抜いた。腰の入った素晴らしいスイングだった。


「うごっ!」


 地面に叩きつけられた勇者はすぐさま跳ね上がろうとした――が、少女の方が一歩速い。尻もちをし、開いた股の隙間に少女は思いきり右足を踏み入れる。


「うお……! なんてことを……」


 ()しものマレリウスにも体に恐怖の寒気が走った。

 もう少し先に踏み込めば大惨事だ。少女は氷のような目でマレリウスを睥睨し、暴虐な魔王のような笑みを浮かべた。


「あんた、ねえ……! 私の! 三カ月間の努力を!」


 染まった頬は羞恥などではない。怒りだ。


「はあ? 何のこと……」

「うっさい! このヘタレ金髪変態野郎!」

「へんたい……?」


 とても可憐な少女の囗から出たとは思えない暴言を吐く。


「要はありがた迷惑だったって言ってんの! おまけにねめつけるようにじろじろと。そんなに人恋しいなら娼婦館にでも行ってきなさい! 二度と会いたくないっ!」


 それだけ叫ぶと少女はくるりと背を向けて、歩き出した。怒り収まらぬ様子はその力んだ足音一つにも表れていた。ずん、ずん、と音が聞こえてきそうなほどだ。

 勇者は地面に尻もちをついたまま、それを呆然と見送った。が、


「くくっ!」


 やがて胸の底から笑いが込み上げてきた。堪えきれず、歯を見せて笑った。


「くっく……あはははっ! くっそこえー女だな、おい。この勇者様を殴るとは」


 路地裏の澱んだ空気を軽やかな笑い声が押し揺るがす。それを聞いているのはこれは何かと男たちをつつく、ネズミくらいなものだった。





◇◇◇



 ――ありえない。ありえない。ありえない! ありえない! ありえない!


 足の裏で地面を蹴りつけながら、リギアは表通りを歩いていた。怒りは未だ収まらず、心の内で獣のように暴れ回っている。周りの人々はその剣呑さに気圧されたように道を譲った。

 日も当たらず、湿気ていた路地裏とは相異なり、表通りは活気に満ちていた。

 道の中央を颯爽と馬車が通り抜け、通りに連なる店々は扉を開いて客を招いている。そこかしこから漂う食べ物の匂いとそして、それを打ち消すほどの賑やかな音があった。それは時に耳を塞いでしまいたいほどの爆音となるが、行く人々の磊落な笑い声も、呼び子の抑揚に富んだ声も、無頼の徒の罵詈さえも、この場所を構成する重要な要素だ。


 ――ここはルーク王国、王都エリアート。

 百年近く続いた群雄割拠の時代を制し、大陸一の強国の名を得た大国。

 リベラウス大陸の北西に大きく広がり、その周りには先の戦に敗れた九の属国が付き従う。しかしその戦といっても、もう百年と少し前の出来事だ。自治をほぼ任されている属国――ルシャス公国、ミナグリア帝国、ユラーシ国などは大国の庇護を受けつつ、手を取り合い、自国領の豊かさを極めていっていた。

 あらゆる国の文化が混じりあい、混沌とした王国だと言われているが、それを纏め上げた代々国王の手腕は言うまでもない。現国王ファジリス一世王もその名を大陸中に轟かせ、その王子も聡明だと評判だった。

 しかしルーク王国は、かつてその群雄割拠の時代に領地を得たある騎士から始まった新興国であった。いかに主が英明であれど、それが大陸一にまで伸し上がったのは由あってのことだった。

 まず一つ。人族一の魔法の使い手と名高い魔導師一族レクトヴィンス家がその騎士に付き従うことを決めたこと。


 そしてもう一つ。――強者の中の強者。正義と豪傑を兼ね備えた勇者が王国に生まれるようになったことである。





 心のままに足下に転がる小石を蹴っ飛ばせば多少心が晴れた気もした。

 石畳をコツコツと打ちつけ、しかし、もう家の近くであることに気がつく。イライラしているうちにずいぶんと歩いていたようだ。近所の人に見られたら色々と面倒なのでリギアは平生を装うことにした。

 しゃんと背を伸ばし、角を二つ曲がる。途中、顔なじみの人たちから声をかけられたが、笑って断わった。今日は外食する気も遊ぶ気もなかったのだ。

 目抜き通りから三本も外れると、生活感が滲み出くる。売り子が足を伸ばしたり、老人が趣味で開いているような雑貨屋があったりはしても大きな店は見当たらない。聞こえてくるのは細やかな生活音ばかり。空には洗濯物のカーテンが揺れ、窓の奥からは軽快な笑い声が流れる。

