誓いの言葉、彼女の口付け
それは映画のワンシーン。
古い映画だった。タイトルもよく知らない。彼の父と母は仲良く肩を並べて、遠い記憶を辿るように、その映画に見入っていた。
真っ白なドレス。古びた教会。誓いの言葉。開け放たれる扉。かつて愛した人。差し出す手。ふわりと風をまとったドレス。走り出す二人。愛を信じて、手に手を取った。
彼の記憶には、それが鮮明な光となって残り。
彼はこの日を迎える。
生成りのレースが混じった白いドレスを纏った瑞穂は、今日最愛の人と式をあげる。
「純白よりも少し生成りのドレスがいい」とごねた彼女がようやく見つけたドレスは、他ではあまり見ない、どこか古いヨーロッパを思い起こさせるものだった。純白のレースと生成りのレースが幾重にも重なり合い、散りばめられたパールが、陽光に当たって白く輝く。
今日の良き日を迎えるにあたり、最高のドレスだと、彼女は世界中の誰よりも幸せそうな微笑を浮かべる。
夫となる彰義と足繁く探して決めた結婚式場は、格式高いヨーロッパの教会を思わせる荘厳な教会を有する式場だった。重厚な木造の建物は、築三年らしいのだが、築百年くらいに見えるように、わざと古びた様式にしてある。
赤や青、オレンジの光を透かす、イエス・キリストのステンドグラス。ツタが絡まったデザインのブロンズの十字架が、厳かな雰囲気を漂わせる。
父、英介の腕を取り、瑞穂は教会の扉の前に立つ。この扉の向こうには、瑞穂を祝福するたくさんの親族や友人が待っているのだ。
「あなたは、瑞穂さんをを生涯の妻と定め、健やかなる時も病める時も彼女を愛し、彼女を助け、生涯変わらず彼女を愛し続けることを誓いますか?」
彰義は少しだけ声を震わせながら、決意に満ちたまっすぐな瞳ではっきりと口を動かし、「誓います」と誓いを立てた。
司祭の青い瞳が、彰義から瑞穂へと視線を移す。
瑞穂は、小さく唾を飲み込んだ。待ち望んだ幸せを誓う日。夢のようで、現実ではない気がして、そっと目を閉じた。
「あなたは、彰義さんを生涯の夫と定め、健やかなる時も病める時も彼を愛し、彼を助け、生涯変わらず彼を愛し続けることを誓いますか?」
閉じた目をゆっくりと開ける。飾られた白いバラと、手に持った百合のブーケが目に飛び込んできた。司祭の白い髭に、栗色の毛が混じっているのが見えて、瑞穂は笑いそうになった。そのおかげで、緊張が解けた。瑞穂はふっと小さな息を吐き、夢見てきたセリフを口に出す。
「……誓います」
ふと横を見ると、たれ目の瞳を細くして優しそうに微笑む彰義の顔があった。瑞穂は、涙が出そうになるのを必死にこらえて、彼に笑顔を送る。
彼は彼女のことが大好きだった。この日を迎えることを知った日、彼は隠れてこっそりと涙を流した。彼女のことが心から大好きで、結婚するのは自分だと信じていた。
いつ。いつの間に。彼女は自分以外の人と愛し合ったのだろう。彼女はいつも、自分の前で最上級の笑顔を見せてくれたし、「大好き」といつも言ってくれていた。
他の誰よりも、彼女を知っていると思っていた。彼女が自分以外の誰かを想っていたなんて、信じられなかった。
初めて参列する結婚式が、彼女のものだなんて。彼には、この現実を受け入れることが出来なかった。
「この結婚に異議のある者は今のうちに申し立ててください!」
司祭が両手を広げ、参列者達に呼びかける。
異議を唱える者など、いるわけがない。静まり返った教会の中で、彼は言葉を発するのは今しかないと、本能で悟った。花嫁を奪い去る、あの映画のワンシーンが脳裏をかすめていった。
彼はまっすぐに手をあげた。ゆらりゆらりとランプが灯った天井めがけて、彼の手は伸びていた。
「嫌だ」
