セブニスの一日~プロローグ~
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■セブニスの一日
今日も『勇者』が来店。時刻およそ十時過ぎ、最も来店者が少ない時間帯である。だんだんとこの時間に照準を合わせてきているのが怖い。というか、きもい。大体なんでわざわざ二日も空けずにやってくるのかは意味不明。疑われている可能性小。朝の修練後らしく、汗臭い。新たに判明した城での動向は本人の弁によると……
◇◇◇
今日は天気が良い。空は目を見張るほど高く、青く、雲の居場所は存在しなかった。慌ただしい朝の身支度を終え、僅かな休息を得た人々がつい頬を上げ、天を眺めている。今日一日が良い日になることを告げるような空模様に心が休まらないはずがない。
事実、リギアもそうであった。開店前に店の前の掃き掃除をしていた時も気分が良かった。ここしばらく続いていた鬱陶しい細雨が嘘のようだ。
心地よい気温は店番をしているリギアの眠りを誘う。磨りガラスを通した陽光は柔らかく、部屋の中を模糊たるものに変容させた。幸運にも店に客の姿はなく、そんなリギアを咎める者などいなかった。束の間の休息に揺蕩い、まどろむ。さながら猫にでもなった気分だった。
しかし運命の神ヤインは随分とリギアには厳しいらしい。
ちりん、ちりんっとドアベルが無情にも来客を告げ、安息と静謐に満ちた空間を侵した。
半ば目を閉じていたリギアはその音でパチリと覚醒する。ドアの隙間から入ってきた人物へ向け、機械的に決まり文句を紡ぎ出した。
「いらっしゃいま……」
「やあ」
「帰れ」
これもまた咄嗟に飛び出てくるようになった言葉だった。
二秒で退出を言い渡されたのはリギアより一つ年上の男だ。やや丸みが欠けた頬は少年と青年の狭間を彷徨っているのが見てとれた。その頬をにっと持ち上げ、
「ひっでーの。今日はお前に会いにきたんだぜ」
男はそうそうに口調を崩し、肩をすくめた。世間一般からみたら大層な殺し文句かもしれないが、リギアにしてみれば迷惑きわまりない。それを伝えるため、リギアは氷よりも冷ややかに対応する。
「どちら様でしょうか? ああ! 迷子ですね。そうですよね! 出口はすぐ後ろにございますので、どうぞ」
「いや、どうぞ、じゃねーし。どちら様って言えば勇者様だぜ、俺」
まるで幼子の囗答えのような返しをして、男は――勇者は囗を尖らせた。出ていけ、といった命を受ける気はさらさらないらしく、さらに店内の奥へと侵入してくる。リギアのいるカウンターのすぐそばのスツール椅子にドカリと腰掛け、欠伸を一つ。居座るつもりでいるのが、びんびん伝わってきた。ちなみにその椅子は腰の悪いミレギアおばさんが来た時のために用意したものであって、決して強靱かつ若々しい勇者のためではない。
「では勇者様。とっとと出ていきやがれ」
リギアは眉間に皺を寄せ、これ以上ない嫌悪を見せつけた。しかし勇者はそれを飛び回る羽虫ほどにも感じていない。実力差からいってしまえば、至極当然なのだろうが、気にくわない。
「リギアはさあ、もうちょっと愛想ってものを覚えたほうがいいと思うわけだよ。いっつも仏頂面してたらかわいい顔が台無し。一昨日だって……」
意気揚揚と話し出した勇者の高説をリギアが有難く聞き入れるはずもなく、話をそっちのけにしてじろりと男を観察する。
『勇者』マレリウス=ディーン=ナフィストラ。それが現在、リギアの目の前で吟遊詩人なみに舌を動かしている男の称号と名だった。この国、最強の戦士。それどころか、この大陸でも比肩できる者はなかなかいないだろう。
肩の力を抜いて油断しているように見える今であっても、悪意ある視線や殺気を一度感知すればその実力を垣間見れるはずだ。
カウンターの木目に指を這わせながら、リギアは少しばかり頭を回転させてみる。
至近距離で眉間にナイフを一突き、はたまた背後から首元を掻き切るか。もしくは店から出ようとするところを投げナイフか、風魔法で。いやそれで時間が掛かりすぎる。いっそのこと店ごと最大威力の魔法で潰してしまうのはどうであろう。
少し考えてリギアが思いついたのは四、五つのアイディアだったが、それで殺すことができるビジョンが浮かぶことはない。容易く避けられ、倍以上の反撃がやってくるのが目に見えていた。もちろん、直接対決や肉弾戦などはもってのほかだ。技術も筋力もなにもかもが足りなすぎる。
