「内臓」(9)
夜の港町……
封じるべき魔物の巣は、海のむこうにまだ幾つか残っていた。次の目的地であるオリアブ島行きの商船が出航するのは、あすの早朝。ぼんやり虚ろな灯りをともす宿屋で、遠征隊のメンバーは戦いにそなえて身を休めている。
穏やかな波音に包まれる砂浜に、ひとり腰をおろすのはフィアだった。寄せては返す波と水泡のきらめきを、ただ無言で見つめている。そっと髪を揺らす潮風は、人間であればきっと心地よいと感じたに違いない。
「心配しました。探しましたよ、フィア。あいてますか、おとなり?」
「この世界の美しい景色はもともと、あなたたちのものよ。どうぞ、アリソン」
装備を外して軽装にはなっているが、大剣だけは背負ったままなのがアリソンの実直さをよく表していた。大剣をかたわらに置き、よく鍛え込まれたしなやかな長身がフィアの横に座る。ガラス玉のように月光を反射するフィアの瞳へ、アリソンはたずねた。
「どうしたんです? こんなところでひとり?」
「あたしだって、ときには郷愁にひたることもあるのよ?」
「年頃の少女なら当たり前のことです。よろしければ、なにが映っているのか教えてもらえますか、あの海面に?」
「ふふ、報告書よ」
「報告書?」
眉をひそめて、アリソンはフィアを見た。フィアは紙もペンも持っていない。じぶんの頭を指差し、フィアはいたずらっぽく微笑んだ。
「規格のあう画面とか印刷機があれば、あなたにも見せられたんだけどね。筆記用具はぜんぶ、この頭の中にあるの。文章ソフトっていうやつ。旅の途中でも自動と手動でこつこつ打ってたんだけど、細かい部分やまとめは空き時間にじっくりやるしかないわ」
「仕事熱心ですね。私も見習わねば。ところでその透明の報告書というのは、どうやって相手先に見てもらうんです?」
「メールとか専用サーバーにアップしたりとかよ。ま、なんどか試したけど、さすが異世界。あちら側への通信のたぐいが、これっぽっちもつながらないわ。でも義務は義務。あっちに戻ったときに叱られないよう、とりあえず書き溜めてるってわけ」
「私の知識では、なかなか理解の追いつかない内容ですが……つまりフィアは、例の別世界に戻る必要があるということですか?」
「一応は、ね。かんじんの戻り方は、ただいま調査中。帰れるかもしれないし、もしかしたらこの世界で長いことお世話になるかもしれない。安心して。すくなくとも魔王を倒すまでは、あたしはここにいるわ」
「倒すまで、ですか……」
フィアと同じ海を眺めるアリソンの顔が、すこし切なげに思えたのは気のせいか。浜辺の貝殻に視線を落とし、アリソンはつぶやいた。
「申し訳ありませんでした。あなたを悪の手先などと疑ってしまって」
「間違いじゃないわ。今回はたまたま、セレファイスと組織の利害が一致しただけ」
「いまは、フィア。あなたといっしょなら、どんな困難も乗り越えていけます」
「その期待、あたしの駆動装置でなんとか支えきってみせるわね」
ふたりは心強く頷きあった。
ふと、真剣な目でフィアを見つめたのはアリソンだ。
「旅立ちのとき、覚えていますか。あなたの悩みついて意見を出し合ったこと」
「ええ。この戦いが終わったら、こんどはどんな邪魔も気にせず、愛する人ひとりとしっかり向き合う。アリソンからもらったアドバイスよ」
「そうです。かわりと言ってはなんですが、私のほうの悩みも聞いてもらえますか?」
「え? ええ、あたしに答えられることだったらなんでも」
「ありがとうございます。いまの都の状況を考えれば、この希望は裁きを受けて当然の内容ですが……」
しばし思い悩んだのち、アリソンは告げた。
「私は、この旅がいつまでも終わらないでいてほしい」
沈黙するのは、こんどはフィアの番だった。驚いたようにアリソンの顔を覗き込み、当然の質問を返す。
「どういうこと? 一歩間違えれば命を落とす危険な旅なのよ?」
「心得ています。ですが、すこし前に気づいてしまいました。私はどうも、この旅の途中で愛してしまったようなんです。ある人を」
「え? ええぇ? うっそぉ!?」
素直に声を裏返らせ、フィアは続けた。
「だれ? だれだれ? だれよ?」
「もちろん最優先はセレファイスの防衛です。ですが一方では、いつまでもその人と同じ時間を過ごしていたいと願う自分もいます。なにせその人は、旅が終われば前々からの想い人のところへ戻るそうですし、私の知る世界そのものから消え去ってしまう可能性すらあります。わかりますか? 言葉にできないこの愛しさ、悲しみ、焦り」
「意外だわ。あたしよりよっぽど機械らしいと思ってたあなたが、まさかそんな熱い気持ちを……あれ?」
自分の肩にそっと回されたアリソンの片腕を見て、フィアの思考は凍った。
なんど状況を整理し直しても、同じ答えばかりが出る。今回の遠征隊の中に、異性らしきものはフィアしかいないのだ。恋愛に、CPUが追いつかない。熱暴走の余波だろうか顔を赤面させながら、フィアは苦しまぎれに聞いた。
「これは興味本位なんだけど、アリソン。あなたはだれを好きになったの?」
「あなたへの進路上に、いくつもの壁が立ちはだかっているのは承知のうえです。クラネス王、そして召喚士のメネス・アタール。まったくもって手強い茨の道です。それでもなお、この想い、あなたに伝えたい」
優しく、しかし確かに力のこもるアリソンの手を、フィアは払いのけられなかった。おとなしく見えて、意外と大胆だ。そしてどう演算しても、この場を切り抜けるにはだれかの心を傷つけるしかない。ごまかしや暴力、冷静な説得等の効かない窮地だった。いったいどうすれば……計算外の事態に弱いフィアを離さず、アリソンは言い放った。
「フィア、私は、あなたが……」
月明かりに白ばむ海を背景に、人影はもうひとつの人影にそっと唇を近づけ……
フィアが目を見開いたのはそのときだった。
「!」
いきなり立ち上がったフィアに、アリソンも驚きを隠せない。険しい顔つきで夜空を睨めつけながら、フィアは早口につぶやいた。
「都に知らせるわ」
無論、アリソンは絶望的な面持ちになった。
「そんな……私なんて処されてしまえと?」
「ちがうわよ、このばか。セレファイスに戻り始めたのよ、魔王が!」
「なんですって!? ほんとうですか!?」
「間違いない、この位置情報。あすの目的地、オリアブ島から、魔王は海を渡って都へ向かってる。すごい速度……夜鬼か、それ以上の航空手段を使ってるんだわ」
「すぐに都へ警報を!」
腰のケースから、アリソンはあるものを掴み出した。ひとまとめのそれを、素早く夜空へかざす。その手を中心に、渦巻いたのは呪力の風だ。それこそが、各中継地点に待機するセレファイスの伝令に情報をもたらす方法に他ならない。
「舞い上がれ、風よ!」
呪力の突風に打ち上げられた不凋花の花びらは、空高くで派手に散って輝いた。




