2話 一瞬の魔法
「東の森をなんとかしてこい」。そう、王から命を受けたのは1週間程前。
"どうして今更東の森?"
東の森とは膨大な土地と民、資源に溢れたサディアス国の東に位置する森のことだ。サディアス国は平和な国として知られているが、東の森は凶暴な魔獣や盗賊たちの巣窟であり、一般人は誰も足を踏み入れない土地。誰も足を踏み入れないから、王国側も特別手を付けていない無法地帯だったのだが、本当に、どうして今更。
疑問を抱きつつもフランは城を出る準備をした。それは4日前のことだ。
「完全にはぐれたな…。」
フランは馬上でザアザアと自分の身に降り注ぐ豪雨を忌々しげに睨みつけ、目にかかる長いプラチナブロンドの髪を片手でかき上げた。
城のある王都から馬を走らせて3日。東の森にある遠い昔に忘れられたフランの家の別荘である館を拠点にするため、部下たちと共にそこを目指していたのだが、予期せぬ雨と突如現れた魔獣のせいでどうやらフランは部下たちとはぐれてしまったようだ。
容赦なく身体を叩き付ける雨はどんどんフランの体温を奪っていく。このままではまずいと思い、フランは部下たちとの合流を諦めて一人馬を走らせた。
しばらく馬を走らせていると、大きな木に囲まれた妖しげな館が見えてきた。都合の良いことにそこは、フランたちが目指していたフランの別荘だった。
薄暗い森にとても良く似合う古びた洋館。近くに崖でもあるのか、ゴオッと不気味な風の音が聞こえてくる。それが増々館を不気味に思わせた。
フランは馬から飛び降り、近くの木へと手綱をしっかり結んだ。
館の鍵は自分が持っているので休むことは可能だろうと思い、館の扉に鍵を差し込み、回す。
しかし、ひっかかる感触がない。
不思議に思いながら、フランは扉を開けると妖しげな音を立て、扉は開いた。…まさか、知らぬ間に盗賊たちの集会所にでもなっているのではないだろうか。端正な顔をめんどくさそうに歪ませ、一歩中へと足を踏み入れる。右手はしっかりと腰に指してある刀を握っている。
気配を探りながら歩を進めて行くと先ほど入って来た入り口の扉がけたたましい音を立てて閉まった。たぶん、風のせいだろう。
極力足音を立てぬように気を配りつつ2階に続く階段を上って行く。館の中は外よりも薄暗く、視界が悪い。心の中で舌打ちをしながらもフランは気を引き締めて館の中を進んで行く。足に迷いはない。
盗賊がいると踏んでいたが、見てみる限りでは大勢の人間が館に侵入した形跡は見つからなかった。
窓を叩き付ける豪雨と、不気味な風の音。いつの間にか雷も鳴り始めたらしく、時折耳をつんざくような音が外から聞こえてくる。
いい加減冷えきった身体を温めたい。
はぁっと吐き出した息は暗がりでも白く浮き上がって見えた。
フランはとある部屋に行き着いた。館の一番奥にある部屋だ。今まで見て来た部屋を考えると、多分自分の先祖の寝室であった場所だろうと思う。
部屋の中から物音はしない。
だが、不思議な気配がする。
その気配は人でもなく、獣でもない。まさか幽霊か?とフランの頭に浮かんだが、馬鹿馬鹿しくなりその考えを振り払った。
一気に扉を開け、中にいるその不思議な気配へと間合いを詰め、喉元に切っ先を突きつけた。室内の空気はとても冷たい。
「人様の館で、何をしている?」
低く低く囁く。自分よりも頭一つ分程背の低いその不思議な気配の持ち主を見下げれば、腕の中で身動き一つせず、ゆっくりと顔を上げた。
「お、んな…?」
思わず口から零れ出た声は自分でも驚く程に頼りなく、掠れていた。
喉元に刃物を突きつけられているというのに腕の中にいるそいつは無表情でただぼうっとフランのことを見つめた。腕に当たるさらりとした長い黒髪がこそばゆい。
フランも呆然と腕の中にいる女を見つめる。否、目が放せないのだ。
雪のように真っ白な肌に一際目立つ真っ赤な唇。腰まで流れる黒い髪。そして、ガラス玉のようなシルバーの瞳。
まるで職人が丹誠込めて作り上げた人形のような美しい女。
引き込まれた。今にも壊れてしまいそうに揺れるその瞳に。一瞬で。
見つめ合う時間がまるで永遠のように感じた。