1 不思議な本
空が朱色に装いを変える放課後。
窓越しに聞こえる運動部の掛け声に耳を傾けながら、私は目の前に並ぶ文字の羅列に視線を巡らせていた。
「世界の童話全集……ふむふむ、このスペースは外国文学が中心なんだな……」
いつの間にか鼻歌なんて歌いながら、私は順々に本棚に並んでいる本の背表紙に目を通して行く。
が、
「なあ美夜、今日はもう遅いし帰らないか?」
下方から唐突に掛けられた声に、その作業は中断させられた。
折角集中していたのにと半ば不服に思いつつ、私は木製の梯子はしごから落ちないよう注意しながら声のした方を振り返る。
自分より人一人分低い位置。そこで帰り支度を整えた一人の男子生徒が、呆れたような面持ちで私を見上げていた。クラスメイトの宮野恭平だ。
「やだ! まだここの学校の図書室の本、全部把握してないもん。私は最終下校時刻までここにいるつもりだから、恭平は先に帰ってなよ」
そう言って、私は再び目の前の本棚に視線を戻す。
恭平の返事は無い。が、数秒の間の後、椅子が引かれる音と荷物が床へ下ろされる音が聞こえた。
この図書室には私と恭平と、かなり距離が離れたカウンターで居眠りをしている初老の司書さんしかいない。たぶん恭平が生徒の読書用の備え付けの椅子へ腰掛けたのだろう。
もしかして最終下校時刻まで私を待つつもりなのだろうか。あと一時間以上はあるというのに……難儀なことだ。
恭平とは小、中、高と全て同じ学校だ。……いや、幼稚園からずっと一緒。俗に言う” 幼馴染 ”というやつ。
家も近いし昔から何かと一緒にいる事が多いけど……高校生にもなって、わざわざ登下校を共にしなくてもいいと思う。現に今日も、教室で別れたはずの恭平がこの図書室まで迎えに来ているし。別に約束をしていた訳でもないのに。
昔からこれが日常化してしまっているのもあるけれど、恭平が鈍すぎるのも大きな原因な気がする。
恭平は幼い頃から嫌というほど顔を合わせている私から見ても、結構な美形だ。性格は鈍感な所を除けばは人懐こくて明るいし、成績も良く、加えて運動神経まで良い。当然ながらモテる。かなりモテる。
そんな奴が、私のような平々凡々な女子と毎日行動を共にしていると、色々と困るのだ。ほら……ね?女子って怖いから。
そのお陰で中学時代には色々あった。だから高校こそはと思っていたのに、どういうわけか、気付いたら同じ学校へ入学していた。加えて同じクラスというね!
学力的にも恭平だったらもっと上の学校を狙えたはずなのに……Why? ナゼ?? 当時も今も、その疑問は未だに私の頭の中に巣食っている。
まあ来月から部活の体験入部が始まるから、恭平も何かしらの部に入って行動を共にする機会も少なくなるだろう。現に数日前から教室にはひっきりなしに先輩達が恭平をわが部へ引き入れようと、部活動の勧誘にやって来ているし。
そんな事を考えながら、私は目の前の本棚へ視線をくばせる。
高校見学の際に訪れたこの図書室が魅力的だったというのも、この学校へ入学した理由の一つだ。特別設備が充実しているわけではないけれど、とにかく多いのだ。量が。何でもこの学校の何代目かの校長がとんでもない本の虫で、世界各国のあらゆる本を我が手元へ取り寄せたらしい。うーん、名前も顔も知らないけれど、何て素晴らしい人だろう。
けれど折角のこの宝の山を、この高校の現代っ子たちは無にしているのが現状だ。そうとなれば私がこの宝を全て頂いちゃおうじゃないか!
というわけでこの学校へ入学してからというもの、放課後はほぼ毎日、私はこの図書室に通いつめている。ブースごとに本を確認しては、大方読みたい本をピックアップしていくのが日課。いつか全ての本を制覇するのが目標だ。
気が遠くなるようなことかもしれないけど、カビ臭い古紙特有の匂いに包まれながら、ずらりと並んだ本の背表紙を眺めていると、何とも言えない満悦感に浸れて楽しいのだ。恭平が言うに、” 奇怪な趣味 ”らしいけれど。
「……ん?」
梯子を一段上り、本棚の最上段へ視線を移すと、私は我知らず首を傾げた。
自分の目がおかしいのだろうか。
規則的に並べられた本達の向こう側。最上段の棚の奥の一部が、ぼんやりと黄金色に光って見えるのだ。
一度目を擦り、再び目の前を見やるが、やはり変わらず光っている。
誰かが携帯でも落としたのかな? もしくは火災警報ランプか何かだろうか?
