胸に秘めた思い
これは後に親父から聞いた話だ。
向日葵がぼくと別れた後どういう経路を歩いたか分からない。
当時、あのひまわり畑は崖の上に所在していた。まあ、今もだが。でも、そんな崖っぷちの場所にはない。そのため、当時は柵が存在してなかったそうだ。
向日葵の不注意だったんだろう。三歳の子に責任能力の所在はない。その崖から落ちたそうだ。向日葵は、途中の位置に引っかかり、声が聴こえて、母さんが気づいて降りたそうだ。
だが、その引っかかっていた場所に大人を支える耐久力は残されてなかったみたく、母さんと向日葵はそのまま転落。地面に打ち付けられたらしい。母さんが庇ったおかげで向日葵は九死に一生を得たが、母さんはそのまま帰らぬ人となった。
母さんも必死だったんだろう。救急隊を待ってる余裕もなかったはずだ。待っているのが、最善だがテンパっていたのだろう。待つことをせず、自分で助ける道を選んだ。
誰も、ぼくを責めようとしなかった。一番悪いのは向日葵から目を離し、手を離したぼくなのに。
幼い心ながら、責められなかったことに罪悪感を感じたんだろう。
それからだ。向日葵を執拗なほどに過保護となり、手を離さないように自分の目の届く範囲で活動させるようにさせたのは。
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ひまわり畑を一通り回って、姉さんの場所へたどり着く。
ひまわり畑のはずれだ。ここにひまわりはもう植わってはいない。
あるのは一つの墓だ。
姉さんはそこで手を合わせている。
ぼくの存在に気づいたのか、裾を整えて立ち上がった。
「遅かった……いや、思ったよりは早かったわね」
「年に一度来てるんだ。リニューアルもされてないのにそんなに見るものはないさ」
「ま、それもそうね。ここも墓参りだけが目的だし」
姉さんは迷惑にならない程度の小さな墓を見つめる。
ぼくたちの母の墓だ。
あの事故を機に柵が張られた。そんなことをしても母さんが戻ってくるわけではないが。
ぼくも座って、手を合わせる。
「線香ある?」
「あんた持ってきてないの?」
「しまったな……まだ時間あるし向日葵に頼んでおこう」
「はあ……じゃ、言っておくことあるでしょ。私はその辺うろついてるわ」
僕に気遣ってか、姉さんは墓から離れた。
母さんの遺影を取り出して、墓に立てかける。
「母さん。向日葵、元気だよ。今年で中学を卒業だ。早いよな。もうあれから十年以上経ってる。ぼくもあんまり覚えてないけどさ。向日葵、守ってあげてるよ」
いつもどおり、向日葵についての連絡事項を言っておく。
「向日葵だけどさ、彼氏出来たんだ。ぼくの親友だ。まあ、あんまりガラのいいやつじゃないけど、性格は真っ直ぐでちゃんと向日葵のこと考えてくれてるやつだ。あいつだったら向日葵を守ってくれると思うんだ。もう、向日葵もぼくの手から離れてもいいと思うけど、いいよね」
そう問いかける。もちろん、返答は返ってくるはずもない。
ふと風が吹いて、写真たてが倒れる。
「肯定って、ことでいいかな」
勝手にそう解釈して、立てかけ直す。
「あとさ、ぼくにも彼女できたんだ。覚えてるかな。隣の守山さんのところの愛花。春先に付き合い始めたんだ。でも、別れちゃった。ぼくはどうしても、女の子を女の子として見れないみたいなんだ。いつまでも守ってあげなくちゃいけないって。でも、愛花はぼくのこと、まだ好きでいてくれるって言ってくれた。もちろん、ぼくも好きなんだ。でも、今のまま付き合ってもまた別れるのが関の山だ。ぼくに女の子と付き合う資格なんてないのかな……?」
墓の前に腰をおろして、膝に顔をうずめる。
ふと、声が聞こえた。
「お母さんに恋愛相談する息子って普通はいないわよ。でも、先人の知恵として言っておくなら、日向がその子の人生背負って一緒に生きていきたいって思えたらそれでいいと思うのだけれど。致命的なのは女の子を一人の女の子として見れないところね。でも、こればっかりは日向自身が女の子をどういう存在として見てるかによるわ。愛花ちゃんを一人の女の子として見れないなら、愛花ちゃんと付き合うことはやめなさい。きっと、お互い辛い思いするだけだわ。それでも、なお付き合って、ゆくゆくは結婚したいと思うようなら、好きという感情を貫き通しなさい。その子のために、自分の一生を尽くしなさい」
そこで、言葉は途切れる。母さんの声でないことは明白だ。
そもそも前からではなく、後ろから聞こえてる。
「悪いな。姉さん。母さんの真似事させて」
「ま、弟の愚痴を聞いてあげるのも姉の仕事よ。どう?考えはまとまった?」
「そうだね。たぶん、今のままいても愛花とはまだ付き合えない」
「そう。どうするの?」
「向日葵の手を離さなくちゃいけない。今度は旅立ちの意味で」
「その、なんだっけ。アホくんだったっけ」
