日向のルーツ
まだ、入り口だ。終わりは見えない。大人でも1,2時間かけて歩いて回るそうだ。本来、ゆっくり見てそれを楽しむものなんだろう。
でも、幼い自分にはそんなのは分からなかった。同じような風景が続けば子供心は飽きてしまう。
「おにーたん。まだ〜?」
「う〜ん。まだみたいだ」
そもそも、大人でも1,2時間かかるものだ。子供の足で歩いて一直線に進んでも、前が見えない。まっすぐに進めてるとも限らない。そんなことは歩いてる幼い二人に分かるはずもない。歩いていればいつか終わりが見えるものだと信じているからだ。
「ちょっと、休もうか」
「うんー」
ひまわりの生えてる間に道ができている。まっすぐ進んでいるはずだが、いくらか分かれ道があって、適当に曲がってきてしまった。地図もないからどこのあたりを歩いてるのか分からない。
「向日葵、歩ける?」
「だいじょぶー」
「よし、歩こう」
進んで来た方向は覚えてる。これでも、物覚えはいいほうだ。進んだ道を引き返せばお母さんのところへ戻れる。それだけだ。
開けた道だから、迷うことはない。
だいぶ歩いたような気がするけど、どの辺りだろう。もうすぐだろうか。それとも半分ぐらい?それとも、まだスタート地点の近くだろうか。
何にせよ、歩かなければゴールにはたどり着かない。
「お腹すいた」
「そっか、おやつの時間だな」
手持ちのカバンを探ってみる。だけど、小さいカバンだから、対したものも入ってない。キットカットが一つ、入っていただけだ。
「うわっ。溶けてる」
「おにーたん。チョコ?」
「ああ。だけど、溶けてる。手がベタベタになっちゃうぞ」
「ベタベタはやー」
「これじゃ、お母さんのところに戻らないとないな……」
でも、ここまで歩いて引き返すのも気が引ける。もう少しでつけるかもしれないのだ。
「向日葵、もうちょっとだから歩こう。な?ガマンすれば美味しいご飯が食べられるぞ」
「いまたべたい」
「ワガママ言わないでくれ。お兄ちゃんもおかし手元にもうないんだ」
「たべたいー!!」
向日葵がぐずり始める。無理もない。まだ、ガマンが利くような年でもないのだ。
でも、たかだか四歳のぼくにそんな考えが及ぶはずもなかった。
そして、ぼくは愚かな行動に出た。
「向日葵。ここを引き返せば、お母さんのところに行ける。お母さんならおかし持ってると思うから、もらってきな」
「おにーたんは?」
「ぼくは最後まで歩くよ」
「ひまわりもおにーたんと一緒に行く!」
「向日葵。ぼくと一緒に行くとおやつなくなるぞ?それでも大丈夫か?」
「おやつたべたい……」
「おやつを食べたいならぼくと反対方向に進むんだ。ほら、ここからなら大きい、木があるだろ?」
「見えない〜」
「そっか。向日葵ちっちゃいもんな。ほら、だっこ」
「う〜。あっ、みえた〜」
「見えたか?じゃ、見えた方に向かって歩いて行けよ。わからなかったら、大人の人に聞くんだぞ」
「うん〜」
向日葵は小さな足取りで木の方角へ向かって行った。
それと対照にぼくは、ひまわり畑の終わりを目指して、歩いて行った。
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「ここで終わりか〜」
少し、日が傾きかけていた。まあ、出たのも遅かったし、思ったよりはかからなかったな。ほとんど一本道だし。
「さて、戻ろう」
さっきまで一緒に手を繋いでいた妹の姿がなく、少し寂寞の思いにかられる。やっぱり一緒に戻ってやればよかったかな。そんなに遠くなかったし。
少し足早にお母さんのところへ向かう。
木にもたれかかって、うつらうつらとしていた。でも、その側に向日葵の姿がない。
「お母さん。お母さん」
「あら。日向、遅かったわね」
「向日葵は?先に戻ったんだけど」
「え?日向、一緒じゃなかったの?」
「お腹すいたって、お母さんのところに行けばおやつあるからって、戻らせたんだ」
お母さんの顔が青ざめていくのが、子供目にも分かった。向日葵がいない。どこへ行ったんだ?
