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「骨格」(5)

 城壁の向こう、沈みゆく太陽は海と空を紫色に染めている。


 きょうも無事、一日が終わった。メネスにとってなんの収穫もないまま、何事もなく。


 サーヘイ堂の裏口、洗濯物を干す手を止め、メネスは物憂げに城壁を見た。巨大な城門を越え、風にさわぐ草原を抜けた先に、魔王の座すという廃城はある。


 セレファイスから魔王城への距離は、歩いて約半日ほどだ。道中でおかしな邪魔が入らなければ、という条件つきだが。魔王の討伐隊がセレファイスから出立したのが今朝だから、もうとっくに敵の本拠地へ踏み込んでいなければおかしい。


「大丈夫かな……エイベル」


 大丈夫に決まっている。自分がこんな場末の整骨院でくすぶっている間、エイベルは戦士として華々しい活躍を遂げ、いまごろ頌歌でも口ずさみながらセレファイスへの帰路についているに違いない。


 命がけの戦果に対する報酬はなんだろう。富、名誉、地位、さらには……宮殿通りでも滅多に見られないような美しい嫁までもらうかもしれない。


 エイベルは幸せな家庭を築き、やがて子供が生まれて誇り高い父となる。そのときにも自分はおそらく、まだこのサーヘイ堂で最低賃金の雑務をこなし、空いた時間は薄暗い地下室でひとり無益な召喚にふけっているのだ。


 この差はなんだろう? こんなにもはっきり人生の明暗をわけたのはだれだ?


 多くの劣等感がないまぜになって胸をしめつけ、メネスは息のつまる思いだった。


 そして実際、だれかの太い腕までもがメネスのむなぐらを掴んでいるではないか。


「え?」


 思いきり横面を殴られ、メネスはゴミ箱の群れに突っ込んだ。


 裏口からこぼれるほのかな灯に、院長のオーベッドが仁王立ちしている。岩石のような拳を鳴らしながら、オーベッドはうなった。


「いくらもらった?」


 ゴミ箱を倒して派手な音をたてながら、メネスはなんとか身を起こした。唇の血をぬぐいつつ、弱々しい声で答える。


「なんのことです? ニコラさんから頂いた代金なら、ちゃんと店の金庫に入れてあったでしょう? あれがすべてです」


 メネスの説明に嘘偽りはない。ニコラは当然、毎回のようにメネスへ高額のチップを渡そうとしてくるが、丁重にお断りしている。メネスからする理由はいろいろだ。秘密のチップへの後ろめたさ、ニコラへの感謝、受け取ることで大事な一線を超えてしまうという危機感、その他……


 小柄なメネスをたやすく立ち上がらせると、オーベッドはうなずいた。


「そうか。ならいい」


 オーベッドの拳が鼻面にめり込み、メネスはふたたび吹っ飛ばされた。こんどはゴミ箱の中の生ごみに、頭から突っ込む。おさえた鼻から冗談のように血をこぼすメネスへ、オーベッドはまたたずねた。


「いくらもらった?」


「ふ、ふつうの代……」


 つやのある頭髪をつかみ、オーベッドはメネスを引きずり上げた。何本か毛の抜ける嫌な音。そのままもう一発殴られたメネスの口から、奥歯の破片が飛ぶ。小首をかしげながら、オーベッドは質問した。


「メネスよぉ。あの金持ちは、なんでおまえごときを指名した? てめえの腕前を否定され、追い払われた俺の気持ちがわかるか? なあ? いったいなんなんだよ、あいつのお目当ては?」


「ニコラさんには、ぼくの地呪が必要だそうです」


 みぞおちにオーベッドの膝が突き刺さり、メネスは血の混じった胃液を吐いた。強面に嘲笑を混じらせ、オーベッドは続ける。


「前々から疑ってたが、やっぱりそういう関係か。変態野郎ども。俺の店で、野郎どうし好き勝手あれこれしやがって」


 つぎに振り上げられたオーベッドの腕は、メネスに掴まれて止まっていた。オーベッドの視線を睨み返すメネスの眼差しは強い。心底馬鹿らしげに、オーベッドは鼻を鳴らした。


「この手はなんだ? あ? この根暗チビが、殴られすぎておかしくなったか?」


「ぼくのことをけなすのは構いません。暴力的な指導にも耐えます。ですが……よくしてくれるお客を悪くいうのだけは、やめていただけませんか?」


「いい度胸だ」


 メネスをつかむのと逆の手に、オーベッドは意識を集中した。


 おお。そのてのひらに揺らめいた熱気は、またたく間に目に見える炎と化したではないか。灸をあつかう按摩師ならではの火の呪力〝火呪かじゅ〟……もちろん火は人類に与えられた万能の道具であるため、とくにその高熱は他のいろんなことに応用できる。


