終章
終.
「なんだかんだと、一番賢かったのはあいつなのか?」
復興へ向かう街を歩く。太陽に見守られながら。ガラスの破片を踏みつけた。フライドチキンのおっさんが転がっていた。
「誰だあいつって」
「的場だよ」
「的場?」
「ハミガキ粉を大量に買って転売したやつ」
「あ~……」秋山は頷く。「で、どうだったんだ?」
「それが面白くないことに大成功だと。正直犯罪だよな。混乱に乗じて」
「あとで紹介しろ。おこぼれをもらう」
この有様では、そんな犯罪じみたことも取るに足らないことなのだろう。
ずいぶんと昔のことのように思えるが、世紀末にはノストラダムスがどうのと騒いでいた。あの混乱など比較にならない。あのときも本気で世界の滅亡を信じ、破産するまで豪遊したものもいたという。今回は目に見てわかる世界滅亡への強烈な予感があった。にもかかわらず、あの世紀末の大騒ぎと同じように、やはりなにごともなかったように日常が戻ってきた。
「でだ、結局なにが起こったんだ?」俺はいまだ理解できずにいる。
「今もさまざまな仮説が打ち立てられ続け……まったく、トンデモ学の宝庫だよ。今度ニュートンでも特集が組まれるみたいだぜ。一番興味深かったのは五次元理論だな。〈星食い〉とも似たようなネタもあった」
「俺たちが発表してもいまさらか」
「そうなるな。人類の想像力は偉大だよ」
「妄想のような気もするけどな」
「まったくわけがわからん」
「お前にもわからんことがあるのか」
「あるに決まってる。あるから俺はこうして生きてる」
「なんだったんだがな、ホント」
「打撃は大きい。これは事実だ。そのすべてが二次災害ではあるけどな」
「すべて?」
「なにも変わってないんだ。なにも起こっていない。物理的にはな。あれだけのことがあって、地球環境にはなんの影響もなかったんだ。各国の機関が必死に観測を行っているが、なんら異常は発見されていない。一次災害はまったくない」
「つまり、人間が勝手に慌てて自分で被害を拡大したってことか」
猫が前を横切って通っていった。それは「明けない夜」以前と変わるところがなく。あの猫は普段より長い暗闇になにを思ったのだろう。
あるいは空を見上げると、なにも変わることなく鳥が羽を広げ飛んでいる。彼らとてあの「闇」を体験したはずだ。目の前が見えずに混乱したに違いない。しかし人間ほどの混乱だっただろうか。鳥目の彼らにとってあの闇はどう見えていたのか。
また、もとより盲目の植物であればなにも気にせず光合成を続けていただろう。太陽光は普通に届いていたのだから。
「結局、人類は敗北したのか? いや、勝負という土俵にすら立ってなかったのか。なんだかなあ。人間って。本当に進化した生物なのか?」
「それはわからん。グールドでも読め。だが、いえることが一つだけある」
「なんだ」
「人間は進化する」
「ポジティブだねえ」
「事実だよ。こればっかりは。揺るぎない事実だ。聖書にだって書いてある」
「聖書だ?」
「アダムとイブは楽園を追放されたんだぜ?」
「それがどうしたよ」
「知恵の実を食ったからだ。神にとってそれは脅威だったんだ」
「神ってなんだ?」
「遺伝子だよ。知恵の実とは模倣子、あるいはその種子。人はそれを食うことで知ったんだ、善悪を。つまり、価値を生み出す力を手に入れたんだよ。自らの力で善悪を決する力。人類は知恵の実を食うことで神の支配を逃れた。追放じゃない。反逆なんだよ」
「お前が宗教の話をするとはな。この世で一番嫌いなものじゃなかったのか? 解釈はお前らしいが」
「嫌いなのは安寧のための思考停止だ。俺は"Super Apple"を信じてる」
「"Super Apple"?」
「そう、人類にとっての新たな知恵の実だ。パラダイムシフト。価値転換。人類にさらなる飛躍をもたらす起爆剤。あの〈星食い〉は、あの事件とはそれだ」
「〈星食い〉が? 混乱が増えただけじゃないのか? 科学にもわからないことがあるじゃないか、ってね」
「科学でなければわからないというのにな。人間の知とは科学だよ。宗教に逃げたところでなにもわかりはしない。わかることから逃げたんだからな」
