向日葵の決意(3)
今日の昼ご飯はチャーハン。
いいよね。チャーハン。手間があまりかからないし、簡単ゆえに美味しい。よっぽど変な味付けをしない限り失敗しない料理だ。
まあ、ここにやりかねない人物は一人いるわけだけど、そいつには黙って座らせておいた。文句垂れてたけど、気にしない。……あいつのだけ、塩辛入れといてやろうかな。
邪念はよぎったけれど、振り払って、普通に盛ることにする。毒味はさせられるけど、こっちからは毒味をさせたことはない。でも、チャーハンに塩辛入れても合いそうだな。今度試そう。
「お待たせ」
「パサパサ?」
「家のフライパンと火力じゃ難しい」
あれは炒めてる間に、空気を入れ込んでご飯とご飯がくっつかないようにするんだったかな。
「じゃあ、今度私がパサパサの美味しいチャーハンを作ってしんぜよう」
「また今度な」
ぼくと愛花が会話してる間も向日葵は会話に入ってこない。愛花は聞いてなかったから、何度か話しかけてたけど、向日葵は曖昧な返事を返すだけだった。
「向日葵ちゃん、どうしたの?」
「ちょっと考え事みたいだ。食べ終わるまでそっとしてやってくれ」
「う〜ん?」
話したいことって何だろうか。県選抜なら、喜んでるだろうし、あの表情からだと、違うようだ。具体的に何が判るというわけではない。
ゆっくりスプーンを口に運ぶ向日葵を見ながら、食事を終えた。
向日葵はその五分後だろうか。いつもより時間をかけて完食していた。
食器を片付けて、また椅子に腰を落ち着けるが、口をつぐんでいる。
このままでは埒が明かないので、喋らせることにしよう。
「向日葵、話したいことあるんだろ?何を言っても怒らないからさ。そんな顔してちゃ、話しにくいだろ?」
「話?」
愛花に無言で頷く。愛花もそれ以降は口を挟まなかった。向日葵が口を開くのを二人で待っている。
なんかこの構図、娘が重大発表するからそれを待っている親だな。彼氏が隣にいたら、超不機嫌ヅラになっているだろう。……彼氏……カレシ?
「まさか、彼氏か!?」
「いや、違うよ。昨日今日でそんな人現れないよ」
「そうか。余計なこと言って悪い。話って?」
「うん……。私、お兄ちゃん離れする」
「「……………」」
沈黙が流れる。
「「はい?」」
ぼくと愛花の声が重なった。
「言葉の通りだよ。私、お兄ちゃん離れする」
「はあ……具体的には?」
「本気にしてないでしょ!」
まあ、なんでこんな反応なのかというと、実は二年とちょっと前。向日葵が小学校を卒業する時に全く同じことを言われたのである。 あの時は取り乱して、泣きついたものだけど、真相はうちの姉が向日葵をそそのかして、自分に甘えてくれるようにし向けたものだったらしい。なんて姉だ。ただ、この兄離れに関しては、基本的に無視を決め込むものだったので、それではただ単なるイジメだということに向日葵が気づいたので、三日で終わった。
イジメよくないよ。
「なんで急にまた?」
「これでも、昨日から考えてたんだよ。いつかは離れないといけないって。お兄ちゃんはいいって言ったけど、やっぱり私のために、彼女作ることも、部活やることもしなかったでしょ?どうにかしたいと思って……。今日、愛ちゃんと二人で歩いてるの見て、やっぱり離れた方がいいって……」
昨日は、ぼくが向日葵と一緒にいることを選んだ。でも、今日は向日葵はお互いのために離れた方がいいと言う。
「やっぱり、具体性が欠けるんだよな。どうしたら、離れたことになるんだ?向日葵が一人暮らしできるわけじゃないし、そうすると、親代わりはぼくなわけだから、どうしても必要だ。どうしたらぼくを離れたことになる?」
向日葵はそこまで考えが及んでなかったようで、考え込んでいる。向日葵が提案したことはいつか、ぼくが言わなきゃいけなかったことだ。でも、具体的な案はなかったから、こうして同じことを言われても、膠着してしまうのである。
