「内臓」(7)
フィアたち遠征隊がさいしょに訪れたのは〝魔法の森〟と呼ばれる場所だった。
木々という木々は複雑に絡まり合って時間の停止した大蛇を思わせ、森の中は昼でも薄暗い。湿った腐葉土のそこかしこに蔓延る菌類は、ときおり神秘的な燐光をはなっては遠征隊の行き先を照らす。無限に響き続けるのは、多種多様な虫の囁き声だけだ。
いや、魔法の森を棲家にする生物はまた別にいる。すました耳に断続的にこだまするのは、舌を震わせるかのごとき奇妙な囁き声だ。
遠征隊の先頭、闊歩する馬の上で囁いたのはアリソンだった。
「魔王の居場所がわかるそうですね、フィア。セレファイスが魔王の毒牙にかかろうとしているこの時期に、まさしく神の導きのごとき力です」
「信仰深いのね。試しに祈りでも捧げてみる? セクシーなポーズをとって、きょうのお天気とあなたのラッキーカラーを占う機能ぐらいなら、あたしにもついてるわ」
「はぐらかしますね。お気づきだと思いますが、隊員たちはあなたの〝予言〟を疑っています。魔王に命じられ、あるいは独自の狂言で、我々を危険な場所へ誘導しているのではないか、と」
「あたしのデータベースに記録されてる〝予言者〟も、ほとんど例外なく最初は嘘つき呼ばわりよ。その予言とやらが的中するまでは」
「すこしのヒントでも結構です。教えて頂けませんか、あなたと魔王の関係を」
「ヒント、か。どれひとつとっても守秘義務に引っかかるんだけど……そうね」
馬に揺られながら、フィアはか細い片手を宙にかざした。
あるかなきかの木漏れ日の下、鮮やかな色がその手のまわりを舞う。蝶のつがいだ。魅惑的な動きをみせて指先と蝶を踊らせるフィアへ、うっとりした溜息をもらす隊員さえいる。美しい。
もうひとつ別の色があることに気づいたのは、アリソンだけだった。
いままでは制服の袖に隠れて見えなかったが、フィアの手首で反射したあれはなんだ?
銀色の、腕輪?
不思議な輝きをはなつ金属の腕輪のことに関して、たしかベイツやエイベルがなにか言っていたような……
「あたしも質問してよろしいかしら、アリソン?」
アリソンの思考をさえぎったのは、フィアの妖しい声音だった。もういちど確かめるまえに、銀の光はフィアの袖に隠れてしまっている。いぶかしげな視線をそこからフィアへ戻し、アリソンは答えた。
「なんでしょう?」
「あなたの背中の、その大きな剣……出発のときから気になってたけど、とんでもない重さね。ここまで背負ってきただけでも、ふつうならヘトヘトよ。勝手で悪いけど、あなたのここまでの動作から計算した身体能力では、物理的にどう考えてもそれを使いこなすことはできない。そうでしょ?」
不穏な空気に、アリソンは眉根を寄せた。
「だとしても、あなたに関係はないでしょう。なぜ唐突に私の武器の話など?」
「ただの鉄の塊じゃないわね、その剣。解析したところ、本体に合計二十箇所いじょうの孔が開けられてる。軽量化やデザインなんかじゃなく、意図的に作られた仕様よ。なにかの防御のための構造? 例えばあたしがとつぜん攻撃したとして、うまく対応できるかしら?」
どこか、なにか雰囲気がおかしい。
それとなく背中の柄に手をそえながら、アリソンは言い返した。
「そうやすやすと教えるわけにはいきません。じきにお見せするときは来ます」
「そ。つまりお互い、必要になるまで秘密は明かせないってこと」
アリソンが剣を抜くより、フィアの腕が跳ね上がるほうが一瞬早い。同時に展開した機関銃が、アリソンを狙う。
「やはり貴様、魔王の……!」
閃光……
振り向いたアリソンの視線の先、宙を回転するのは小さな槍状の物体だった。フィアの銃撃が、飛来したそれを紙一重で撃ち落としたのだ。狙ったアリソンの首筋から外れた奇怪な凶器は、かわりに刺さった木の根を猛烈な勢いで溶かし腐らせている。音もないその投擲を、もしフィアが事前に察知していなければ……
「猛毒の槍……ズーグ族か!」
慄然と叫んだアリソンふくめ、フィアは遠征隊へ大声でうながした。
「走って!」
いっせいに馬を鞭打って、遠征隊は全速力で森を駆け始めた。
