10 魔王サマの装備:ほっかむり
魔王の仲間は同じテルミオール王国内にある、バリオス山と呼ばれる山中にいるらしい。
山で生活している辺り、やっぱり魔物だなぁと思う。本やゲームでも、魔物は大抵森の中とかに現れるし。ここで街中で可愛らしい花屋を営みながら人間と協力して暮らしてますなんて言われたら、逆に興醒めだ。
そんなことを考えながら魔王に付いてひたすら歩く。
昨夜やったように、私を担いで走ったらどうかと提案したけれど、「あれはものすごく疲れるから、滅多なとき以外やりたくねー」とあっさり断られてしまった。
くそう、けちんぼ大魔王め。私だって、かなり疲れてきたんだけど……。
何度目かの額から滴り落ちてきた汗を手の甲で拭い、溜息を吐く。
2時間程歩いただろうか。整備されている道路とは違い、森の中はかなり歩き辛い。加えて生粋の文化部系女子である私の脚は、そろそろ限界に達しようとしていた。
全身が痛いし、制服の下のインナーは汗でぐっしょり。不快度指数150%。
しかしこの世界にも存在する太陽が頭上へ昇った頃、周囲の木々の数が減り始め、次いで視界が開けた。
青っぽい草の匂いを含んだ風が、そよそよと汗ばんだ身体を撫でる。
目の前にはだだっ広い平原が広がっていた。
「やっと森、抜けたんだ~」
次の瞬間、私は地面にへたり込んでいた。
もう無理。歩けない。こんなに歩いたのはいつぶりだろう。中学校の林間学校での登山以来だろうか。
「おい」
「ん? ぶほッ!?」
掛けられた声に反応して横に立つ魔王を見上げると、ばふっと、突然視界が闇に包まれた。加えて何だか息苦しい。
一体なんだと驚いて、顔面目掛けて投げ落とされたそれを剥ぎ取る。
「……なにこれ」
「見りゃわかんだろ。服だ」
そりゃわかるけど。
私が今持っているのは、先程まで魔王が着ていた服の上着の方だった。
腰までの丈の、年季が入ったアウター。生地は分からないけれど、肌触りは元の世界の綿に似ている。
「さっきも思ったけど、この服どうやって調達してきたの?」
「その辺で見掛けた人間からかっぱらってきた」
「なッ……!」
追い剥ぎか! どこの山賊だよ!
「それ、完全に泥棒じゃん! 窃盗罪で逮捕されちゃったらどーすんの」
「あァ? マモノ相手に逮捕もクソもねーよ。それに俺様が風邪でも引いたらどうすんだ」
「馬鹿は風邪引かないって言うじゃんか」
「それは俺様が馬鹿って言いたいのか?」
「べっつに~」
ふてぶてしい態度で答え、私は自分の両腕へと視線を向けた。
昨夜魔物に付けられた傷が、生々しく残っている。あれのお陰で縄は解けたが、その代償はなかなかだ。セーラー服の袖の部分なんて、奇麗に裂かれてしまっている。
服かぁ……
元の世界に戻ったら新しいの買わなきゃなぁ……。
それ以前に戻れるかどうかも不明なんだけど。
どちらにせよ、今着ている制服は長く着ていたくはない。見目悪いし。
もし洋服が手に入る機会さえあれば(追い剥ぎ以外で)、すぐにでも着替えたい気分だった。
取り敢えずボロボロになった袖部分は、捲り上げる事で応急処置をしておく。
「とにかく、街に入るのに、そんな格好だと目立って仕方がねーだろーが」
「街?」
言われて、私は前方へと視線を向ける。
さっきは森を抜けられたことにほっとして気付かなかったが、遠方にクリーム色の外壁のようなものが見えた。
なるほど。あれが街か。
確かに街中で今着ているセーラー服でいたら、それはそれは目立つことだろう。けど、
「なんで街に寄るの? あんたのお仲間がいる山に行くんでしょ?」
「まぁそうなんだけどよ。部下と久々の再会なのにこの薄汚い服はねーだろ。ってなわけで服を買いに行く」
くすんだ草色のシャツを示しながら言う魔王。よくよく見れば両腕の丈も短い。
ううむ、確かに。特別センスが良い訳ではない私から見ても、彼の今の姿はみすぼらしかった。