「夕夜な夕夜。認めたくないのは分かるけど、これが現実だ。受け入れてくれ」
「やだ〜私の向日葵〜」
そもそもあんたのものでもない。
「もっと好きにさせてやるべきなんだ。恋もやりたいことも。庇護し過ぎた。向日葵だって大人になる」
「う〜まだ、中学生よ」
「しょうがないな。期限を設けよう。向日葵が高校生になったらだ。あいつに連絡しよう」
きっと、周りの連中は大歓喜だ。
電話をかける。
「夕夜か?今、暇か?」
『バイトに向かってる途中なんだが』
「まあ、いいや。唐突で悪いが、向日葵と別れてくれ」
『いきなり無茶苦茶だな!誰の差し金だ!?』
「まあ、期限をつける。向日葵が高校生になるまでだ。それまでは独り身でララバイしてろ」
『お前ララバイの意味知ってんのか?』
「ぼくは知ってるが、語呂の問題で言っただけだ。お前は意味知ってんのか?この場で答えられたら向日葵とこれからも付き合ってもいい」
『ちょっ、ちょっ待て!』
「カウントダウン。5〜4〜」
『早い!早い!』
「3〜2〜」
『うおー!』
「1〜0。終了。向日葵に連絡しておくから。お前の彼氏は非常に頭悪いため、勉強し直すためにお前と別れると」
『ご慈悲を〜』
切った。
ちなみにララバイは子守唄の意です。
「彼氏の方は諦めさせることに成功」
「向日葵の彼氏アホだったのね」
「理数系は出来るんだけどな。他が赤点レベルだ」
春乃のやつ、大変だったろうな。ぼく、テスト勉強結局教えないままだったし。あれ?あいつ大丈夫なのか?
「あとは向日葵だけど……」
「部活中よね」
「メールして、折り返しで電話してくれるように言っておくか」
メールして数秒、電話かかってきた。
「早いな!」
「休憩中だったんじゃないの?もしくはまだ始まってないとか」
「まあ、それはともかく。もしもし」
『どうしたの?お兄ちゃん。愛ちゃんと復縁する気になった?』
「いや、まだだ。少なくとも、向日葵を独り立ちさせないとな。そのためにはぼくや、夕夜におんぶにだっこじゃダメだ」
『何が言いたいの?』
「期限を設ける。夕夜と今日限りで別れなさい」
『いや、支離滅裂だよ。なんなの?急に』
「今、ぼくのバックにはとても恐ろしい人が立っていてな。向日葵に近づく男はぼく以外は八つ裂きにするとか言ってるんだ。これはあいつのためでもある。あいつを思う気持ちがあるなら、しばらくの間別れてくれ」
『……いつまで?』
「向日葵が高校に入るまで」
『付き合うのをやめろっていうのはどのような範囲でしょうか、お兄ちゃん』
「そうだな……。姉さん、付き合いをやめるのはどの範囲で?」
「もちろん、向日葵の範囲1キロ以内に近づくことよ」
「あ〜、向日葵、聞こえるか?愛花とか春乃とか他の知り合いが一緒にいればいいからな。二人きりになるようなことはするなよ」
『う〜。夕夜くんはなんて言ってるの?』
「あいつは非常に頭が残念なので勉強し直してくるってさ。このままじゃ向日葵に釣り合う男になれねえって、暑く語っていったぞ」
『ものすごく嘘っぽい……』
「まあ、そういうことだ。半年ぐらいだ。我慢してくれ。ぼくも死にたくない」
『どういう状況なの?』
「知りたくば、早く終業式を終えてこっちに来ることだ。じゃあ、待ってるからな」
『うん』
電話を切る。
これでいいか。
「日向、あんた口が上手くなったわね」
「真実なんて二割あるかないかでいいんだよ。ようは情報戦で周りから固めていけばいい。そうすれば、あとは嘘っぱちでも本当っぽく感じるから」
「で、あたしが恐ろしい人だって?」
「向日葵は感じ取ってくれたから大丈夫」
「うう……向日葵にまで思われてるなんて〜。私、どうしたらいいのよ」
「知らんがな。アメリカで人身掌握術でも学んでこいよ」
「く〜。結構自信あったんだけど」
そもそも、人身掌握術に長けてるのなら、ぼくや向日葵を懐柔することなんて容易いはずだろう。でも、人身掌握術というものは、身内にやるものではないのかもしれない。なんか、やられたらやられたで騙されて気分だ。身内にそんなのされてるなんて嫌だ。
「ま、今日は戻ろうか。向日葵に終業式無理言って一日早くできない?」
「無理に決まってんだろ。飛行機のチケットだって、その日の時間取ってんだから来れないっての」
「面倒ね〜。また、スティーブン呼ぼうかしら」
もうあの人は東京に行っちまったよ。呼び戻すなよ、可哀想だから。
「ひな、スッキリした?」
「スッキリしたかは微妙なところだけど、目標はできたかな」
「ならよろしい」
今度こそ、ぼくが自分の意思で、愛花に告白しよう。まだ、時間はかかるかもしれないけど、愛花が許してくれる限り。
それまではその思いは胸にしまっておこう。前までの仲のいい幼なじみに戻れるように努力してみよう。
母さんの墓に背を向けて、姉さんと歩き始めた。