「そうだ」
隣で聞いてた愛花が提案した。
「チェンジをしてみよう」
「「はあ?」」
ーーーーーーーーーーーーー
愛花が提案したものは突拍子のないものだった。
「ひなちゃんと向日葵ちゃんは二人暮らしだから、離れようとしてもお互いが必要になる。どちらかが独り立ちしようとしても、お金は振り込み式だから、管理してるのはひなちゃんだし、向日葵ちゃんの分もひなちゃんが管理してるわけだ」
「まあ、そういうわけだから、こうやって話し合ってるわけだけど、チェンジって何を?」
「私と、向日葵ちゃんをチェンジしよう」
「愛花がぼくの妹になる?戸籍上無理だ。諦めてくれ」
「察しが悪いよ、ひなちゃん」
ぼくの察しが悪いのは今に始まったことじゃないけど、愛花に言われたくない。
「愛ちゃん……もしかして……」
「ほら、向日葵ちゃんは察しがついてる。分かってないのはひなちゃんだけだよ?」
「そういわれてもな……」
愛花と向日葵がチェンジしてどうなるんだ?愛花がこっちに住んで、向日葵が愛花の家に世話になる。ふむ、ぼくに導き出される式はこうか。
「ぼくの負担が増える」
「酷い言い草だよ!ひなちゃん!」
「違った?」
「あながち間違いじゃないのがちょっと弁護がしにくいかも……」
「向日葵ちゃんまで?!」
「ギブ。ぼくには分からない」
この提案はぼくと向日葵を離すにはいい案かもしれないけど、それで関係がどうなるというのだろうか。
「ひなちゃん。ヒントだよ。血の繋がらない女の子と二人で住みます。これはどういうことかな?」
「………………」
そういうことか。えっ?それ、親の公認が必要なんじゃ……。駄目だ。詰んでる。向こうはぼくとくっつけようとしてたんだ。ぼく側には特に何の問題も課されないのだから、必要なのは向こうの容認だけなのだ。
「……分かった?」
「ああ。同棲するってことだろ?……でも、付き合ってないのに……」
ああ、失言だ。愛花も何も酔狂でこんなことを提案したわけじゃないのだ。愛花もぼくならいいということだ。
「ひなちゃん、私と……」
「待った」
女の子に言わせる訳にはいかない。男な背が廃る。でも、先に向日葵に確認は取る必要がある。突然、自分の居場所が変わるのだ。
「向日葵は……それで大丈夫か?ぼくが向日葵の周りを守ることがなくなるってことなんだ。向日葵はそれに耐えることはできるか?」
「…………」
黙りこくっている。さっきまで口を挟まなかったのも、向日葵自身もそれなら構わないという無言の意思表示なのだろう。
「うん。大丈夫。お兄ちゃんの代わりに私を守ってくれる人探す」
「誰か、いるのか?」
「心当たりは……多いけど、お兄ちゃんにタイマン張れる人だね。何度倒されても、何度でも立ち向かう人。他はちょっと考えられないかな」
「そうか……」
あいつなら守ってくれるだろう。何を犠牲にしてもやってくれるだろう。あいつにはやらないと思ったけど、向日葵が選ぶなら、それでもいいかな。認めてやろう。
「で、愛花。ぼくたちは了承するけど、愛花の親はいいのか?いきなり娘が入れ替わってんだぞ?」
「そりゃ、向日葵ちゃんだもん。他の子ならまだしも、断らないと思うよ。家が離れてたら考えるかもしれないけど、隣なんだし」
「そうか……。向日葵、いつでも来ていいんだぞ?ぼくたちは兄妹なんだから」
「うん。頼りにしてるよ、お兄ちゃん」
「じゃあ、愛花の親たちに話に行こうか。お母さんはいるよな?」
「さっきまで鍵がしまってたんだけど……」
「……………」
「よ、夜まで待とう。これからのことも決めておかないと」
「本当に決まるのかね」
事情を説明すれば、何とか丸く収まりそうだけど、向こうが納得するかどうかなんだよな。それよりも、向こうの親は愛花を放任主義で育ててる気がする。
「では、ひなちゃん。続きを……」
「つ、続き?」
何かあったっけ?
