19 牢の中で
ガルムが階段の上へ消えた後、私は数人の男達に薄暗い牢の中へと放り込まれた。
男達も檻を思わせる鉄格子の扉に鍵を掛けると、さっさと上の階へと戻って行ってしまった。
さーて……これからどうしようか。
ひんやりとした鉄格子に両手を掛け、試しに揺すってみる。がしょんがしょんがしょん。
おぉ~い、ここから出してくれぇぇえい! 私は無実だあぁぁああッ!
……なんてね。ふざけてる場合じゃないや。
当然のように鉄格子はびくともしないし、扉もごつい南京錠で堅く閉ざされている。
っていうか鉄格子とか南京錠とか、随分人間的な物を使うんだな、人狼族ってのは。
山の中の洞窟で暮らしてるくらいだから、牢と言っても木製の檻とか、もっと原始的なものを想像してたよ。
鉄格子から手を離し、溜息を吐く。
この頑丈な檻から抜け出せるわけがないし、見ての通りの薄暗い部屋に、日の光が差し込む窓なんてものもない。八方塞がりだ。
……どうしよう……
冷たい石の床にへたり込んでいると、
「あの……」
不意に背後から声がした。
驚いて後ろを振り返ると、そこには栗色の髪に鳶色の瞳を持った、綺麗な女性が座っていた。
年は20歳前後といったところだろうか。ハッとするような美形というより、素朴な美しさが滲み出ている感じ。
私と視線が交わると、女性はほっとしたような笑みを浮かべた。
「よかった……。やっと気付いてもらえた」
「あ、えぇっと……」
女性の顔から、彼女の衣服へと視線をずらす。
質素な草色のワンピースに、かなり使い込んだ様子の色褪せた長いエプロン。
「ひょっとして、山の麓の村の方……ですか?」
半ば確信を持った私の問いに、女性は「はい」と頷いた。
そう言えば、ガルムが村のヤツらがどうのこうのって言ってたもんね。
よくよく目を凝らしてみると、闇の濃い牢の片隅に数人の若い女性や子供達が身を寄せ合い、ひどく脅えた様子でこちらの様子を伺っているのが見えた。
さっきまで鉄格子と階段の方ばっか気にしていたから、全然気付かなかったよ。
「昨日の夜、あの魔物達に村を襲われて、女子供は皆ここへ連れて来られました。……あなたは?」
「えぇっと、」
女性の問いに、私は言葉を濁す。
この山で暮らす魔物に、魔王と一緒に会いに行く途中でうっかり捕まっちゃいました☆……なんて、言えるわけないし……
「私、連れと一緒にバリオス山を越えようとしてたんですけど、村から煙が上がっているのが見えて。それで気になったんで様子を見に寄ったら、村であいつらに捕まっちゃったんです」
うん、嘘は言ってないよね。
私が答えると女性は驚いたような、それでいて何処か希望の色を含ませた様子で、鳶色の瞳を見開いた。
「村に、行ったんですか!?」 いきなり距離を縮められ、私は思わずうろたえる。
「は、はい」
「村はどうなっていましたか!? ここにいない村の皆は……」
懇願するように尋ねてくる女性。よくよく見ると、暖かな草色のワンピースの裾には、誰のものか分からない血がこびり付いている。
嗚呼、そうか。
ここの牢にいるのは、年若い女子供十数人程度。これがあの村の住民全てというわけがない。
人気の無い、荒廃した村の様子を思い出す。
いない人達は、恐らく――
胸が詰まるような気分になる。その先の言葉を紡ぎ出すことが出来なかった。
思わず視線を逸らし、黙りこくる私の様子を見て悟ったのか、女性の表情はみるみるうちに暗く、沈んでいく。
「そう……ですか」
消え入りそうな声でそう呟くと、女性は上品な仕草で目頭を押さえた。他の村人達も私達のやり取りを聞いていたのか、誰のものか分からない嗚咽が牢の中に響き始める。
わああああ、みんな泣き出しちゃったよ。ど、どうしよう。
何だか自分が泣かせているような気分になり、居た堪れない。
けれど生憎、ほぼ初対面の人を慰めるとか、そんな達者なスキル私には持ち合わせてない。というか、思ったことをわりとずけずけ言う性質だから、口を開いたら何か失礼なことを言ってしまいそうで怖いのだ。
そうやって目の前で静かに泣く女性を前に、おろおろと宙で両手を持て余していると、不意に魔王の顔が脳裏に浮かんだ。
「あ、あの!」
突然発した私の声に、女性や他の村の人達の視線が集まった。何だか緊張する。
「村の方々のことは……一概に無事だとは言い切れないです。すみません」
再び目の前の女性の目に涙が溜まる。
うわあ待って! これ以上泣かないで! 可愛い人の涙は色んな意味で胸にくるよ!