新聞、ラジオ、テレビ、インターネット、あるいは面と向かった会話。地球上のあらゆるネットワークを介して人々は膨大な情報を発し、受け取り、また送信し、それはシナプスの発火した脳内の神経ネットワークのように。その速度は〈星食い〉の出現によって加速した。そして、いつしか地球上の人間の数は脳の神経細胞の数と等しくなる。
そんな、ガイア理論の延長にある空想。
地球を一個の生物とみなすガイア理論は、しかし淘汰や適応主義の観点からするとアナロジーが曖昧になる。惑星淘汰などという空想はあまりに馬鹿げている。いつか秋山の話した、天体を生命体と見なす仮想はここで破綻する。だがそれが、瀬川が自信を説明する際の大きな助けとなったわけだ。
「そういや、隕石どうなったんだ? 連絡なかったからすっかり忘れてたが」
「ああ、あれな。俺にも来なかったんだよ、連絡。前に教授に会ったら、えらく興奮してた。あんまりにも不可解な点が多すぎるってんで、ありとあらゆる分析を何度も何度も重ね重ね、な。それに夢中で俺への連絡を忘れてたっていうんだが」
「で、結果は?」
「どうやら、太陽系外から飛来した可能性があるらしい。あくまでその仮説が一番有力、って感じらしいが。俺も瀬川の話を聞くまでは半信半疑だった」
「なんで瀬川の話は信じるんだよ」
「証拠がある。俺はなにもいってないのに、教授はあの隕石を生物の死骸かなにかじゃないかなんていってた。複雑な機構が存在するらしい」
「送受信装置と記憶装置か?」
「かもしれん。その仮説も提示しておいた」
「宇宙人から聞きましたって?」
「ああ」
「ああってお前……」
「ちなみにSETIにも通報した」
「はあ?!」
「当然だろ。宇宙人を見つけたらあそこに通報することになってる」
「だが、さすがのSETIでもあんな宇宙人は想定してないだろ」
「まあな。アストロバイオロジー(宇宙生物学)なんて学問分野ができても、趣味でなく公的に研究しようというなら地球上の生物学をモデルにしか発展できない。当たり前だな。エビデンスなくしてはただのSFになってしまう。一つの天体が一つの生命。そんなモデルは現状の理論ではとても想定できない。しかし、隕石はある。いずれにせよこいつの分析は必要だ。なかなか取り合ってくれなかったが……」
「取り合ってくれなかったが?」
「取り合ってくれないんだなこれが」
「そりゃそうだ」
「とはいえ、教授の分析結果は無視できないはずだ。あとはそれ次第だ」
それにしてもSETIへ通報とは。おそらくどこかの天文台なのだろうが、具体的にどこに通報するかという取り決めすらまだできていないというのに。俺が散々渋っていたことを平然とやってのける。呆れる俺をよそに、秋山は子供のようにはしゃぐ。
「あ~、まったく! 面白いな人生。宇宙人に会えたなんて夢のようだ」
「俺はまだ信じられないんだけどな」
「疑わしい点はまだ多いさ。隕石と彼女の関連性は、まるでまったく証明されてない。論理的に反論できないからといって、それが正しいとは限らない」
「まあな。そのへんが、すごく難しいところだ」
「もし彼女の話が本当なら、なんとまあこの上なくロマンティックなことだよ。数万年の時を経てこの地球へやってきた。人類と同等以上に夢見がちな宇宙人がいたものだ」
「オズマ計画なんかまさにそれだよな。この広大な宇宙のどこかに、我々と同じように星空に友人を捜し求めている。そんな宇宙人がいて、我々に向けてメッセージを送っているかもしれない。それをなんとかキャッチしようって。瀬川の話が本当なら、という仮定がもちろん前提にはなるが、そう考えるとつまりあいつSETIの成功例みたいなものだからな」
「天文学者の夢想癖もわかるというものだ」
「なんだそれ」
「天文学者は無限の夜空に夢を見てきた。恒久的な平和。戦争のない世界。だが、宇宙は人類に夢を見せるためにあるのではない。宇宙人が地球に攻めてこようものなら、こんなちっぽけな惑星で同じ人間同士がいがみあっているなんて、なんて些細で馬鹿らしく、滑稽なことだろう。たとえば、そんな文脈で平和を語る。だが、実際には宇宙人なんて攻めてこないんだ」
「だけど宇宙人は来てしまった。あと〈星食い〉も」
「来ちゃったねー」
「どうするよ」
「どうするもこうするも」