彼は小さな声でそう言っていた。参列者達がざわつくのがわかって、彼は顔が真っ赤になっていくのを感じた。
恥じらいを捨てるために、彼はもう一度、大きな声で「嫌だ!」と叫ぶ。彼の隣にいた初老の女性が、彼の肩をそっと掴んだ。
「リョウ君」
たしなめる響きを持った声が、彼の名を呼ぶ。彼はその手を振り払い、じっと、花嫁――瑞穂をにらみつける。
「リョウ君……」
輪郭を覆うように曲線を描くマリアベールの奥で、彼女が哀しそうな顔で彼を見ていた。
彼はぎゅっと目をつぶり、泣き出しそうな声でつぶやいた。今、言わなくては。彼女は遠い、遠いところに行ってしまうのだ。
「瑞穂が好き。俺のほうがそいつより瑞穂のこと、好き」
ヴァージンロードを戻って、彼の立つ場所まで彼女はやって来る。彼女が手に持った百合のブーケの清廉とした香りが、彼の鼻先をくすぐった。
「ありがとう、リョウ君。リョウ君の気持ち、忘れない」
「行かないで」
情けない、そう思いながらも、声が震えてしまうことを我慢できなかった。彼女は彼の前にひざまずき、彼と目線を合わせた。
生成りのレースと純白のレースが、ふわりと風を揺らした。
「ごめんね、リョウ君。お姉ちゃん、リョウ君のことも大好きだけど、どうしてもそばにいたい人がいるの」
「行かないで」
わがままなのはわかっていた。けれど、彼女を手放したくなくて、彼は大粒の涙を零しながら、精一杯の気持ちを訴えた。
彼女の手が、彼の頬に触れる。白い手袋ごしに、彼女の温もりを感じた。泣き虫の自分が涙を流す時、彼女はいつもこうやって頬に触れてくれた。
「リョウ君、ありがとう。私、幸せになるから。リョウ君も、お姉ちゃん以上に大好きな人と、ここでいつか愛を誓ってね」
柔らかい感触が、彼の額に注がれる。ぽってりとした彼女の唇は、彼の額に誓いのキスを落とした。
額がじんじんと熱かった。彼女の温もりを忘れたくなくて、彼は額を両手でそっと押さえた。
「ごめんね、瑞穂ちゃん」
「いいえ。大丈夫です、お義姉さん。嬉しかったから」
彼の母が、彼女に詫びる。母は相当怒っているのだろう。こんな場所で怒りを露にできないと、今にも生えてきそうな角を必死に押さえているのが、彼にはわかった。
「でも、せっかくの式をぶち壊したわ。この子ったら」
母の手が、彼のふわんふわんの髪の毛をかきむしる。優しくなでているようでいて、力のこもったその撫で回し方に、彼は口をへの字に曲げた。
「まだ五歳ですから。みんな、微笑ましく思っただけですよ。気にしないで」
見回すと、くすくすと笑う、参列者達の姿があった。
彼はうつむいて、唇をかんだ。悲しくて、くやしかった。
彼女のドレスが揺れる。純白と生成りの向こう側に、燦然と輝く彼女の笑顔がある。
大好きだった。誰よりも。
誓った言葉も忘れない。
「瑞穂、いつか俺が結婚してあげるよ!」
叶わなかったけど。忘れない。
「彰義と瑞穂は、神と公衆の前で夫婦となる約束をしました。ゆえに私は父と子と聖霊のみ名において、この兄弟と姉妹とが夫婦であることを宣言いたします。神があわせられたものを人は離してはならない。アーメン」
司祭の低音の声が教会に響き渡る。
司祭に続いて、参列者達が「アーメン」と言うので、彼にはなぜその言葉を言うのかわからなかったけれど、彼もその言葉を大きな声で口にした。
「ラーメン」
「バカ」
母の強烈なゲンコツが彼の頭を襲うのだった。
つい最近、結婚式に出席しました。出会いもゴールも、そしてスタートも、すべて見た友人の結婚式を祝いつつ、こんなお話を妄想してました。
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