悔しいが、顔は良いから何を着ていても格好良くは見えるんだけど。
少しばかりサイズの大きい上着を羽織りながら、私は魔王を凝視する。
うん、ほんと顔は良い。人外って言葉通り――って……
「そう言えばあんた人間じゃないじゃん。街って入れちゃうの?」
昨日襲ってきた獣のような魔物は私を殺そうとしたし、魔物の中に人間に危害を加える種がいるのは明らかだ。
今遠方に見える外壁も、魔物等が街の中に進入するのを防ぐためのものだろう。容易に入れるとは思えない。
けれど魔王はしれっとした顔で。
「俺様は見ての通りニンゲンに姿が近いからな。大丈夫だ」
「そ、そんなあっさりと。根拠でもあるの?」
「昔仲間と何度もニンゲンの住む村や街に行っては、食事や買い物をしたからな。実証済みだ」
「へぇー……」
食事の内容は敢えて考えず、私は納得する。
確かにぱっと見はただの美形すぎる兄ちゃんにしか見えない。街中で出会っても彼が魔物だとは、普通の人間なら思わないだろう。
けど……
「いででででででッ。てめ、なに、しやがんだ!」
「あ、……ごめんごめん。つい手が出ちゃったよ」
気付いたら背伸びして魔王の両耳を引っ張っていた。
私が慌てて手を離すと、魔王は若干涙目になりながら両手で自らの両耳を摩る。
そんなに強く引っ張ってたかな?
「でもさ、その耳だとすぐに人間じゃないってバレちゃうよ?」
「あ?」
摩る手を止め、次いで魔王は訝しげな表情のまま、しなやかな指で自分の耳の形を確かめる素振りを見せる。そしてぴたりとフリーズした。心なしかその綺麗な顔には脂汗が浮いているように見える。
自分の耳のことも忘れていたのか。意外とうっかりさんなのかもしれないな。これまで街に侵入していた時は一体どうしていたのだろうか。
そんなことを考えつつも、私は何か魔王の尖がった耳を隠すものはないかと思案する。
お、これなんてどうだろう。
「ちょっとちょっと」
「? なんだよ」
未だに両耳に手を添えている魔王を手招きして、少し腰を屈めてくれるよう頼む。
目の前に現れた魔王の綺麗な顔に一瞬うろたえつつも、私は今し方解いたばかりの制服のスカーフを彼の頭へと被せた。きょとんとした顔をする魔王を無視しつつ、続けて三角形の底辺を彼の顎の下へ引っ張り、きゅっと結ぶ。
「うん! ナイスほっかむり」
田舎のばあちゃんスタイルと、異世界の美形魔王との夢のコラボ実現だ。自分でやっておいてなんだけど、もんのすごください。
笑顔で親指を立てながらも、内心笑いを堪えるのに必死だ。
けれどこれなら耳は、一応すっぽりと赤茶色のスカーフに隠れている。問題は魔王が果てしなくださいこのスタイルにキレないかどうかだけど……
「……これはお前の世界で流行っているのか?」
「へ? ええと、まぁ、一部では……」
お年を召した方々や農業に従事している方々の中では、まぁ流行っているのだろう。嘘は吐いてないはず。
「ふーん……そうなのか」
それだけ呟くと、魔王はさっさと街の方へと歩を進め始めてしまった。
え、なになに。だっさいほっかむりに関する文句は一切無しですか。そのまま行っちゃうんですか。
慌てて後を追いながらも、私はスカーフの巻かれた魔王の後ろ頭を凝視する。
度々頭に手を伸ばしては、彼はスカーフに隠れた耳元等を落ち着きのない様子で触っているようだった。
ええと、
もしかして気に入ったのかな……?
ほっかむりが。
気に入ったとまでは行かなくても、今すぐひっぺがしたくなるほど不快な気分にはならなかったらしい。
意外な反応だ。てっきり「魔王の俺様がこんなもん被ってられるかッ!」とか言って付き返されると思っていた。
私の厚意(?)が受け入れられたと分かって、何だかくすぐったい気分になる。
前を行く見慣れた赤茶のスカーフを見つめながら、私はくふふとこっそり笑みを零した。