夢の終わり
途中で色々な人にぶつかり、罵声を浴びた。それすらも耳へ入らず、フラフラと歩いた。どうやって、家に着いたかも分からない。でも、歩いていたら、いつの間にか家にたどり着いた。
玄関は開いていた。不用心に鍵を閉め忘れたわけではない。誰かいるのだ。誰が?決まっている。
靴を脱ぎ、リビングへ向かう。一つのすすり泣く声が聞こえた。
「ひぐっ……えぐ……」
愛花が机の上で伏せて泣いていた。
でも、ぼくにはどうすることもできない。自宅に戻ってるかと思ったけど、戻ったら何か言われるだろうと考えたんだろう。
いまさらどうすることもできなくても、やらなくちゃいけないことはある。
「愛花」
「えぐ……ひな……ちゃん?」
「ああ。悪いけど……生活も前の通りにしよう。愛花は自分の家で、向日葵もこっちに戻ろう。通帳だけど、愛花が全部持ってていいから」
淡々と事務的に言っていく。こうでもしてないと、また泣き崩れてしまいそうだから。
「バイトもシフトをずらそう。あとは……」
「ねえ……ひなちゃん……」
泣き顔は見られたくないのか、顔を伏せたまま喋る。
平静にぼくは喋るしかない。
「どうした?」
「私……何がダメだったのかな……」
「愛花は何も悪くない。悪かったのは全部ぼくなんだ。付き合うっていうのが、どんなものなのか理解してなかった。これでも、学校でひとしきり泣いてきたんだ」
「泣いたってことは……後悔……してるんだよね……?」
「ああ、してる。愛花みたいな子を振ったんだから」
「だったら……なんで……」
「なんで……か。分からない。ぼくも分からないんだ。でも、恋人の状態を続けていくことに限界を感じた。恋人って、好き同士ならうまくいくものだと思ったのにな……」
世の中、理不尽で満ち溢れている。歯車が一つ狂っただけで、こうして、わけの分からない感情を抱くことになってるんだから……。
「きっと、ぼくが好きって感情が理解できてなかったんだ。みんなが作ってた小説も、基本は恋愛がテーマだった。でも、ぼくには書けなかった。部長にも聞かれたんだ。愛花のこと、本当に好きって言えるのか?って。……言えなかった。もうそこからは芋づる式だ。自分に限界を感じた。身勝手だけど……ごめん」
こうして、謝ることしかできない。壊れた、壊してしまった関係を修復するのはひどく難しい。愛花とは隣同士でこれからも付き合いは続くだろう。なんとか、出来ないんだろうか。
「ごめんね。ひなちゃん」
謝らないでくれ。悪いのはぼくなんだから。
ぼくが言葉を告げる前に、愛花は二階に上がっていった。
きっと、荷物の整理をするんだろう。
「……………」
今のうちに、愛花の家に行こう。ひどく、汚い算段だろうけど、今なら愛花のお母さんしかいないはずだから
学校のカバンもそのままに、ぼくは家を出た。
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愛花の家のインターホンを鳴らす。
すぐに愛花のお母さんが出てきた。
「あら、早いと思ったけど、日向君?」
「すいません、おばさん。ちょっと話が……」
「ここでは何だから、上がって」
「ありがとうございます……」
守山家の敷居をまたぐ。ひどく、優しい空間だった。かつては、よくここでも遊んでいた。
リビングのテーブルに腰を掛ける。愛花のお母さんはコーヒーを淹れてきてくれた。
「すいません、わざわざ」
「いいのよ。もしかして、愛花に何かあった?」
「いや、愛花じゃなくて、ぼくたちに……身勝手で申し訳ないんですけど、別れることになりました……」
「そう……」
うなだれてるぼくは、今、おばさんの目にはどう映っているのだろう。自分の娘を振った、最低な男だろうか。その評価で構わない。下手に擁護されるより、よっぽと踏ん切りもつく。
「よく、考えて出した話?ちょっと、齟齬があったから言い出しただけじゃない?」
「もう、一ヶ月ぐらい考えてました。早い方がいいって思ったけど……言い出せなくて……結局、ぼくが悪いんで、愛花を問い詰めないでください」
「こちらこそ、悪かったわね。唆したのも私だし、まだ、無垢な少年のままだったんだから。日向君」