「けどきっと、助けは来ますから」
「助け……?」
「はい。私の連れ、すっごく強いんですよ! あいつならあんなわんこ魔物、屁でもないです。だからそれまで、皆で辛抱しましょう。ね?」
女性の肩に片手を添え、微笑み掛ける。続いて他の村の人達にも力いっぱい笑い掛けた。
魔王がきっと助けに来てくれる。
確信は持てないけど。でも、自分にもそう言い聞かせたかった。
何の根拠も無い私の鼓舞ではあったが、村の人達は取り敢えずは落ち着いた様子を見せた。けれど目の前の女性は未だ目尻に涙を溜め、私を見つめている。
ええと、そんなに見つめられると照れるんですが……。
何となく居た堪れない気分になり、私は女性の肩から手を離すと、姿勢を正してその場へ座り直す。
「……あなたの連れの方の助けは、本当に来るんですか?」
「来ますよ! ……たぶん。あ、今の無し! 無しです! ぜったい来ます!」
漸く口を開いた女性に、私はぐっと両手に拳を作って力強く言った。
不安を与えるような風に言っちゃだめだよね、こういう時は。
女性は細い指で自らの涙を拭うと、ふふ、と小さく笑みを零した。
「信頼しているんですね。その人を」
「……えぇ!?」
思わず素っ頓狂な声を上げてしまった。
いやだって、お姉さんがやっと笑った~。いやぁ、泣いたことによって頬が上気して、一層綺麗ですなぁなんて暢気に思ってたら、予想だにしなかった事を言われたものだから。
驚いて目を瞬かせる私を見て、女性は再び上品な笑いを漏らす。
「だってこんな状況にも関わらず、尚もその人の助けを信じられるんですから。中々出来ることじゃないですよ」
「そう……ですかね?」
「はい。そんなに強いんですか? その方」
そりゃぁもう。魔王ですから!
なんてことは言えず、
「大抵の魔物なら一太刀ってくらいには、強いですよ。彼」
「まぁ、そんなに」
「あ、今まで傍で見てきた分には、ですけどね」
「けどそれだけ強いのなら、その方、傭兵さんか何かなんじゃないですか?」
「傭兵……ではないんですけど、個人的な退治屋っていうか……」
片手で魔物達を薙ぎ倒し、不敵に笑む魔王を脳裏に思い出しながら私は話す。
うぅん……上手く説明出来ないや。
私が曖昧に答えると、女性は不意に先程の柔らかな微笑みとは一転して、何かを企むような、小悪魔的な笑みを浮かべた。
「もしかしてその方、あなたの恋人……ですか?」
「…………へっ!?」
女性の言葉が上手く認識できず、ポカンと口を開けた。後、立て続けに私はぶんぶんと全力で両手と首を左右に振る。
「いやいやいやいや、違います! ぜんっぜん違います!! あいつと私はそんなんじゃないです!」
魔王が私の恋人!? どんな冗談だ笑えない。
魔王のことは信用してはいるけど、恋愛対象と見るかどうかは話が別だ。っていうかそれ以前に、彼は私のことはただの食糧としか思っていない。捕食者と、食糧。私とあいつはそんな関係でしかないのに。
しかし女性は全力で否定をする私を見て、きょとんと不思議そうな顔をしている。
「そうなんですか?」
「そうですっ! お互いの利害が一致しているから、一緒に旅してるだけですよ」
「あなたの話しぶりからそうかなぁ~って、思ったんですけど」
「違うものは違うんです!」
「けど顔、真っ赤ですよ?」
「!」
ふふふ、と楽しそうに笑う女性に、全身の力が抜けるのを感じる。
こ、この姉ちゃん、ほわほわしていると見せかけて、他人をからかうのが好きなタイプと見た!
両手で火照った顔を扇ぎながら、私は笑っている目の前の女性をジト目で見やる。
……けど、元気になったみたいでよかったな。
私も小さく笑い、徐に片手を彼女へ向かって差し出した。
「……え?」
「私、美夜っていいます」
自己紹介、してなかったもんね。こういう時は自分から名乗るってもんが礼儀でしょ。
女性は私の手と顔を交互に見やると数回目を瞬かせた後、ふわりと微笑んだ。そして、白くて細い片手を私のものと重ね合わせた。
「私はマキナです。ミヤって、変わった名前ですね」
「あはっ、連れにも言われました」
握手をしながら、お互い笑い合う。
そう言えばこの世界に来てから、友好的な人間と出会うのは初めてだな。
魔王のものとは違う、骨ばっていない女性特有の柔らかい手を握りながら、ぼんやりとそんなことを思った。




