「血液」(2)
必死に探して走るメネスだが、なかなか助けを捕まえられない。
見つかるのは無残な姿で倒れる人、人、人。あちこちでろくな連携もないまま戦い、魔物に打ち倒される衛兵と呪士。あまりの突発事態に、セレファイスの防御はまともに機能していない。
人間ではない醜悪な気配が、群れで駆け走る音はメネスの背後から迫ってきた。残った生存者を探し、狩っているのだ。すぐ前の大通りでは、悲鳴と遠吠えが絶え間なく響いている。もはやメネスに逃げ場はない。
いや、ぎりぎりで間に合った。
メネスの背後で扉が閉まるや、狂気じみた獣の息遣いが向こう側を通過してゆく。
メネスの自宅だ。ふだんからいじめや嫌がらせを避けるため、人目を忍んで裏通りばかり歩いていたことに命を救われた。もたれた扉を背中でずり落ちると、深く息を吐く。
メネスは独りごちた。
「うちにもあったはずだぞ、武器のひとつやふたつ。待ってなよエイベル。いま助けに戻るからね」
意を決して立ち上がるメネス。
かたわらの窓ガラスがはじけ飛んだのは、次の瞬間だった。
同時に響いたのは、部屋の床に何者かの降り立つ音だ。
顔を守る腕をどけたメネスめがけて、そいつは甲高い叫び声をはなった。
ああ、食屍鬼だ。その姿は、ひとことで例えるなら痩せこけた人型の犬。枯れ枝のような四肢の先に備わった蹄と鉤爪は、それだけでこの魔物の俊敏さと獰猛さを物語っている。
ひきつった顔で、メネスは入口の扉にあとじさった。
「ひ、そんな……来るな!」
ぶち破られた扉の破片から、メネスはふたたび身を守らねばならなかった。
ゆいいつの逃げ道からは、蛙人の巨体が悶えるようにして押し入ってくる。穿たれた窓と入口の闇かららはさらに、翼をはためかせる夜鬼と、小さな鉈をたずさえたズーグ族が現れた。ズーグ族……一匹一匹はただの子供サイズの小人にすぎないが、群れたこいつらは非常に厄介だ。遠く離れた〝魔法の森〟を旅する人間は、常にズーグ族による集団での誘拐を警戒せねばならない。
気づけば、コマ落としのような素早さで食屍鬼はメネスの背後に現れていた。その残像を追うようにメネスの肩からほとばしる鮮血。さっそく食屍鬼は、かじり取ったメネスの肩肉をうまそうに咀嚼している。
食屍鬼は死んだものしか食べない。であれば、切り離した温かい肉は徐々に冷めて死んでゆくし、生き物そのものも殺せば死体になる。
噴水のように自分の肩から吹き出す血を見て、メネスは意識が遠のくのを感じた。そのまま地下室へ倒れて、階段を転げ落ちる。
もうろうとする視界の中、メネスは這いずって地下室の扉を開いた。だが、苦労して入るまでもない。駆け下りてきたあの片腕の蛙人に脇腹を蹴られ、勢いよく転がって地下室の壁にぶつかる。
白墨で描かれた床の魔法陣は、主人の気配に反応して五芒星の一角をほのかに輝かせた。
まずは一角め。
魔法陣を点々と汚したのは、飛び散ったメネスの鮮血だ。
二角め。
メネスの手から離れた銀色の輝き……魔王の腕輪が、魔法陣の上にのる。
三角め。
魔法陣の五芒星が、ふだんの召喚と異なった輝きを発していることに、メネスはとても気づく余裕はない。震える腕を支えに、メネスはなんとか立ち上がった。その間にも、魔物どもは狭い地下室に続けざまに押し入ってくる。取り囲んだメネスを、舌なめずりしながら品定めする魔物ども。
終わった。
「なんなんだよ……」
目尻に涙さえ浮かべ、メネスは問うた。
その脳裏を走馬灯のごとく現れては消え去っていくのは、過去の記憶だ。覚えている範囲では、はっきり言って何一ついいことはない。今回だってそうだ。朝に友をねたみ、昼には職場でいじめられ、夜には友を失って、自分まで凶暴な魔物に追いつめられる。
いったい自分が、どんな悪いことをしたというのだ?
どこで恨みを買った? なぜこんなにも不運なのだ?
食屍鬼にやられたのと逆の手を、メネスは震えながら持ち上げた。
地下室を照らしたのは、その掌から生じた呪力の稲妻だ。だが、弱々しい。自慢の地呪も、魔物どもをただいたずらに刺激しただけに過ぎなかったようだ。
メネスは心に決めた……さあ、かかってこい。一匹ぐらいは道連れにしてやる。
地呪の電光のひとすじが、魔法陣に触れたことにもメネスは気づかなかった。
四角め。
魔法陣はすでに平面を越え、立体的に五芒星の輝きを立ち上らせている。
メネスは叫んだ。
「ぼくになんの用があるって言うんだ!?」
絶叫を皮切りに、いっせいに魔物どもはメネスへ飛びかかった。
それが、五角め。
魔法陣から爆発的に広がった光は、地下室の闇をまばゆく漂白した。
魔法陣の形成と召喚士の生き血、触媒となる魔王の腕輪、そして稲妻の呪力と魂のこもった叫び。それが正しい儀式だったかどうかはわからない。わからないが、五つの要素を満たし、たしかに召喚の五芒星は完成した。
呪力を帯びた突風と光は静まり、薄目をあけたのはメネスだ。
「……あれ?」
轟音とともに、食屍鬼と夜鬼を左右に弾き飛ばしたのは細い両腕だった。
魔法陣のうえに、ひとりの少女がたたずんでいる。風に揺れるきめ細やかな髪、異国の服をまとう細く整った肢体、肩越しにメネスを横目にする玲瓏な顔立ち……どこか人形じみた端正さだが、メネスは当然のようにこう思った。
美しい、と。
だが、彼女は何者だ? 敵か? 味方か? いったいどこから、どのように現れた?
まさか、自分の呼び声に応じて召喚されたとでもいうのか?
メネスの疑問はさらに深まることになった。およそ理解不能なその呪文は、小鳥のさえずるような少女の声によって紡がれる。
「敵性反応および保護対象を確認しました。マタドールシステム・タイプF、基準演算機構を擬人形式から狩人形式へ変更します……戦闘開始」
左右へ構えられた少女の両腕に亀裂が生じ、内部から輝く金属の筒が現れた。彼女のもといた世界では、それはこう呼ばれる……腕部内蔵式機関銃と。
同時にこれも左右の肩が割れ、金属の矢を双方で六門ずつ、計十二門搭載した箱が顔をのぞかせる。超小型ミサイルの発射口だ。
さらには、少女の背筋は衣服ごと割れ、現れた長大な電磁加速砲は金属の複腕に導かれて魔物どもを照準する。つづけて脚、膝、肘、てのひら、こめかみ……全身のあらゆる場所から未知の武器は展開され、天使はいつしか金属の異形と化していた。
ありったけの武器でくまなく狙われ、魔物どもも動揺を隠せない。
あぜんとするメネスへ、異次元の怪物は唐突に問いかけた。
「あなたが私の所有者ですか?」
「え……?」
それが彼女、フィアとの出会いだった。