 オーベッドの手に宿った火炎を見て、メネスは顔をひきつらせた。


「や、やめてください……呪力だけは」


 懇願するメネスの手にも、かすかな稲妻がほとばしった。


 目を丸くしたのはオーベッドだ。


「お得意の地呪だな。なんの役にも立たない。火呪がおまえの綺麗なお顔を男らしくするより早く、俺をしびれさせてみるか? やれるもんならやってみろ。おまえなんざ即刻クビにして、衛兵の詰め所に突き出してやる」


「!」


「前科までついちゃ、おまえみたいなクズはもうどこにも雇ってもらえねえぞ。居場所もなく、ただひとりで首でもくくるしかねえ。それにおまえ、最初の面接のときに言ったよな。〝どんな厳しい仕事にも耐える、雇ってほしい〟ってよ」


 メネスの手から、呪力の輝きはとだえた。突き飛ばされ、うしろの壁にぶつかる。


「それでいい」


 逃げ道をなくして呆然とするメネスめがけて、オーベッドは灼熱の手を振り上げた。


「おつかれさん! また明日な!」


 奇妙な風鳴りが、頭上を駆け抜けたのはそのときだった。


 あらゆる動きを止め、オーベッドは夜空を見上げている。


「なんだ?」


「……?」


 まぶたを腫らしたまま、メネスもオーベッドにつられてそちらを見た。


 雲がかる月を横切り、セレファイスの上空を飛行する影がある。こんな夜更けに飛ぶ鳥はこの地方にはいないはずだ。おまけにその鳥は異様に大きく、広い翼といっしょに手足まで生やしているではないか。


 目をぱちくりさせ、オーベッドはつぶやいた。


「や、夜鬼やき……!?」


 叫び声は、頭上高くに消えた。


 急降下してきた魔物が、オーベッドを夜空へ連れ去ったのだ。


 夜鬼……湾曲した二本の頭角と鋭い針を備えた尻尾、そして巨大な翼と不気味に痩せ細った体をもつ魔物だ。この飛翔生物をひときわ恐ろしくするのは〝顔がない〟こと、つまりのっぺらぼうであることに他ならない。


 本来はセレファイスから遠く離れたングラネク山近辺に生息し、奥地に近づく者を危険な地底へさらうだけの性質のはずだが……そんな悪夢じみた魔物が、なぜここへ?


 夜空を飛ぶ夜鬼の姿は、ひとつだけではない。十匹、百匹、もっと、もっと……おびただしい数の夜鬼は、とめどなくセレファイスの城壁を飛び越えている。


 ところで夜鬼は、さらうだけが特技ではない。運んでくることもできる。


 そう、メネスが目撃したあんな風に。一匹の夜鬼が、一匹の長身痩躯の食屍鬼グールを。一匹の夜鬼が複数の矮小なズーグ族を。複数の夜鬼が一匹の肥え太った蛙人マーチャントを。以前の襲撃で城門を越えられなかった魔物の群れは、今回、空の戦力に運ばれて次々とセレファイスの都に侵入してくる。


 立ちすくんだまま、メネスはさらにおぞましい音を聞いた。


 巨大な城門が、きしみをあげてゆっくり開く響きだ。


 見れば、城門のかんぬきは統率された動きで魔物の群れに外されていた。いったいだれが魔物どもにあれの外し方を教えたのだろう。内側から何重にも複雑な鍵がかけられた閂は、稼働させる行為そのものに専門の兵を必要とする。


 おまけに門を動かす歯車装置の巨大な取っ手をも、魔物どもはうまく連携して回してみせた。いちはやく襲われた担当の衛兵たちは、魔物の足元で倒れて動かない。


 あたりの民も、異常に気づき始めたようだ。悲鳴が、怒号が、狼狽がさざ波のごとくセレファイスに広がる。


 やがて轟音とともに、城門は完全に開ききった。


 沈黙……


 口をあけた城門の闇に、なにか白いものが浮かび上がった。


 仮面だ。不吉な仮面。都に進み入ってくる仮面にひかれるように、暗闇は分離して外套に覆われた手足の姿をとった。この男、正体不明。人間であるかどうかも不明。ただ、その周囲に霧のごとく舞う黒い砂の話は聞いている。


 歯の根を震わせながら、メネスはその名を口にした。


「魔王……!」


 魔王のかたわらを駆け抜け、歓喜の咆哮をあげて魔物どもは都になだれこんだ。

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