「はい?」
「まだ、愛花と仲良くしてあげてくれるかしら?」
「そっちがいいなら……」
きっと、ぼくは望んでたんだろう。その言葉を。別れても、仲良くやっていける未来を。到底叶わないものだと思ってた。事実、愛花のお母さんが言っただけで、そのあとどうするかは、ぼくたちの問題だ。
「でも、出来るんでしょうか……こんなぼくでも……」
「難しいかしらね……」
「しばらくは、向日葵とだけでも。あいつは愛花と仲良くしたいはずですから」
「そうね。今、愛花は?」
「たぶん、荷物をまとめてます。向日葵が帰ってきたら、伝えておいてください。今日中にうちに荷物まとめて戻ってくるように」
「仲良くやっていけると思ったんだけどね……」
「すいません……」
ぼくは謝ることしかできない。それ以上の償いは出来ない。やれというなら、土下座だってしよう。でも、そんなことしても、戻らない。
おばさんは、ぼくに優しく微笑んでくれた。
責めも怒鳴りつけもしなかった、おばさんに頭だけ下げて、守山家を出た。結局、出してくれたコーヒーには手を出さなかった。
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愛花はすでに荷物をまとめて、待機をしていた。
ぼくが帰ってくると、立ち上がり、一言「じゃあね……」と弱々しく、告げただけだった。
そこから、ぼくは向日葵が来るまで、何もせず、椅子に座って、天井を眺めていた。何も変わらない。テレビを点けてみたが、テレビから聞こえてくるひどく乾いた笑い声だけが、リビングに響く。それが不快で、電源を切った。
切った後、寂しさばかり募って、また泣いた。
短い夢のような日々だった。いっそのこと夢だったなら、幸せだった。やり直すことが出来たんだから。だけど、これはもう起こった現実だ。時間を巻き戻すことなんてできない。
………………
……………
………
……
…
……ちゃん!
夢だろうか。声が聞こえる。
……にいちゃん!
なんだろう。体を揺さぶられてる感覚がある。
……お兄ちゃん!
ふと、声がする方へ顔を向ける。どうやら、夢でもなんでもなかったようだ。向日葵の姿がそこにあった。
「わり、寝てた。ご飯いるか?今からでもいいなら、作ってやるから……」
「大丈夫。それより、お兄ちゃんこそ何も食べてないんじゃない?私、作ってあげるよ」
ぼくを椅子に座らせたまま、向日葵は台所へ向かった。
「ふふふ。今度こそ、お兄ちゃんの願い事叶えてあげるんだから」
願い事?ああ、確かそんなことを言ったことがあったな。いつか、向日葵が一人で料理を作ってくれること。それを祈ってるって。向日葵はそんな約束事を覚えててくれたんだな。
拙かったはずの包丁捌きも、スムーズにやっている。きっと、愛花のお母さんから仕込まれたんだろう。愛花もお母さんから教わったーって、楽しそうにやってたもんな。途中から、二人で台所へ立つことはなくなっていた。昨日ぐらい一緒に作ってやれば良かったな。
未練がましく、そんなことを思う。もう、夢は終わったんだ。夢から覚めなきゃいけない。
30分ぐらいして、向日葵が料理を運んできてくれた。
「遅いし、あんまり時間がなかったから野菜炒めぐらいしか出来なかったけど……うん、食べて」
せっつかれて、出された野菜炒めを食べる。同じ味付けだな。そうだよな。同じ人から教えを受けてんだから。
再び溢れそうになる涙を噛み殺しながら、野菜炒めを口へ運ぶ。
「どうかな?」
「ああ……美味しいよ……」
たった3ヶ月。本当に短い時間。楽しかった。終わらせたのはぼくだ。
「ねえ、お兄ちゃん」
「うん?」
「愛ちゃん、泣いてた」
「だろうな……」
「これからどうするの?」
「どうするたってな……」
終わらせてしまったものは、どうしようもない。
「ねえ、お兄ちゃん。なんで、全部終わってしまったみたいな顔してるの?」
「終わったんだ。何もかも」
「お兄ちゃん、恋人の関係をやめるって言ったんだよね」
「そうだよ」
「なんで、そんな未練がましい言い方してるの」
未練がましい?
