初めての夜
久々に運動をしたせいで、疲れたな。それでも、筋肉痛になる程ではないが、柔軟はしておこう。
そう考えて、愛花に手伝ってもらってるのだが。
「うーん。うーん」
「愛花、押しが弱い。それじゃ、柔軟にならん」
「頑張ってるんだよ〜」
確かに精一杯押してる……押してるのだが、如何せん、愛花に腕力を求めるのは間違ってたか。
柔軟はそこそこにして、料理始めるか。
「愛花、晩御飯作るから、もういいよ」
「じゃあ、一緒に作ろ」
二人並んで、台所に立つ。別にそんなに狭くないから、二人でも余裕があるぐらいだ。
「こうやってると新婚さんみたいだね」
「ぶほっ!」
むせた。ぼくの彼女はいきなり何を言い放ちやがる。
言われたせいで、急に意識をし始めてしまった。手つきが覚束なくなる。
「いっ」
「あ〜、ひなちゃん。大丈夫?」
「舐めときゃいいって」
「ダメだよ〜。ちゃんと、心臓より高くして、あっ、先に洗っといて」
パタパタと台所から出て行く。あいつやる展開だから、ぼくの指ても咥えてくるかと思った。行動が読めない。テストに正解はあっても、女の子の心は男には正解は出せないような気がする。
絆創膏を持って、怪我をしたところに貼っつけてくれる。少し血が滲んだけど、これで料理しても大丈夫だろう。
「愛花。あんまり変なこと言うなよ」
「キスしてあげようか?」
「料理中にやめてくれ……」
「料理中じゃなければいいと?」
墓穴った気がする。
変なこと言うなと言った先にこれだしな。これから先が不安だ。
「ひなちゃん、照れてる〜」
「あ〜もう!さっさと作るぞ!」
「は〜い」
引っ張ってくタイプだと思ってたのに、思ってた以上に知りに敷かれるタイプかもしれない。こうもふりまわされてちゃあな……。
ぼくは苦悶しているけど、隣ではテンポ良く包丁を動かしている。まあ、確かに新婚さんっぽい。ちなみにうちには愛花専用のエプロンを置いてある。何でって聞かれても、そういうもんとしか言えないけど。愛花が作ってくれることも多かったし。
手を止めて、愛花の横顔を眺めることにする。料理をしてる彼女は楽しそうだ。
「…………ひなちゃん?」
「ん?」
「なんかついてる?」
「ああ、愛花はやっぱり可愛いって再認識してた」
「えっえっ……えっ?」
わたわたと包丁持ったまま慌てて……って危ねえ!
「落ち着け愛花!」
「うわわわわわ」
愛花の手首を抑えて、包丁をまず置かせる。こっちもこっちで、あまり迂闊なこと言うもんじゃないな。
「う〜〜〜。ひなちゃん、からかわないでよ」
「実際可愛いから」
「う〜〜〜。ひなちゃん!向こう行ってて!」
「はいはい」
ふてくされた彼女の機嫌を損ねないためにも、ここは大人しく引き下がることにする。さっきは危うく殺人事件が起きそうだったけど。あのまま軽口叩いてたら、いつか本当に何か起きそうだ。料理の時に言うもんじゃないな。一つ学習をした。
席に着いて、彼女の手料理を待つことにする。
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「ごちそうさま」
「早い〜。もっと味わってよ〜」
「美味しかったから、早く食べ終わったという考えは持たないのか」
「なら、いいけど……」
箸を咥えてうなっている。
「ぼく、先に風呂入ってくる。食器は水に浸しておけば後でぼくが洗っておくから」
「は〜い」
ーーーーーーーーーーーーー
イベントは起きませんでした。テンプレ展開はいつか起きるものと信じてリビングに戻る。
「すぅ〜。すぅ〜」
ソファの上ですでに寝ていた。早すぎるだろ。入ってたの二十分あるかないかぐらいだぞ。
しかも、制服のままで……。
「風邪引くぞ」
春先だけど、すぐに目を覚ますだろ。タオルケットだけ被せて、他の家事をこなしておく。
幸せそうに寝息を立てている。
愛花と二人っきりで夜にいるのは初めてだな。いつも、向日葵と仲のいい姉妹みたいに寄り添って、寝息を立ててたんだ。その隣に妹の姿はない。愛花も愛花で寂しい気持ちはあるのかも……。
「ひまわりちゃ〜ん……むにゃ」
「夢で向日葵が出て来てんのかな」
手をフラフラさせて、何かを探し求めてるようだ。
ゴチッ。
落ちた。ソファの上でフラフラさせてたから、寝相の問題だけど。
「うにゅ〜〜」
頭をさすって、寝ぼけ眼をこすっている。目が覚めたか?
「むにゃ」
寝た。目覚めないのかよ。
「こら、寝るだったら風呂に入ってからにしろ」
「むにゃ〜」
「………………」
あれか?ボーナスチャンスか?テンプレがなかった代わりに、ここで回収しろと?
