1話 目覚め
ざわざわ。ざわざわ。
最初に耳に入った音は、森のざわめきだった。どこか不気味で、うなるような風の音も共に聞こえてくる。
ゆっくりと瞼を開けてみると一番に目についたのは古びた天井だった。明かりは無く、暗い。起きたばかりだからか視界が少しぼやけている。一度ゆっくりとまた目を閉じ、また目を開くと、変わりなくその古びた天井がそこにあった。よく見れば古びているけれどもしっかりとした作りで、高級感がある。どこかのお屋敷なのだろうか?
妙に頭がスッキリしている。ゆっくりと身体を起こしてみると身体も軽い。ギシリと自分が寝ていたベッドが軋む。そのベッドも広くてふかふかだ。
ぐるりと頭を動かし、室内を見てみればどれもこれも高級そうな家具たちが忘れられたように静かにそこにいる。やはり、金持ちの古い屋敷のようだ。
ざわざわ。ざわざわ。
外から変わらず不気味な森のざわめきが聞こえてくる。時折強い風が窓を叩く。
「あ……。」
指先を喉にあて、声を出してみる。少し掠れた、高い声が口から零れた。
ベッドから降りるためにベッドの上を這って端っこへくると真っ黒のパンプスが床にあった。踵の部分を指先で引っ掛けて持ち上げてみれば埃一つ被っていない。履いてみればぴったりだった。
立ち上がって壁際に立てかけられている大きな姿見へと近づく。少しばかり足がふらつくのは長い間眠っていたせいだろうか。
姿見に映ったのは幼さを少し残した少女の姿だった。艶やかで真っすぐと腰まである長い黒髪。切れ長のぱっちりとしたシルバーの瞳。白い肌に一際目立つ真っ赤な唇。
ちぐはぐだと思った。自分の容姿に。記憶に。存在に。
鏡の中にいる少女は嘲笑う。
「あなたは、誰?」
「あたしは、アルバ。」
凛とした声が室内に響く。鏡の中の少女は冷めた目で問う。
「あなたは、何?」
「あたしは、魔女。」
「そう。ありがとう。」
最後に鏡の中の少女はにこりと笑った。
アルバはすぐさまその笑みを消し、頭を振る。自分の行動があまりにも馬鹿馬鹿しかったからだ。
「馬鹿みたい。何してるんだろ、あたし。」
あたしはアルバ。魔女。目覚めた瞬間からわかっていた。でも、それだけ。それ以外のことは全くわからない。目覚める前の全ての記憶がない。ただただ空白の記憶の中に、自分の名がアルバで魔女であることだけが浮かんでくる。そして不思議なことに、記憶が全くないというのに一般的な知識はある。目の前に自分の姿を映す物は鏡だとわかるし、言葉も喋れる。……この世界で魔女が、異質だということも。
アルバは振り返り、鏡から窓へと視線を移した。迷いなく指先を窓へ向け、空間を引き裂くように斜めに滑らせる。するとけたたましい音を立て窓ガラスが割れた。
アルバは無表情で割れた窓を見つめる。驚きはなかった。だって、自分は魔女だから。
まるで何かを諦めたかのようにアルバは息を吐き出した。
それから、先ほど斜めに滑らせた指先を巻き戻すようにまた滑らせると床に飛び散った破片がかたかたと動き、割られる前の状態へと戻る。魔法の使い方もバッチリなようだ。
「本当に、ちぐはぐ。」
アルバは現実から目を背けるようにまたベッドへと戻り、身を投げ出した。