秋山はにやにやしながら当惑している。その表情はいかにも気持ち悪いが、きっと俺も同じような表情をしているのだろう。と、俺はなにか電流のようなものを感じる。
「あ」
「なんだ」
「すげーこと思いついた」
「なんだなんだ」
「よく思い出せないが、なんかの探査機に人類の文明についての記録をのせて飛ばしたってのがあったよな。いつか宇宙人がそれを回収することを期待して」
「ボイジャー1号と2号か」
「それだ」
「たしか、あれには10億年の年月に耐える金のレコードが積まれているな。それにいろんな国の挨拶とか音楽とかが収録されてる」
「え? 10億年?」
「もちろん計算上だが」
「うわ。マジか。そこまでは知らなかった」
「で、なんだ。それがどうした。ん? いや、まさか」
「待て待て。思いついたのは俺だ。俺に言わせろ。つまり、ボイジャー1号・2号のそのプロジェクトとだな……」
「瀬川の話が似ていると」
「ちくしょう!」
「なるほどなるほど。オズマ計画というよりはこっちだな。やばいな。面白すぎる」
「だろ?」
「いつかも話したな、人類は宇宙人に会えない。だが、肝心なことを忘れてた。俺たちに会おうとする宇宙人の意志だよ」
「意志か。ただの偶然の重なりでもあると思うが」
「彼女が言わなきゃ俺は会えなかった」
「そうだな。あいつ、すげービビってたんだぜ。お前のこと」
「なんて?」
「超能力者じゃないかって」
「超能力ねえ。いつかそれも倒したいな」
「倒すだって?」
「未知や奇妙は人類の敵だよ。誇るべき、尊敬に値する敵だ」
「ホント面白そうだな、お前の人生」
「これからもっと面白くなる。瀬川に伝えておいてくれ。予約は取れた、とな」
秋山と別れた。
風が快くそよぐ。日が落ちようとしている。再び夜を迎えるだろう。今度はちゃんと、明ける夜が。感慨に耽りながら歩いていると、小川に架かる橋に黄昏れる瀬川を見た。
「よ」
「カズ君」
手すりに体重をあずけて惚けている瀬川。隣に俺も寄りかかる。
「とりあえずCTスキャンだそうだ」
「ついにですか……ガタガタ」
「それだけじゃない。心電図、脳波測定、催眠法、DNA解析、電気信号の反応実験、ESPカード、粒子ビーム照射実験などなど……とりあえず生命に危害を加えない範囲でできるかぎりのことをするそうだ」
「……ホントに大丈夫なんですか、それ」
「人権を侵害するようなことはありません」
「だれの言葉です?」
「担当者」
「ひいい……ガタガタ」
瀬川は深呼吸をし、震えを抑えて返事をする。
「でも、もしかしたらなにも見つからないんじゃないかとも思うんです」
「どういうことだ? 寄生しているっていうんなら、たとえば脳に、なにかしらの異常というか、変化があってもいいんじゃないのか?」
「いえ、はじめは寄生という表現を用いていましたが……なんだかそれもしっくり来ないんです。いつかもいいましたよね、私にとっての生き残りとは、遺伝子ではなく模倣子だって。ですから、なにか物質的な寄生というよりは、情報というか、意識だけを飛ばしたというか」
「どんな情報にも媒介が必要だ」
「たとえば、電気信号やら電磁波などで、寄生虫のようにというよりは、そういった方法で脳の構造を作り替えたというか」
「それじゃあお前は一人じゃないのかもな」
「え?」
「その方法なら複数の人間を宇宙人にできる」
「あ、いわれてみればそうですね……」
「もしなにも見つからなかったらその可能性を考慮しなきゃだな」
空を眺める。太陽の戻ってきた空を。写メにとっておきたいようなきれいな夕焼けだ。
「ふと、思ったんだ」沈む日を見て。「俺たちは本当に地球人なのかって」
「またなんですかそれ」
「なんていうんだろうな。俺たちは、太陽がなくなったってだけであんなに大騒ぎしたろ? だけっていうのもおかしいんだが。しかし、太陽がなくなったからってまったく気にせず生活を続けてたやつらがいたはずだ」
「だれです?」
「深海魚だよ。あいつら、日頃から太陽なんて届かないところで生活してる。じゃあなにを食ってるのかって、地球からの噴出物を糧にしてるわけだ。地球人というなら彼らをいうんじゃないのか? 俺たちは、地球人なんかじゃなく、本当は太陽の子どもなのかもしれない」
「なるほど」
