2 まさかの異世界
泥沼に沈んでいるように、頭の中が重い。
貧血時の寝起きのようだ。
あれ……? 私、いつの間に寝たんだっけ?
ちがう。寝てなんかいない。
確か……そうだ。
放課後私は恭平と図書室にいて、それから変な本が突然光って――
いつの間にか気絶、してたみたいだ……。
気絶なんて、常時健康体の自分にとっては、生まれて初めての経験だ。
重い瞼を開き、目を擦りながらおぼろげな視界で私は周囲の状況を確認する。
「……え?」
次の瞬間、私は反射的に勢い良く起き上がった。
ここ、どこ!?
学校の図書室ではない。絶対。
私は屋外にいた。
腿に感じるのは冷たい砂の感触。周囲を見回せば、自分を取り囲んで高く聳える木々が確認出来た。そのまま首を上へ擡げると、蜘蛛の巣のように張り巡らされた木の枝達の向こう側に、満天の星空が見える。
冷たい夜風が頬を撫で、一瞬で掻いた汗を一気に冷やしていく。
「きょ、きょーへー……?」
姿が見当たらない幼馴染の名を呼ぶが、当然返事はない。
何度も目を擦って頬をつねり、周囲を見回すが、やはり景色は変わらない。
私は、完全に見ず知らずの森の中にへたり込んでいた。
ど、どうしよう……。
状況が全く把握出来ず、私は暫くその場で呆ける。
そして、ある事に気付いた。
私、学校指定の上履きのままだ。
これはおかしい。
屋外でどうして上履きのままなのだろう。靴の裏に泥も付いていないし……歩いてこの森まで来たというわけも無さそうだ。
まさか図書室からこの森へワープしたとか……。
有り得ない予想をして、私は慌ててかぶりを振る。
そんな小説の中のような事、ある訳がないじゃないか。うんうんと一人で頷き、立ち上がる。
とにかく、このままこうしててもしょうがない!
森の中だし、下手したら遭難だって有り得る。女子高生白骨化遺体発見の記事に載るつもりはさらさらない。
まずは森から出ないと。細かい事はそれからだ。
気合を入れて私は森の中を進む。
日はとっぷりと沈んでいるけれど、幸い空から月明かりが射しこんでいるし、視界は悪くない。木が青白く見えるのは……不気味だけど。それでも真っ暗闇じゃなくてよかったと思う。
けれど今いるここは住宅街や市街地とは違う、夜の森。ろくに防寒具も身に付けていない、セーラー服だけのこの身なりではかなり寒い。両手で自らの二の腕を摩りながら鼻を啜る。
本当に、一体何だというのだろう。
気を失っている間に、誰かにこの森へ連れてこられたとか? ……いや、だったらあの本の光に説明がつかない。仮にそうだとしても、校内の図書室から気を失った私をどうやって人目を憚らず連れ出せるというんだ。第一平凡な一般ピーポーである私を誘拐する利益もないし――
そんなことを考えながら5分程道なりに沿って歩いていると、木々の間に灯りが見えた。赤い点が数個、ゆらゆらと動いて見える。
人だっ!!
瞬間、私は走り出していた。
大して怖い思いもしていないし、人からは神経がズ太いなどと言われる私だけど、こんな夜の森の中で1人というのはやはり心細い。何より一刻も早くこのワケの分からない状況から抜け出して、あったかい我が家へ帰りたかった。
木の間を縫うように、灯り目指してひたすら走る。
徐々に点のようだった灯りが大きく見えてきて――
「あのっ! すみませ――」
私は固まった。
人だ。確かに人がいた。男性2人、女性2人。彼らも突然現れた私を見て、驚いたような表情で固まっている。
問題は彼らの格好だ。
世界史の教科書で見るような……そう、中世ヨーロッパの農民のような服を身に纏っていた。
顔は彫が深く、髪色や瞳の色も日本人とは全く違う。茶色や緑や青色だ。
加えて今の文明に反して、彼らが灯り取りのために手にしているのは赤々と燃え盛る松明たいまつ。パチパチと木の弾ける軽やかな音が、気まずい謎の沈黙の中に響いている。
えっと……日本語、通じるのかな?