とにかく確認してみないことには何も分からない。
私は恐る恐る光っている部分の手前の本を取り出す。そして思わず息を呑んだ。
本が……光ってる……?
黄金色の光を発していたのは、携帯でもランプでもなく、一冊の本だった。
手前の本達に隠れるようにして、真っ暗な棚の奥に一冊、ひっそりと収められている。
これ、触っても大丈夫だよね……?
半ば信じられない気持で私は棚の奥へ手を伸ばし、輝く本を取り出した。
本はそれ程厚みはなく、漫画本一冊程度だ。
「戦乙女ヴェロニカ……」
それが本の題名だ。未だ輝く表紙には、剣を持った綺麗な女の人の姿が描かれている。
梯子から下りると、椅子に座っていた恭平が歩み寄って来た。
「良い本が見付かったのか?」
「あ、ううん。ほら、光ってるでしょ? この本。何か特殊な加工でもされてるのかなぁって」
「? これのどこが光ってんだ? 普通の本じゃん」
私が差し出した本をしげしげと見た後、恭平は首を傾げた。何言ってんだコイツという表情で。
しかし【戦乙女ヴェロニカ】は未だ私の両手の間で輝き続けている。
恭平にはこの光が見えていないのだろうか?
もしくは、私の目が本当におかしくなったか――
釈然としないまま、取り敢えず私はパラパラと本のページを捲ってみた。
字数は多くなく、軽く目を通すだけで内容が頭に入ってくる。加えて所々挿絵が入っている為、浅い文面ながらも情景がすぐに頭に浮かんだ。
物語の内容はよくある冒険活劇だ。
主人公ヴェロニカは女性にも関わらず鎧を身に纏い、剣を手にし、魔王討伐へ繰り出す。
その最中出会う異国の勇者と恋に落ち、共に魔王を封印してめでたしめでたし。
何も特出する部分はないし、価値がある本のようにも見えない。
なら、どうしてこれが光って見えるのだろう。
いよいよ病院へ行った方がいいかな等本気で考えながら、最後のページへ目をやる。
そして、私は思わず首を捻った。
最後のページに、文字は無かった。
代わりに封印された魔王の挿絵が、ページいっぱいに描かれていた。
「……変だね。明らかにハッピーエンドなこの物語の流れだと、最後結ばれた二人の絵があるのが普通なのに……。どうして悪役の亡骸を、こんな1ページまるまる使って描いてあるんだろう?」
「さあ? ……あれじゃね? ホラー映画みたくラストを暗くして、話に余暇を持たせるみたいな」
「うーん……そうかなぁ……」
「美夜は深く考えすぎだって。ほら、もう帰ろう? いい加減満足しただろ?」
私は「んー……」と生返事をしながら、荷物を持ち上げる恭平に歩み寄る。
だが、やっぱりラスト1ページから視線を外せない。
場所は閑散とした荒野だ。ページのど真ん中に巨大な石柱が無造作に建てられ、空はどんよりとした鈍色に染まり、一層陰気な雰囲気を演出している。 肝心の魔王は熊を2倍のサイズにしたようなごつい大男で、しかし全身が黒く塗り潰されている為、その風貌は分からない。その魔王が真っ白な石柱に何重にも鎖で巻かれ、縛り付けられている。
魔王の白い瞳と、血と思しき紅色が、真っ黒な図体に不思議と映えていた。
なんか変に引き込まれる絵だなぁ……。
そう思ったその時だ。
「!?」
突然ページが光を放った。
先程までのぼんやりとした光ではない。カメラのフラッシュのような、もっと強い閃光だ。
あまりの眩しさに私は思わず本を手放した。床に落ちても、本からの光が収まる事はない。
「な、なんだ!? この光ッ――」
恭平にもこの光は見えるようだ。
この光といい、本といい、色々と訳が分からない。私は夢でも見ているのだろうか。眠った記憶は、ないけれど。
混乱しながらも、直感的に今の状況はヤバい気がした。
恭平に一旦本から離れようと提案し掛ける。が、
「きゃあぁぁあ!?」
「!? 美夜!?」
突然身体が本の方へ、ものすごい力で引っ張られた。そりゃもう巨大掃除機か何かに勢い良く吸い込まれるような、そんな現実離れした強さで。
私は慌てて恭平の方へ手を伸ばし、助けを求める。しかし本へ引かれる力の方が強く、互いの指先を掠めるだけで終わる。
それから視界が徐々に光に包まれて――――
瞠目しながら手を伸ばす恭平の姿を最後に、私の意識はそこで途切れた。