第6話「一人で始める」
ガランに許しを得た翌日から、ソウは動き始めた。
まず、やるべきことを整理した。
一つ目。食べられる実をつける野生の草を見つけること。
二つ目。その種を集めること。
三つ目。蒔く場所を選ぶこと。
前世の知識では、農業の始まりは「野生の穀物の栽培化」だった。
人間が食べられる種子を持つ草を見つけ、それを意図的に育てることで、農業は始まった。
つまり、最初の一歩は——探すことだ。
ソウは朝から支流沿いを歩き始めた。
川の両岸に広がる草原を、一歩ずつ確認していく。草の種類を見る。穂の形を見る。種子がついているかどうかを見る。
前世の研究では、最初に栽培化された穀物はエンマー小麦やアインコルン小麦だった。だが、この世界にそれと同じ植物があるとは限らない。
探すべきは——穂に種子がつく草で、種子が大きく、脱粒しにくいもの。
脱粒しにくいというのは、種子が穂から簡単に落ちないということだ。野生の植物は風で種子を飛ばして繁殖するが、人間が栽培するなら、穂についたまま収穫できるほうがいい。
前世の教科書に書いてあったことが、今、目の前の現実になっている。
ソウは一本一本、草を確認しながら歩いた。
昼を過ぎた。足が痛い。体力のない体には、一日中歩き回るのは重労働だった。
だが、まだ見つかっていない。
川沿いの草原には、様々な草が生えている。背の高いもの、低いもの、花をつけているもの、枯れかけているもの。秋だから、種子をつけている草は多い。だが、食用に適したものがない。
種子が小さすぎる。穂がまばらすぎる。苦味がある。
一つずつ確認しては、首を振る。
——焦るな。
農業革命は一日で起きたわけじゃない。何世代もかけて、偶然と試行錯誤の果てに実現した。
ソウはそれを一人で、意図的にやろうとしている。時間がかかるのは当然だ。
「何をしてるの」
声がして、ソウは顔を上げた。
リアだった。弓を手に、狩りの帰りらしい。腰には兎が二羽ぶら下がっている。
「草を探している」
「草?」
リアの眉が上がった。
「食べられる種をつける草を探しているんだ。見つけたら、土に植えて増やす」
「……馬鹿じゃないの」
リアの声は冷たかった。
「草を植えて食べ物にするって? 狩りをすればいいじゃない。魚を捕ればいいじゃない。なんでわざわざ——」
「狩りができないからだ」
ソウは静かに答えた。
リアが黙った。
「俺は弓が引けない。槍も投げられない。走れば息が切れる。狩りで食べ物を得ることは、俺にはできない。だから——別の方法を探している」
リアは何か言おうとして、口を閉じた。
しばらくソウの顔を見ていた。それから、背を向けた。
「……好きにすれば」
リアは足早に去っていった。
ソウはその背中を見送った。
リアは「馬鹿じゃないの」と言った。だが、笑わなかった。嘲りの色はなかった。
——少しだけ、引っかかったのかもしれない。
ソウはそう思ったが、すぐに頭を切り替えた。リアのことは後でいい。今は、草を探す。
夕暮れ近く。
ソウは支流の上流に向かって歩いていた。下流側はすでに見終わった。目当ての草は見つからなかった。
上流に行くほど、地形が変わる。川幅が狭くなり、両岸が少し高くなる。水が澄んで、流れが速い。
その川沿いに——ソウの足が止まった。
黄金色の穂が、風に揺れていた。
一面の群生。川沿いの緩やかな斜面に、背丈ほどの草が密生している。どの草にも、太い穂がついている。穂には——種子がぎっしりと詰まっていた。
ソウは駆け寄った。膝が草に埋もれる。
一本を手に取り、穂を指で挟んで引いた。
種子が穂から外れない。
——脱粒しにくい。
種子を一粒、爪で割った。中は白い。澱粉質だ。匂いを嗅ぐ。癖がない。
心臓が跳ねた。
これだ。
前世の小麦とは違う。穂の形も、種子の大きさも異なる。だが——構造は同じだ。穂軸に種子が密着し、脱粒しにくく、種子は澱粉質。
栽培に適した野生穀物。
ソウは群生地の広さを見渡した。この斜面だけで、かなりの面積がある。日当たりも良い。水も近い。
手が震えていた。
——見つけた。
この世界の農業の、最初の一歩。
ソウはその場にしゃがみ込み、穂を一本握りしめた。
夕日が群生地を染めている。黄金色の穂が、風に揺れている。
この草に名前はまだない。
だが——きっと、この草が全てを変える。