「ひなちゃんから言ってくれるんじゃないの?」
「いや、だって向日葵もいるし……」
「あ、私、邪魔だね。部屋にいるからごゆっくり……」
「向日葵も気を利かせて出てくんじゃない!」
できた妹だけど、こうも出来てると、遠慮するだろ。
「え〜っと……」
視線を感じる。
「向日葵さん?部屋へ行ったんじゃないのかい?」
「へ?あ、いや〜、お兄ちゃんの一世一代の告白を目に焼き付けとこうと……」
「回収〜」
「きゃー」
向日葵の部屋に放り込んで、つっかえ棒をかけておく。まさか、ここまで妹をぞんざいに扱う日が来ると思わなかった。
「よし。愛花」
「は、はい!」
「なんで今更そっちが緊張してるんだよ」
「だって、私が言う段取りだったんだもん。ちょっとドキドキ」
「一回しか言わないからな」
「うん」
まさか、向日葵と離れる日がこんなにも早く来るとは思わなかった。幼馴染みに告白するなんてことも。いや、同棲できると決まったわけじゃないけど、ムードは壊さないでおこう。
「愛花。ぼくは一人の女の子として愛花が好きだ。ぼくと付き合ってほしい」
「最後まで離さないでよね」
キスの代わりに手を繋ぐ。いつも、危なっかしい幼馴染みの女の子とぼくは付き合うことになったんだ。これで。
「……ここから、どうしたらいいんだ?」
「いつも通りでいいんじゃない?」
「なんかそれじゃ、付き合ってるって感覚がないなー。まあ、終わったし、向日葵を解放してあげよう」
つっかえ棒を外し、向日葵の部屋に入った。
「いない……」
窓が開け放たれ、ロープが降ろされていた。あいつの行動力は誰に似たんだ?ぼくか。
「ったく、どこに行ったんだ……?」
とりあえず、戻ることにする。
リビングの椅子には彼女となった愛花と向日葵の姿。
「いつから……」
「んー。お兄ちゃんが、リビングに戻ってくる辺りから。キスするかなーって見てたけど、手を繋ぐだけとは。意外とチキンだねーお兄ちゃん」
ここで、ぼくが意図した『いつから』は、いつからこの部屋にいたで、誰もどこから見ていたとは聞いていない。この妹はただ、好奇心だけで行動したようだ。全く、誰に似たんだ……?ぼくか。
「まあ、囃し立てるようなことはしないよ。そこまで子供じゃないし。でも、私がお兄ちゃん離れする前に最後のお願い」
「何?」
「明日、デートして」
ーーーーーーーーーーーーー
その日の夜、守山家で食卓を囲んだ。先にぼくと愛花が付き合い始めたことを報告しようかと思ったけど、愛花と向日葵が場所を入れ替えて生活することを話した。
「うちは構わないけど……お父さん大丈夫?」
「最終的な決定権はぼくなんで、向日葵がいいと言うならぼくは向日葵を尊重します」
生活空間を入れ替えるだけで、学費などはそのままだということを決め、何かあったら各自連絡をすることを取り決めた。
「じゃあ、日曜の夜からお願いします」
「こっちこそ、愛花をよろしくね」
「はい」
「ひなちゃん、ひなちゃん」
愛花が耳打ちしてくる。ぼくと愛花は10cm以上背の差があるので、ぼくがだいぶかがむ形になるけど、一生懸命に背伸びしてぼくに届かそうとしてる愛花を見てるとなんだか嬉しかった。これまでも、やってきた光景なんだろうけど、見方が変わるとこうも違うのか。
「私たち、付き合い始めたって言わなくていいの?」
「もう、同棲しようとしてる時点で同義だろ。向こうも察してくれるさ」
「時に日向くん」
「は、はい」
愛花の父親に呼び止められる。
「その、愛花とはどういう関係になってるんだ」
この人だけ、微妙に察してなかった。
「その……お付き合いすることになりました」
「そうか……娘を泣かすようなことだけはしないでくれ」
「ぼくが愛花以外になびく相手は向日葵ぐらいですからね。きっと泣かすようなことはありませんよ」
「私はその発言自体に泣きたい……」
あれ?周知の事実でしたよね?
「そういうことですんで、今日のところはこのぐらいで。向日葵、帰るぞ」
「今日はいいの?」
「荷物も何も準備してないだろ?あと、こっちは向日葵のタイムスケジュール知らないだろうから、書いとかないと。あとは、テニスの遠征とかの費用はうちから出すから必要な時は言うんだぞ」
「うん。んー」
「どうした?」
「あんまり離れてないような気がして」
「生活リズムとかは自分で管理するんだぞ。あと自分の身の回りは自分でやること。これがぼく離れの第一歩だ」
「お兄ちゃん。お兄ちゃんじゃなくてお母さんみたいだよ」
そう言われるけど、事実そんなようなものである。でも、基本的に甘いので結局お母さんとか、お父さんにはなり切れずにお兄ちゃんなんだけどな。
「テスト勉強ぐらいは見てやるから」
「それも、自分でなんとか出来るようにするよ……」
「そうか」
こうして、離れて行くのだろう。ぼくたちみたいな離れ方は奇特なところだろうけど。普通は知らず知らずのうちに、いつのまにか疎遠になっていくものだ。物心ついたときから、親がいなかったからお互いに寄り添って育ってきたからその機会がなくなっていただけで……。
「お兄ちゃん」
「ん?」
「愛ちゃんには悪いけど、ちょっと手を繋いで散歩しよ?」
「ああ」
愛花は自宅にいることにした。一旦、親元を離れるから一緒にいるとのことだ。
これで、離れるのだろう。ぼくと向日葵は。でも、ぼくにはちゃんと守るべき人もできた。
まだ、明日は向日葵と過ごす日がある。でも、もう明日だけと考えると少し寂しくなった。
ふと見た妹の目には頬に涙が伝っていたように見えた。