時を同じくして木々から現れ、地を、樹上を、すばやく疾走するのは数えきれない小柄な人影だ。ズーグ族の首筋にちらりと見えた黒いものに、アリソンは表情を険しくした。
「あれは魔王の刻印……では魔王は、すでにここを通り過ぎて」
「とっくに終わってるみたいね、ズーグ族の人材募集は。半径二十メートル以内の敵性反応は、百匹を超えてる。でも計画どおりにやれば、ここの封印はまだ間に合うわ。魔王がつぎの種族と接触する前に、急いで!」
すでに操られていることもあって、遠征隊に対するズーグ族の殺意は本物だ。毒塗りの武器を手に手に、矮人たちは森を突っ走る隊を高速で追った。ズーグ族特有の舌を震わせる歯擦音が響くたび、それを合図にして鋭い矢や槍が降りそそぐ。
たくみに馬を蛇行させる隊員たちだが、攻撃の手数と道の狭さが重なって回避しきれない。ときおりフィアから走る銃弾の援護がなければ、とうに多くの殉職者がでていたはずだ。かすっただけでも即死を意味する凶器の雨をかわして、走る、走る、走る。
「……!」
手綱さばきに集中する手をゆるめ、ふたたび大剣の柄に手をかけたのはアリソンだった。
道の先の樹の下に、これもまた小さな気配が動いたのだ。先回りされた。後続を援護するフィアの意識を逸らすわけにはいかない。ここは、自分が盾となって隊を守らねば……
「待って」
フィアのその制止に、アリソンは目を剥いた。
「気づいていたんですか!? 敵は前にもいます!」
「あれは〝味方〟よ。ぎりぎり間に合ったみたいね」
「え?」
一心不乱に森を駆け抜けながら、アリソンは目を凝らした。
よく見れば、道の端に座っているのはズーグ族ではない。
一匹の猫だった。
そう、どこにでもいる普通の猫。
当然、アリソンは疑問符を浮かべた。
「なぜこんなところに……?」
それまで丹念に鼻のまわりを繕っていた前足を止め、猫は疾走する隊の先頭を見た。
交錯の一瞬、フィアと猫が小さく頷きあったように思えたのは気のせいか?
猫の背中はうしろに遠ざかり、森の暗闇からは引き続きズーグ族の群れが追ってきている。よほど運がよくない限り、かわいそうだがあの猫も無事ではすまないはずだ。
馬をフィアに寄せると、アリソンはたずねた。
「味方、とはどういうことです?」
「あたしたちがセレファイスを出発するより早く、王は一足先に専門の交渉係をある場所へ向かわせたの。頼りになる味方のもとへ、ね。その町の名前は、ウルタール」
「ウルタール……そうか、そういうことですか!」
「細かい種明かしはまたあとで。ついたわよ、森の中央部に」
停止したフィアにならい、遠征隊は次々に馬の足を止めた。
その広い空き地にかぎっては、妙に樹が生えていない。かわりに屹立するのは、苔むした巨大な環状列石だ。
たえず後方を警戒する隊員たちだが、ズーグ族の追跡は嘘のようにやんでいる。フィアがいう秘策の効果だけではない。この壮大だが不吉さばかりが漂う遺跡を、ズーグ族はひどく恐れているのだ。
環状列石の中心部を目の当たりにして、声を押し殺したのはアリソンだった。
「コスの揚戸……開いている!」
そう。この遺跡から円塔状の階段をはるか下へ降りた先、存在するのはあの恐ろしい巨人ガグの生息する地下王国だ。
だがおかしい。伝説のコスが地下の出口に設置したといわれる巨大な石の揚戸が、横へずらされているではないか。この石蓋にほどこされた強い呪力を忌避し、ガグは長らく地上へ姿を現すことはなかったのだ。ぽっかりと口を開けた深淵は、いまも恐るべき闇と風を吐いてうなりをあげている。
馬をおりて揚戸の近くにしゃがみ込むと、アリソンは地面を指でなぞった。
見よ、その手を流れ落ちる黒い砂を。おぞましい呪力をおびたこの黒砂こそが、石蓋の封印を解いたのだ。同じく下馬したフィアへ、アリソンは驚きの表情を隠せない。
「信じられませんが、まちがいありません。魔王はここからガグを連れ出し、セレファイスを襲わせたのです。ズーグ族に、そしてガグ……また当たったようですね、ふたつめの予言も」
「測定によると、あたしの女の勘は常人の八十五倍よ。さ、感心してるとこ悪いけど、ちょっとどいてて」
「は、はい」