絶望的な差は崖のように聳え立ち、決して近づくことを許さない。だがそれでこそ勇者、それでいて人なのだ。よく分からない種族と言われた方がまだしっくりくるというのに。
はあ、と重たい溜息をついて、リギアは立ち上がった。
「ほら。そういうこれ見よがしな溜息とかさ! って話聞いてたのかよ」
「聞いてない。これっぽっちもね」
「だろーな」
肩を落とした勇者が苦笑した。対し、リギアは腰に手をあてて睨み付けた。
「あの! ここは何屋かわかってんの。そろそろ本気でころ……じゃなくて怒るから」
「何言いかけてんだか……そりゃあこえーな」
軽い口調が表すように気持ちが微塵もこもっていない。しかし、潮時だと感じたのは同様であるようでマレリウスはいそいそと茶色のマントの内から紙を取り出した。
「昼飯用だってよ。丸パンと白パンが二十個ずつと……」
「それを見た方が早い。寄こしなさい」
勇者の手の内から紙を取り上げた。羅列された文字を読み取り、奥へと引っ込む。
「ダロンおじさんが用意してくれてたと思うんだけど……」
妻であるレーニと仲良く買い出しに出かけたこの店の主人の名を呟きながら、探し回る。奥の調理場にはなかなか来ないが今回は物が大きかったおかげですぐに見つけることができた。
大量のパンを手に店内に戻り、勇者に差し出した。
「個数はいつも通りだったから間違いないはずですが、何かあればご連絡下さい」
「なんか悪いな、いつも」
勇者はひょいと片手が受け取り、頭をかいた。
「いえ、こちらとしてもいつもご贔屓にありがとうございます。王宮の方々に食べてもらえるのはとても光栄だと店長も申しておりました」
「あ、うん。……その口調やめね?」
「やめるというのは何についてのご意見でしょうか?」
白々しく小首を傾げてみるとマレリウスは目に見えてむっとした。
「なあ、お願いだから」
「あ、そう。便宜上的にも私の精神的にも良かったんだけど」
リギアは貼り付けた笑みをそうそうに剥がして、口調を崩した。確かに肩が凝るが、一市民であるべきリギアと勇者との距離を表すには適切だった。
「まあ使いっぱしりの勇者には敬語は必要ないか」
「いや使いっぱしりじゃないし! 俺がリギアに会いに来たいから俺が来てるの!」
重いはずのパンが入った袋を振り回しながら勇者が叫んだ。しかしそんな駄々をこねるような仕草をみてもリギアには憐憫しか抱かなかった。
「暇なんだね。勇者って」
「暇じゃねーし、俺の名前はマレリウスだって! いい加減名前を呼んでくれたっていいのに……恥ずかしがり屋だぜ」
――殴ろうか。
沸き上がってきた衝動をぐっと拳を握りしめることで堪えた。それでもひくりと口元が引き攣るはどうしようもなかった。震える口元と挙に何かを感じたのか、さんざん騒いでいた勇者がいそいそと出口へ向かう。
「ま、またな、リギア」
「今生の別れだね」
「まーたそういうこと言う……」
勇者はドアに手をかけ、パンを片手に出ていく。が、リギアが疲労に満ちた溜息をこぼす、その直前にひょいと顔だけこちらに向けた。
「運命神の良い導きを。またリギアに会いにくるからな!」
それから勇者逃げるように体を引っ込め、ドアは閉まる。ちりんっという呼び鈴の音だけがしばらく残った。沈黙したドアはしばらく開くことはないだろう。
リギアは疲労感に椅子へと導かれ、腰を落ち着けた。カウンターに伏せると、力が抜けた。
「……なんであんなのに懐かれてるんだ、わたし」
好かれることをした覚えは全くない。むしろ先程のように言葉と態度で拒絶を繰り返してきたつもりだった。
多少は良いこの容姿を気に入ったのだろうか。それとも最初の出会いがやはりまずかったのかもしれない。あの特別階級め……。
胸の奥でじわりと広がる嫌厭の情。唇を噛みしめ、飲み下す。
ちらりと視線を上げれば力が入り、白くなっている手の甲が目に入った。
「出会って最初に殴りかかってくる相手なんて、どこがいいんだか」
出会ったあの日――手の甲の僅かに赤くなった跡も、ずきずきとした痛みも、すっかり治ってしまっていた。
明日(今日かも?)も同じくらいに投稿予定です。
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