どうして外人が日本の森にいるのかなど、内心疑問だらけだが、この人達を逃したらもう誰にも出会えないかもしれない。白骨化はご免だ!
「え、えくすきゅーずm」
「司祭様ああぁぁああ!! 預言の娘が現れましたあアァァアア!!」
私の渾身の実用英語は、小太りの男性の叫び声に掻き消されてしまった。
っていうか、日本語喋ってんじゃん。くそっ、私の緊張返せよ!
内心悪態を吐いていると、4人の人達の向こう側から草木を掻き分ける音が聞こえた。数秒の間の後、現れた人物の容姿に私は思わず息を呑む。
き、金髪……!?
木々の間から現れたのは、またもや3人の外国人だった。
一番手前にいるのは地毛であろう金色のブロンドヘアーを、襟足の辺りまで伸ばした男性。歳は20代前半くらいだろうか。一見女性と勘違いしてしまいそうな、眼鼻立ちが整ったかなりの美形だ。思わず見惚れてしまいそうになる。
その彼の後ろに控えているのが、つるっパゲ……というか、波●ハゲの初老の男性2人。1人は小太りでもう1人は骸骨のようにガリガリだ。何て言うか……頭の輝きだけが印象的な2人だ。
3人とも揃いの真っ白なローブと、足首まで丈がある高価そうな白い浴衣のような服を着ている。教会関係者か何かだろうか。
ハゲコンビは私と視線が合うと、「ひぃッ」と短い悲鳴を上げ、怯える様な素振りを見せた。人の顔を見るなり顔を青くするなんて、失礼なオヤジ達だ。
しかしよく見ると、最初に出会った人達もちらちらと私を見ては何かを耳打ちし合っている。
なに? 私、何か変かな?
確かに外人8人の中に日本人1人が紛れていれば、それは異質な光景だと思う。けれど彼らの怯え方は、明らかに普通じゃない。
居心地の悪い気分で彼らの様子を窺っていると、金髪美男子がこちらへ歩み寄って来た。
日本語を話していたとは言え、やはり外人相手だ。本能的に身構えてしまう。
「貴様、異界の者か?」
「……は?」
言っている意味が分からず首を傾げると、ぐい、と突然目の前の彼に襟首を掴まれた。
ちょ、ちょっとちょっと!? か弱い女子高生の襟首掴むなんて、どこのチンピラだよ! 金髪美男子から金髪野郎に格下げだこの兄ちゃんめ!
「異界から来たのか、と聞いている」
「異界……?」
至近距離で再度尋ねられても、やはり言っている意味が分からない。
だって異国ならともかく、” 異界 ”って。 訳が分からなかったけれど、金髪野郎に威圧的に見下ろされ、私は仕方なしに事実を述べる。
「私は、東京都から来ました」
「……トーキョート? 聞いた事がないな」
あれ? それなら国名か?
「すみません、勘違いしてました。日本……ええと、ジャパンから来ました」
「……ニホンという国も、ジャパンという国も初めて聞く」
「う、うそ!? あ! アメリカなら知ってますよね? ゆないてっどすていつおぶあめりか!」
「知らん」
「じゃあ地球! あーす!! あーすは!?」
「知らんな」
思考が停止する。
日本を知らない……というのも今の時代ほぼ有り得ないけど、まさか地球を知らないなんて……嘘でしょ?
外人さん達がグルになって私を騙そうとしているとか?
……いや、それにしては彼らの服装とか、光る本とか、あまりにも手が込み過ぎている。第一ただの女子高生且つ一般人である私が、ここまで大掛かりなドッキリを仕掛けられる訳がない。
それなら――
私の中で、一つの可能性が浮かんだ。
幾度か本で読んだ、信じ難いし、絶対に有り得ない可能性が。
頭に浮かんだ嫌な予感に顔を強張らせる私を数秒程見やった後、金髪野郎は静かに言い放った。
「” セリナージャ ”。この世界は、そう呼ばれている」
嘘だと、夢だと信じたい。
可能性が、的中してしまった。