「日向!来なさい!」
怒られると思った。だから、その場で身をすくめて怯えていた。
「怒らない。怒るのは向日葵が見つかってからにするから。お母さん、向日葵探してくるからお父さん呼んできて。この木の反対側。目に見えるところにいるの見える?」
「う、うん」
「ここから呼んでも聞こえないだろうから日向が呼んできて。それで向日葵を探すように言って。呼んだら、日向はお姉ちゃんとここの木で待ってなさい。分かったら、頷いて」
ぼくはその言葉に頷き、親父の元へかけて行ったのを覚えている。ひどく切羽詰まって説明して、親父は「大丈夫だからな」と言って、走って行った。ぼくは姉さんと取り残され、木の根元で体育座りして待つことにした。
姉さんとぼくはこの時はあまり仲が良くなく、姉さんは一人で近場でひまわりをじっと眺めているだけだった。
ぼくもそれを感じ取って、話しかけることはしなかった。ひまわりを見ている姉さんを見つめてるだけだった。
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「日向君だね?お父さんに言われてきたんだ」
「おじさんは?」
「お、おじさんって……まだ二十代なんだけどな……。それはともかく、すぐに病院に行くんだ」
「病院?ぼく、どこも悪くないよ?」
「君じゃない。君のお母さんと……向日葵ちゃんだ」
「向日葵、見つかったの!?」
「……ああ、見つかったよ。お姉ちゃんと一緒についてきて」
「お父さんは?」
「もう、先に行ってるよ」
少し、この人がためらった理由がこの時のぼくには分からなかった。
ただ、向日葵が見つかったことに喜んでいた。
その人は救急隊員だった。その人に連れられ、救急車に乗り込む。入ったことがなかったので、なんかはしゃいでいたような気がする。
この時、姉さんは沈んでいた。沈んでる理由がわからなかったけど、姉さんがこんな表情を見せたのは初めてだった。
よく分からなかったど、はしゃぐのは間違ってることだけは分かった。
そこからはおとなしく座って病院へ向かった。
病院の入り口には親父が立っていた。
「お父さん!」
「ああ。日向、美空。こっちだ」
親父に案内されて、病院へ向かっていく。無機質なリノリウムの廊下を歩いていく。
緊急外来だったため、まだ病室に名前はなかったが、親父は迷いなく入っていって、そこが母さんと向日葵がいる病室だとわかる。
「娘さんは大丈夫ですが、奥さんの方は到着した時にはもう……」
「そうですか……ありがとうございました」
担当した先生だろう。ただ、何を言ってるのか分からなかった。
向日葵と母さんの姿が見えたので、ぼくは駆け寄った。
「日向。向日葵は大丈夫だから、お母さんのほうに行ってやりなさい」
「え?うん」
どうして、そこで母さんのほうにだけぼくを行かせたのか分からなかったが、親父の言葉通りに母さんの手に触れた。
「冷たい……」
触れた肌は冷たかった。それがなにを意味してるのか分からない。姉さんの方は、涙をこぼしていた。
「お姉ちゃん、どうして泣いてるの?」
「うっ、えっぐ」
姉さんは嗚咽を漏らすだけで言葉を発することはなかった。
心臓の動きを示すモニタはひどく弱々しいものだった。
ぼくが手を握ってる間は少し波が出来ている。だけど、離すと一本の線になる。
「お母さんな。死んじゃったんだ」
親父の言葉が分からなかった。そもそも、人が死ぬものだと理解してなかった。
「死んじゃった……って、どういうこと?」
「もうな。動くことも、喋ることもないんだ」
「どうして?」
「それがな、死んじゃうってことなんだ」
言葉の意味が理解できず、ぼくは母さんに喋りかけていた。
「ねえ、お母さん。向日葵、見つかったんだよね。ぼく、まだ怒られてないよ。お母さん言ったよね。向日葵が見つかったら、ぼくを怒るって」
反応なんて返ってくるはずもない。もう、喋ることはないんだから。
「ねえ、お母さん。なんで何にも言わないの?ぼくね、今日、ひまわり畑のお母さんがいたところから、一番奥まで行ってきたんだよ。ねえ、なんで何にも言ってくれないの?」
親父は涙を堪えていたんだろう。鼻をすする音だけが病室に響いた。
そして、ぼくの肩に手をおいて、首を振る。
そうして、気づいたんだ。誰かが死ぬということは、失うことだってこと。それは、もう永遠に戻らないこと。
そして、それはぼく自身が引き起こしたことだってこと。
気づいた時には涙が溢れていた。
「ねえ、お母さん。ぼくのせいなの?向日葵を頼まれたのに、一人でどこかに行かせたからなの?ごめんんなさい。今度はちゃんと手を引いてくから。ねえ、お母さん、喋ってよ」
冷たい母さんの手を握って、ぼくは喋りかけてる。
いつか、ぼくは泣き疲れて眠りについていた。
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「日向?」
「お母さん!」
夢の中だろうか。それでも、母さんの声は聴き取れた。その顔はとても優しく微笑んでいた。
ぼくは駆け寄って母さんに抱きついた。でも、体温は感じられない。
「日向。もう、私は向日葵を見てあげられないから。お父さんも今より忙しくなると思うし。あなたが、一番側で見てあげて。分からないことがあったらお姉ちゃんに聞くこと。あなたが守ってあげるのよ」
「ねえ。お母さんはどこに行くの?」
「さあ。どこかしらね。私にも分からないわ」
「もう……会えないの?」
「男の子がそんな顔しない。向日葵の前でそんな顔しちゃダメよ。じゃあ、最後の約束」
「お母さん。最後なんて言わないでよ」
「もう、あなたも夢から覚める時間なのよ。もう、これ以上は無理だから。それじゃ、言うわね。日向がもう大丈夫って思うその時まで、向日葵の手を引っ張ってあげなさい。じゃあね、日向」
そう言い残して、母さんの姿は見えなくなった。
目覚めると、病院のロビーで布団がかけられていた。
そうしてぼくは母さんの言葉を胸に向日葵の手を離さないように決めたんだ。