表通りの隙間なく敷かれた石畳とは違い、凹凸のある道をリギアは幾分か慎重に歩いていく。

ようやく見えてきたのは『マルジ庭』。と、いってもこれははっきりと決められたものではなく、皆がそう呼んでいるだけなのだが――ここは王都外からきた人々のためのアパートで二階建て、全七室だ。そしてリギアの暮らす家であった。

 リギアは花のレリーフが掛かった扉を押し、中に入る。そうすると少し肩のカが抜ける。が、まだここも自分の領域でなかった。エントランスの脇にある小窓を覗き込み、リギアはいるはずの人物に声をかけた。


「マルジさん、リギアです。今帰りましたよ」

「おお、お帰りなさい」


 ひょいと顔が小窓に現れた。皺だらけの顔と白髪。大柄な体は厳つい印象を与えるが、目は驚くほど柔らかい。このアパートの大家であるマルジだった。彼自身も一階の角部屋に住んでおり、普段はエントランス脇の小部屋で人の出入りを見張ってくれている。マルジ庭には一階には男性が住んでいるのだが、二階にはリギアを含め女性しかいない。二階に上がるには必ずエントランスを横切らなくてはならないし、もちろん入り口から入ってきた場合もしかり。昔はやんちゃで腕もそれなりに立つらしく、防犯対策は万全といったところか。

 そう思ったところで笑いが溢れてしまいそうになり、堪える。

 ――万全、ね。

 心の中で皮肉げに呟く。

 マルジはそんなリギアを気がかりそうに見つめた。


「リギアちゃん、何かあったのかい?」

「いいえ、ちょっと腹立たしいことはありましたけど、本当にちょっとでしたから」


 笑みか、苛立ちが顔に出ていたのだろうか。鏡もないので指先で自分の頬を突いてみるがよく分からなかった。

 マルジはそれを溜息を堪えたような顔で見ていたが、不意に思い出したかのように声を上げた。


「ああ、これ。リギアちゃんに渡そうと思ってたんだよ」


 それはブレスレットだった。金属を用いたような高級品ではなく、革に灰色と青色の糸で刺繍をしてあるものだ。思いあたるのは一人しかいない。


「外出するにも何の装飾もつけないからってリーリエさんからのプレゼント」

「ありがとうございます。後でお礼言わなくちや」

 思い浮かんだのは愛嬌のある可愛らしい顔だった。明日仕事に行く前に会いにいくことが行けるだろうか。これからやることと明日の予定を思案しつつ、ブレスレットを受けとった。


「ありがとうございます。じゃあ部屋に戻りますね」

「あ、」


 マルジがまたリギアを引き止めた。


「えと……まだ、何か?」


 こてりと首を傾げ、リギアは尋ねた。

 何か怪しまれるようなことをしたのかと不安になってくる。知らずうちにブレスレットを握る手にも力が入った。しかしそれは杞憂に過ぎなかったようだ。

 マルジはあらゆる思いを飲み込んで言った。


「いいや……元気だしてね」

「……? はい、じゃあ」


 リギアはマルジの内奥を理解できなかった。お辞儀をしてギシギシと軋む階段を上る。リギアの部屋は奥から二番目だ。鍵を差し込み、そうしてリギアは自分の根城へと辿り着いた。後ろ手に鍵を閉め、背を扉に預ける。抑えていた怒りが烈火のごとく燃え上がる。


「……(リィン)


 人族が使うことのない古代魔法ルーン語。それをリギアが呟けば、部屋中が微光に包まれた。光源は突如として現れた文字だ。土壁が自前に刻まれた文字コードを写しだし、その機能を十分に果たして消えた。機能――それは音の遮断と鍵の強化だ。


 つまり――、


「あっの野郎、なんなんだ、このやろ――っ!!」


 思う存分怒りを発散できるということだ。

 リギアは空中にシュッシュッとパンチを突き出し、架空の人物を殴りつける。怯んだところをすかさず回し蹴り。そして肘で背中を貫く。

 行動を羅列してみれば子どもの癇癪にしか思えないが、その攻撃力は侮れない。途中で何だか物足りなくなり、リギアは布団を一方的に痛めつけていた。最後に寝技を極めて、ベッドに転がる。息切れが激しく、馬鹿みたいだとリギアは自分で思った。


「滅びてしまえ、こんな国なんか!」


 誰かに聞かれれば反逆罪の疑いを掛けられても仕方がないような言葉だ。しかしリギアは半端な心持ちで言っているのではなかった。実際、あの男の介入さえなければ今日というこの日はルーク王国破滅への第一歩となるはずだった。

