5 まるで本の中
「だっ……しゅーつ!!」
漸く鬱蒼とした森から出る事の出来た私は、我知らずバンザイのポーズを取っていた。
けれど次の瞬間には両膝に手を突き、肩で呼吸をする。
かなり疲れた。ずっと走りっぱなしだったし、魔物が追って来ていないか不安だったから。肉体的にも精神的にもくたくただ。
念のためもう一度背後を確認してみるが、上手く撒けたのか、金髪野郎達が何とかしてくれたのか、深い森の中からは何も出て来る気配はなかった。
ほっと溜息を吐き、私は背筋を伸ばす。が、
「……え?」
目の前の景色を視界に入れた瞬間、思わずそんな声を漏らしてしまった。
だって――
似てる……。
図書室で見た本の最後のページに描かれていた挿絵に、目の前の風景がとても似ていた。
小石だらけの砂地に所々草の生えた、先ほどまでいた森とは打って変わり、閑散とした荒野。けれど挿絵とは少し違って、それ程範囲は広くなく、周囲は崖に囲まれている。
空もどんよりとした曇り空ではなく、真ん丸の月が浮かんだ満天の星空だし、細かい箇所は所々違っていた。
けど、一つだけ完璧に同じものがある。
荒野のほぼ突き辺りに聳え立っている、真っ白な石柱だ。
挿絵ではものすごくごつい魔王が、鎖でぐるぐる巻きにされていたけど……。
私は目を凝らし、石柱を観察する。
だれか、いる……?
ここからではよく見えないが、確かに白い石柱に何か黒っぽいものが貼り付いているのが見えた。胴体らしき部位から二本の陰が地面に向かって伸びているから、たぶん人間だと思う。
……よし、見に行ってみよう!
どっちにしろ崖に囲まれたこの場所は行き止まりのようだし、来た道を戻れば魔物や金髪野郎がいるし。他に道を探さなければならないのは明白だ。
だったら少しくらい、様子を見に行っても良いだろう。やけに挿絵と雰囲気が似ている理由も気になるし。こんな状況下で、好奇心旺盛な私を止めることなど不可能だ!
私は障害物一つ無い砂地を進み、石柱にゆっくりと近付く。そして、目を瞬かせた。
お、男の人!?
石柱には挿絵のごつい大男とは似ても似付かない男性が、両手両足を鎖で固定されながら貼り付けられていた。
え、なんでこんな人っ子一人いない荒野に貼り付けにされてるの!? この人。というより何者なんだ? この状況明らかにおかしいよね? まさかこの世界では人を上半身裸で貼り付けにする風習とかあったりしないよね?
っていうか……
頭の中で疑問符が疾走する中、私は目の前の男性を凝視する。
……きれーな顔、してるなぁ……。
月の光に照らされて、艶を放つ黒い短髪。閉じられた瞼に並ぶ長い睫毛。血の気の無い青白い肌は陶器のように美しくて、整った顔立ちと言い、一見すれば彫像のようにも見える。
上半身裸なのは……年頃の乙女としては頂けないものがあるけれど。
とにかく一見して見惚れてしまうほど、目の前の男性はかなりの美形だった。
だが、驚くべき点がもう一つ。
耳、とんがってる……!?
男性の両耳は人間のようにカップの取っ手型を成しておらず、先が滑らかに尖っていた。まるでファンタジー小説の定番、妖精族エルフのような耳だ。
……この男性は、恐らく人間ではないのだろう。不思議と冷静な思考でそう思った。
ここは何せ魔物までもが存在する異世界。人間以外の種族がいてもおかしくないはずなのだ。
勝手に結論付けて、私は微動だにしない男性をぼんやりと見つめる。
冷たい夜風が荒野を吹き抜け、男性の黒髪と、私の色素の薄い髪だけが静かに靡いた。
もしかしたら、もう死んでたりして……。
ふとそんな考えが脳裏を過った。
こんな荒野に一人だし、全然目ぇ開けないし、何より――
……冷たい……。
そっと肩に触れてみたが、氷のように冷たかった。この体温で生きていられる訳がない。
死んでいるとは分かったけれど、不思議と恐怖は感じなかった。
目の前にいるのは、死体なのに。
あまりにも綺麗な顔だから、今にも動き出しそうで。
……やっぱり、本当は生きてるんじゃないかな……。
結局その結論に至る。
最終確認だ。相手は上半身裸だから、気が進まないけれど。好奇心旺盛な私の探究心は確かめるまで止められない。
私は恐る恐る彼の冷たい胸に耳を当ててみた。ひんやりとした感触が耳から頬にかけて直に伝わる。
「おい」
「!?」
心音を確認する間もなく頭上から声が聞こえ、私は驚いて男性から飛び退いた。
声の主は、確認するまでもない。
目の前の男性が、先程まで閉じていた瞼をしっかりと開けて私を見つめていたから。
血のような、真っ赤な瞳。
男性は驚きと羞恥で硬直する私を暫く凝視すると、おかしそうに整った双眸を歪めた。
「女。魔王である俺サマの寝込みを襲うとは、いい度胸してんじゃねーか」
「……は?」
魔王、だと?