「まあ、地球という天体の持つ性質なくしては生まれもしないし生きていけないにも違いないが。無意味な話だったか」
「面白いと思いますよ」
「それにしても〈星食い〉、か」ため息一つ。「まったく、素通りとはな」
あの極限状態で秋山が気づいた可能性。
それは、地球は食われないかもしれないというものだった。
瀬川の話を聞くかぎり、食われたのは恒星だ。つまり、〈星食い〉は恒星を食すサイズの生物。そんな生物が地球などちっぽけな惑星を食べたところで腹の足しになるだろうか。本当に地球をわざわざ食べようというのか。そういうことだった。
「地球なんて食うに値しなかったのか。あるいは、はじめから食うつもりもなかったんだろうな。多分そうだ。俺たちにとってはおおごとだったが、〈星食い〉にとって地球なんてのは目にすら入らない塵とでもいうのか」
「考えても見れば、太陽ごと食べられている、そうも考えられたと思うとぞっとしますね」
「さすがにそれはないだろう。太陽と地球は約1億5000万キロメートルも離れているんだぜ?」
「でも、私たちからはなにも見えないのは同じなわけで、実は太陽系ごと食われてました、ってことも十分あり得たんじゃないですか?」
「それは〈星食い〉のサイズによるよな。今回の場合は、食べようとしていたというより、体の端が触れただけ、ってところだと思うが。太陽系を丸ごとか。恒星と一言でいってもそのサイズはさまざま。ベテルギウスっていう馬鹿デカい星もあったな」
「太陽の約20倍の質量、半径は約1000倍、でしたか」
「そう。こいつがもし太陽の位置にあったのなら、そのサイズは火星軌道にまで及ぶらしい。〈星食い〉のサイズは、こいつも食えるほどなのか。あるいは、太陽系の外縁を横切っただけで、その端が地球に触れただけ、とも考えられる。また、瀬川の話を聞く限り、恒星は食われたがその周囲を小惑星として公転していた瀬川は無事だったわけだ。こう考えると、太陽系を丸ごと喰らうほどのサイズというのは想像しにくいが、その恒星の大きさや小惑星群の軌道半径がどれほどであったか正確な値もわからない。というか、今回地球が無事だったわけだから、なんの指標にもならないか」
「うーん」
「要するに、なにもわからないというのを遠回しに言っただけだ」
「でも、そうとしか言えないのも事実、ですよね。なんだか気持ち悪いですね」
「〈星食い〉はお前が唱えた説だろうに」
「あ、面白いこと思いつきました」
「なんだ」
「〈星食い〉はベテルギウスを食べられるのかどうかって話で思いついたんですが、白色矮星って、地球程度の大きさで、質量が太陽の倍近くであったりしますよね。つまり、密度がすごく大きいわけです。〈星食い〉が天体の持つエネルギーを食べるというなら、これはいわばご馳走じゃないかと。そして、その究極がブラックホールです。つまりですね。〈星食い〉とブラックホール、食われるのはどっち?!」
「……あ、ああ。怪獣大決戦だな」
話のスケールが大きくなりすぎてわけがわからなくなってきた。そのうえ〈星食い〉は、現段階では一切の証拠によって支持されない。いわばSFだ。矛盾がないだけでなんの根拠もない。
そんな話を大真面目にするのが、馬鹿らしくも思えるし、少し楽しくもある。そろそろこんな不毛な議論はやめようか、と提案しようと思ったが、俺の口はまだそんな会話を続けたがっていた。
「〈星食い〉のモデルとしては鯨みたいなもんなのか。そんな喩えを使ってたよな」
「どうでしょう。蛇みたいな形状かも知れません。あるいは球体かも」
「〈闇の粒子〉だったか。もし本当にそうなら、〈星食い〉の姿形を知ることは原理的に不可能なわけだよな。お前の姿がわからないように」
「私の方は、隕石の分析でなにかわかるはずです。つまりは、あれが私自身だったわけですから。絶対わからないと思っていたことがわかるんです。〈星食い〉もきっと……」
「そんな単純じゃないと思うけどな。実際のとこ、〈星食い〉説を保証する証拠なんてなにひとつない。なにも起こらなかったというのが、ある意味裏付けにはなるんだろうが」
「そうですね。あらゆる科学者、研究者がさまざまな観点から調査をしていますが……〈闇の粒子〉に当たるようなものはなにも検出できていないようですね。まあ、検出のしようがそもそもないわけですが」