 あの男に転がされていた不良崩れは末端も末端、木で例えると葉裏の毛虫のような存在である。が、繋がりを辿っていけばやがて幹に辿りつく。幹――まつりごとの場において大きな権力を持つルシャイン公だ。政治の重鎮として五十歳を過ぎた今でも大いに奮っているが、長くその身を高い地位に置いたためか欲がでたらしい。王の意向に背く、不審な行動を目についた。


 ――三ヶ月。


 リギアが今日のために費やした時間だ。もちろん作戦ではなく下調べに過ぎない。されどその退屈さと多忙さは比べものにならなかった。来るか分からない待ち伏せも、一晩粘った張り込みも、有り金を叩いた情報収集も……。全部一人でやったのだ。

 別にリギア自身がやりたかった訳ではない。この国に恨みなどはない。嫌いなのではない。


 ――ただユラーシ国の諜報員としてやるべきことだっただけだ。


 それがリギアの秘密だった。すべては兄のため。

 勢い良く燃え上がっていた炎はいつの間にか燻る余焔となっていた。リギアは怒りのエネルギーを持て余した。そして意図せず流れた一縷の涙がその小さな炎を完全に消してしまった。残るのはただ寂寞とした部屋と訳の分からない悲しみと胸を灼くような悔しさのみ。


「ううう、うっ」


 獣の鳴き声のような呻きが喉から漏れた。悲しいと思うより先に胸が痛かった。目の奥が燃えているかのように熱くなり、体温の涙が頬を伝った。

 マルジにはこんな思いが見抜かれていたのだろう。


 ――おにいちゃん、ロッテ。


 声に出すと返ってこないのが辛くて、だから心の中で呼びかける。左手首についた金属の輪を指の腹で撫でる。そこに付いた鮮血のごとき赤色の石はいつも通り美しく輝いていた。リギアはその石に上から力を込めてみる。この石に縋っているのか、砕いてしまいたいのか自分でも分からなかった。


「あの醜男、次に会ったらぶっ飛ばしてやるんだからぁ……」


 リギアは目と鼻を布団に擦りつけて、負け惜しみのように呟いた。

 それにしても、と疑問が浮かんだ。あの男は随分と強かった。一体誰だったのだろう。

 金髪に新緑の色をした深い瞳。均整のとれ、鍛え上げられた体。男三人を沈めた体術。魔法は分からないがおそらく剣術もいけると思う。

 何よりも気に触ったあのへらっとした笑み。自分に自信満々だった。着ている服もそこそこ上等なものであったから遊びに来ていた貴族かもしれない。


「いやまて……あの顔どっかで見たような……」


 リギアの頭を何かが掠めた。小骨が喉に刺さったような微妙な苛つき。

 職業柄、リギアは人の顔を覚えるのは得意だった。トントンと米神を突いて記憶を呼び起こす。

 街で見かけた衛兵ではない。知り合いの貴族などルーク王国にはいない。ならば……先月の建国記念のパレードか。眉間に皺を寄せ、必死に記憶を漁る。何だか嫌な予感がした。薄暗くて明確に視認できたわけではなかったが、ふと似た顔が思い浮かんだ。次いで顔の血の気が失せた。面倒くさいことになるかもしれない、という予感がリギアの胸を走った。

 ベッドから飛び起き、部屋の片隔に置かれた机に駆け寄る。


(ウィト)!」


 机に書いておいた文字コードが光り出し、その光が消えるより早くリギアは机の引き出しに手をかけた。万が一探られても開かないように鍵かけの魔法をかけておいたのだ。

 リギアが引き出しの中から取り出したのは紙束だった。そこには日付けとその日のことが簡単に綴られている。要は日記であった。後に効率良く報告書にまとめられるよう、リギアは一日一日の出来事をメモしているのだ。今日も書かない訳にはいかなかった。記憶が新しいうちにまとめておかなくては、という焦りが手の震えとして流露した。インクを持ってきたリギアはそれはなんとか押し止め、まだ何も書かれていない紙にペン先を押しつけた。


 ――あれは勇者だ。今代勇者のマレリウス=ディーン=ナフィストラだ!


『■ロクスの十五日

 エリアート市内の新市街六番街にて『勇者』マレリウス=ディーン=ナフィストラと接触。

 下っ端とはいえ、……



 再び勇者と遭遇したのはこの三日後。そして何故だかずるずると関係は続いてしまっている。


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