「何を……?」
「恋人やめるだけなら、友達でいられないの?」
「…………」
言葉通りにとれるなら、楽なことだ。
あそこまで言っておいて、今更虫のいい話かもしれない。でも、愛花の親からもこれからも仲良くしてやって欲しいとは言われた。
前みたいな仲のいい幼馴染に戻れるのだろうか。
「こればっかりは時間かな……。お兄ちゃん、愛花ちゃんのことが嫌いになって別れたわけじゃないでしょ?」
「うん。大好きだ。でも、この気持ちが恋と呼べるものか分からなかった。これ以上付き合ってても、色々ダメになる気がした。ぼくがやってたのは恋愛ごっこだったんだ。誰かに好きって言われたから、好きってオウム返ししてるだけの関係だったのかもしれない」
「なら、今度はちゃんと好きって感情を理解しないとね」
「どういうことだ?」
「愛ちゃんもまだ、お兄ちゃんののとは好きなはずだよ。チャンスは残ってる。また、積み直していけばいいよ。私も手伝うから」
「何したらいいんだよ……」
しばらくは顔向けもできなさそうだ。ゼロどころかマイナスからのスタートでもある。
学校に行けば、愛花と顔を合わせなきゃいけない。耐えられるだろうか、ぼくに。逆に愛花がそれで学校に来なくなったら?
「現状じゃ八方塞がりかな……」
「お兄ちゃん、明日からテストだよね」
「お前もだろ。我が妹よ」
「そうなんだよー。お兄ちゃん、今回、あんまり手伝ってくれなかったし」
「自分のことで手一杯だったんだ」
「ふぅ。まあ、お兄ちゃんも一つ成長出来たんじゃない?」
「成長出来たところで、明日からどうすんだよ」
「まあ、またあの日を始めてみよう」
「はい?」
「まあまあ、聞いて聞いて」
明日からの予定を向日葵から聞くことにする。どうでもいいけど、向日葵は向日葵で勉強しなくちゃいけないんじゃないのか?
でも、話をしている向日葵は生き生きとしていた。これじゃ、どっちが上だかな……。
「向日葵」
「うん?」
「お姉ちゃんっぽくなってきたな」
「私だって成長してるんだから」
「胸はまだ発展途上みたいだけど」
「これから増量するの!」
たぶん、一人だったら、いつまでも抱え込んでしまっていただろう。妹に感謝しなくちゃいけない。兄の失恋に付き合ってくれてるんだしな。
一通り、向日葵の話を聞き終える。
「出来るかな……」
「んー。テスト週だから朝練ないし、最初は付き合ってあげよっか?」
「お願いします、向日葵様」
「むふふー。よもや、お兄ちゃんが私を頼る日が来るとは」
ぼくも思ってなかった。ずっと守るべき存在だったから。人は成長する。見守っている人が思っている以上のスピードで。向日葵も成長してるのだ。……まあ、身体的部分は置いておこう。これから増量するらしいし。
明日からの予定を頭に入れて、眠りにつくことにした。
眠り際に、向日葵が入り込もうとしてきたが、そこまで傷心につけ込まれたくもないので、追っ払って寝ることにした。向日葵を追っ払うって、ぼくも何かしら心境の変化でもあったのかな……。