うしろへ下がったアリソンと入れ替わりに、フィアはある行動にでた。
身の丈をはるかに超える巨岩の揚戸を、力をこめて押し始めたではないか。もちろん石蓋は想像もできない重さを誇り、びくともしない。とうとう手や肩といった全身を使って揚戸に挑みだしたフィアへ、アリソンは隊を代表してたずねた。
「あ、あの」
「しゃべりかけないで。いまいそがしいの」
「動かないでしょう、それ? どう考えても、ぜったいに?」
「ごもっともだわ。薔薇の茎のようにか弱く美しいこのあたしが、こんな大きな巣穴をひとりで封印できるとでも? できちゃうんだな、これが。移動対象の重量計算等、完了」
「は?」
目をしばたいたアリソンを尻目に、フィアがつむいだのは呪われた言葉だった。
「基準演算機構を狩人形式から超人形式へ変更……撤去開始」
フィアの全身あらゆる箇所の動力がフル稼働する響きと、その余波で放電される稲妻の輝きを隊員たちはあぜんと見守った。
おお。地響きとともに、巨大な揚戸がゆっくり動き始めたではないか。着実にフィアに押された巨岩は、気づいたときには地底の大穴をもとどおり塞いでいる。
役目を終えた岩石から身を離すと、フィアは平然と制服のほこりを払った。ぐっと立てられたフィアの親指を眺めながら、うわごとのように呟いたのはアリソンだ。
「夢でも見ているんでしょうか、私は……」
「夢に見てもいいのよ、あたしのこと。あとは任せるわね、この揚戸。打ち合わせどおり再封印の呪力ってやつをよろしく。これで当面、魔王はあのガグとかいう大物を連れ出すことはできないわ」
木々の間から飛び出した手が、フィアをわし掴みにするのは突然だった。
「な!?」
木立を左右へ打ち倒しながら現れたのは、ガグの醜い巨体だ。すでに何匹かが、大穴を抜けて地上へ出ていたらしい。
「フィア!」
アリソンの叫びもむなしく、フィアはなすすべもなく宙へ持ち上げられている。巨大な手ですっぽり体を捕らえられているため、自慢の火器を展開することもできない。ゆいいつ自由のきくこめかみの小型熱線銃も、寸前に顔ごとガグに掴まれて封じられる。
その機先の制し方は、どう考えても事前に何者かに仕込まれた動きだった。
ガグの首をしばる真っ黒な首輪が、その答えだ。
「……!」
雑巾でもしぼるように絞めつけられたフィアから、いやな金属音が漏れた。
家一軒をたやすく瓦礫の山に帰す怪力だ。特殊複合金属でできた彼女の骨格を砕くことは難しいが、その連結部は構造上どうしても脆い。このガグはどうも、そのことまで把握しているようだ。そのままフィアの五体を、木偶人形のごとく部品ごとに分断する……
鋭い音がひびいた。
無残に斬り飛ばされたのは、フィアの首ではない。切断されたガグの片腕は、おぞましい汁をちらしてまだ空中をきりきり回転している。
見よ。下から上へ巨大な剣を振り抜いた姿で、高く跳躍するのはアリソンだ。
六メートルをしのぐ巨人の背丈をさらに超える跳躍力。おまけに、現実離れした大剣を軽々と振り回すその膂力。ガグの巨腕をあっという間に刎ねてのけた力の秘密は、次の瞬間に明らかになった。
「駆け抜けろ、風よ!」
アリソンの強い呼び声に応じ、周囲の大気は意思あるもののごとく舞い踊った。
呪力に導かれた突風は、アリソンの大剣にうがたれた大小二十以上もの通風孔を複雑に行き来し、刃を加速。同じく精密にコントロールされた風は、強烈な追い風と化してアリソンの全身を圧し、驚くほどの身体能力を叩き出す。
切り上げたときとは逆に、大剣は怒涛のごとく切り下げられた。
上から下へ。空高くから巨人へ。
戛然……
打ち落とされた刃は地面を叩き、そこを起点に解放された風は大きく森を揺らした。
剣を振り下ろした姿勢のままのアリソンの頭上、ガグは動かない。
急に脱力したガグの手から、地面へ落ちたのはフィアだ。なんとか受け身をとって起き上がり、感心げに口笛を吹く。
「やるぅ♪」
風呪とそれ専用の剣を複合した神速の斬撃の使い手……アリソンはささやいた。
「〝呼吸する剣〟……それが私の二つ名です」
頭頂から股間まで切り離されたガグの体は、左右に分かれて地面へ倒れた。