「だが、もし〈星食い〉なんてのがいたら、そいつに食われて突然消えてなくなった星なんてのがすでに観測されててもいいんじゃないのか?」
「それについてもいろいろ考えたんです。人類が誕生したのが20万年前。古代において天体観測の歴史はすでに始まっていますが、その歴史はせいぜい数千年。肉眼で見える星の数は一万にもみたず、望遠鏡の発明が17世紀。電波望遠鏡は20世紀。ハッブル宇宙望遠鏡が1990年。SETIが始まってからまだ100年も経っていません」
「お前の太陽が食われたのが、おそらく数万年前だったか。〈星食い〉の数や星を食う頻度はそんなにない、ってことか?」
「人類の尺度からすれば、そうなるかもしれません。人類の歴史は宇宙に対してかなり短いわけで……空間的な観測範囲はずいぶん広がりましたが、時間はあまり長くはない」
「いや待て。宇宙観測ってのは、遠くを見ることがすなわち過去を見ることになる。よく言われるように、今見てる星の輝きは、何億年も前に輝いていたものが届いているもので、今はもうないかも知れない。つまり、遠くを見ることによってこの地球上からあらゆる時代の宇宙を見ることができる。4光年離れた星は4年前、2万光年離れた星は2万年前、だ。つまりだ、えっと、だから」
「でも、いくら遠くが見えるといっても、遠すぎる天体は銀河という単位でしか見られないわけで、まさか銀河を丸ごと食べるようなことはないでしょうし」
「恒星という単位で観測できるのは銀河系内、天の川銀河のなかだけってことにはなるわな。で、天の川銀河の大きさが直径10万光年、恒星の数は2000億くらいだったか」
「そのなかから突然消えた星を探すわけですから、つまり、以前はあったということを確認しなければならない。いくらあらゆる時代を見られるといっても、あらゆる時代の今日しか見られないわけでして。たとえば、10光年離れた天体の光は十年前のものですが、この天体の百年前を見られるかといえばそういうわけではない」
「突然消える星を積極的に探さないかぎり見つかりようがないってことか。普通に考えて、そんなふうに望遠鏡を覗くやつはいないな。それでも見つけるのは難しそうだが。あるいは、シリウスだとかベガだとかよく知られた星が食われるようなことがあれば、そのときは大騒ぎになるだろうな。まあ、ぜんぶ仮定の話か。まだまだ未知があってもおかしくない。まさにダークマターってわけだな。結局なにもわからず終いか」
沈黙。冷静に考えるならなんとも馬鹿らしい会話をしている。現実と妄想の境界が揺らぐ危うい感覚。根拠もなく検証もしようもない。それが瀬川も引っかかっているのか、口を噤んでしまっている。わくわくがとまらないが、本当にわくわくしていいのか。そんな、不快でない戸惑いだ。
秋山は〈星食い〉を"Super Apple"と呼んだ。
〈星食い〉が来たことで、瀬川は自分の正体に気づき、秋山に告白するまで至った。だが、〈星食い〉が来てしまったせいで、世界中もはやそれどころではなくなった。平和なのときであれば、宇宙人の飛来はそれこそ大ニュースであるはずなのに。よほど決定的な証拠が見つからないかぎり、たとえばSETIなんかにはとてもじゃないが相手にしてはもらえないだろう。そんな二律背反がある。
瀬川が自分の正体を語ったときには驚いた。まだ、それを示す決定的な証拠はない。しかし今後、隕石の分析からかなりのことがわかるだろう。瀬川が宇宙人だと断定するほどの証拠が見つかるかどうかはともかくだ。
だが〈星食い〉については、俺も瀬川も秋山も、世界中の科学者、人類最高の頭脳たちですらが、手も足も出せずにいるのが現状だ。矛盾のない仮説なら、〈星食い〉や〈闇の粒子〉でなくてもいくらでも発表されている。
人類は、永い歴史において多くのことを知り、学び、理解してきた。しかしそれにも限界がある。やはり俺にはそう思えた。口に出せば瀬川や秋山からは反論されるだろう。ならば口に出して反論されるか。
「さて、俺たちはあの事件からなにを教訓にすればいいんだろう? 要するに、俺たちはそんだけちっぽけな存在ってか?」
「いえ、宇宙が大き過ぎるだけです」