「アホか、ぼくは……」
合意も無しに、無理矢理やるほど落ちぶれちゃいない。ある意味では今日が同棲初日みたいなものだ。舞い上がってるだけだろう。
「そういや、愛花の下着とかもぼくが洗うのか……?」
いきなり大きな問題にぶち当たった。
「とにかく、起こさないことには始まらんし。ほら、起きろ愛花〜」
体を揺すると、何とか目覚めた。
「む〜。今何時?」
「22時」
「うわわ。寝すぎた。風呂入ってくる」
「うん。そうしてくれ。それから、その後で会議だ」
「?分かった」
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待つこと、一時間弱。いい加減眠い。女の子の風呂は長いからな……。愛花も例外じゃないし、慣れっこだけど。これでは、会議しようにも、あんま話せないような気がする。
「ゴメンね、ひなちゃん。お待たせ」
「ああ、すでにぼくは限界寸前だ……死ぬ……」
「わわわ!起きてひなちゃん!」
「そうだ。話すことがあったから待ってたんだ」
「一緒に寝るとか?」
「いや、それぐらいでわざわざ会議まで開かん。問題は洗濯だ」
「ひ……ひなちゃん。まさか、私の下着使ってあんなことやそんなことを……」
「ちっがーう!別にぼくは構わないけど、愛花は一緒に洗っていいのかってこと」
「構わないけど……ひなちゃんが洗う場合は……その……見るんだよね?」
「見なきゃ洗えんし、畳めんだろう」
「じゃあ、洗濯は私がするから!私の下着は部屋で干すから!」
「ああ……はい……。その方向でお願いします」
剣幕に押されて、承諾。別にぼくは愛花に洗濯物を見られても恥ずかしいことはないから、だったら愛花に洗っておいてもらうか。
「でも、不可抗力は許してもらう」
「ひなちゃん、わざとやりそう……」
実に信用がない。今まで積み上げてきた信頼と実績は何だったんだ?むしろ積み上げてきた経験が、この事態を生んでいるのか?おかしい。ぼくはそんなに疑われるようなマネをしただろうか。
「彼女の下着の柄を全部把握してるくせに……」
それか。ていうか、それが全てか。とんだど変態だな。誰が、ぼくをそこまでど変態に仕立て上げたんだ?ぼく自身か。
一緒に寝ようとはするくせに、下着とかは気にするんだよな。
こいつの貞操帯の観念はどうなってるんだ?線引きしてるラインが分からん。とりあえず今は、
一緒に寝る>下着を見られる
まずこの認識でいいだろう。ぼくが男として意識されてんのかされてないのか。付き合ってるわけだし、男として見られてるんだろうけど……。
「とりあえず、洗濯機回して、朝に干せるようにしておこう。ちゃんと、干せる時間に起きるんだぞ」
「起きなかった場合は?」
「ぼくが愛花が穿いていた下着を確認することになる」
「うわぁ〜お……それが不可抗力というやつですか?」
「まあ……そうなるかな?」
「二人とも帰りが遅い時は?」
「部活があっても、19時までには戻って来れるし、バイトの時は行く前に先に家に寄ればいい。うちは商店街と学校の間に位置してるしな」
「そうだね。二人とも、同じ部活で同じバイトしてるんだし」
「二人で助け合って生活するんだ。まあ、分担は後日、追い追い決めていこう」
「うん」
「じゃあ、今日は寝るか」
「一緒に寝る?」
「お前は一緒に寝たいのか?」
「ひなちゃんの家に泊まる時はいつも、向日葵ちゃんと寝てたから、一人だと寂しいかなって」
結局、こういう結末なのか。始まったばかりの序章だけどさ。エピローグオブプロローグというやつか?序章の終わり。
でも、愛花との関係を一時の感情なんかで終わらせたくない。失いたくない。
「今日だけだぞ」
「え〜。けちんぼ」
「思春期の男と女がそんなにくっついてたら、いつか間違いが起こるぞ」
「起こらないよ。ひなちゃん、私を困らせるようなことしたことないもん」
ずっと、隣にいた幼馴染。年数にすれば向日葵よりも長い年月寄り添ってた気がする。付き合うということをするまで、意識してなかったから間違いは起きなかったんだと思う。
でも、今も大切にしたいという気持ちは変わってない。
ぼくが変に欲情しなければいいか。
向日葵が使っていた部屋へと向かうことにする。
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「明日、何か出す宿題ってあったっけ?」
「んにゃ。出てなかったよ」
「そうか。ちょっと、狭いな」
「私がちっちゃくてよかったね」
布団の中で丸まって、ぼくを見上げるように言う。
「向日葵ちゃんと比べて……どうかな?」
「いや、あの時は一方的に抱きつかれてただけだし、抱き枕かって」
「あはは。私、向日葵ちゃんと抱き合って寝てた。抱き合ってると、落ち着いた。幸せな気分になるんだ」
人は何かしら温もりを求めている。心の拠り所となる場所なり、ものなり。
向日葵がああやって抱きついてたのも、愛花と一緒の理由かな。
「じゃあ、ぼくは愛花をあやしながら寝るとしよう」
「む〜。人を子供みたいに〜。同い年のくせに〜」
「生まれつきはぼくのほうが半年以上早い」
「うわ、小学生的な理論を発動させてきよった」
「まあ、でも同い年でよかったよ」
「なんで?」
「学年が一つでも違ってたら、たぶんこんな関係になれなかったと思うから」
「そっか……。なら、私もちょっと早く産まれてよかったな……。違ってたら、ひなちゃんに恋心を抱くこともなかった」
それを最後に黙ったままになる。
「愛花?」
少し、間をおいて話しかけてみた。
返事はない。
代わりに静かな寝息だけがこぎみよく聞こえてくる。
「おやすみ。愛花」
手は出さない。向こうとの取り決めだ。学生で責任なんて取れやしないしな。囃し立てられるかもしれないけど、ぼくらはそれでいい。
愛花の頭を撫でて、ぼくも眠りに落ちた。