表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
転生先は夜明け前 ―石器時代から文明を拓く―  作者: 夜摩 高嶺
第一章「種蒔きの季節」

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

5/8

第5話「族長への言葉」

夜明け前。

空はまだ暗かった。東の端だけが、薄い灰色に変わり始めている。


ソウは寝床を抜け出した。冷たい空気が肌を刺す。秋の朝は、日が昇るまでが寒い。

丘の上に、人影があった。


ガラン。


毎朝、夜明け前に丘に登り、風を読む。風の方角で獲物の動きを予測する。それが族長の朝の仕事だった。


ソウは草を踏みしめながら、丘を登った。息が上がる。たかだか丘を一つ登るだけで。

ガランは風上を向いて立っていた。振り返りもしない。ソウの足音は聞こえているはずだ。


「……ガラン」

「起きるのが早いな」


ガランは前を向いたまま言った。


「話がある」

「聞こう」


短い。いつものガランだった。

ソウは深く息を吸った。

ここからだ。まず、実績を見せる。


「先日の肉——煙で燻した肉は、三日経っても腐らなかった」

「……ああ」


ガランの声は低かった。知っている。バアから一切れ受け取って、黙って噛んでいたのを、ソウは見ていた。


「あれは、俺が考えて作った。煙には肉を腐りにくくする力がある。それを知っていたから、試した」


ガランは振り返らない。だが、聞いている。


「次は——もっと大きなことができる」

「何の話だ」

「草の種だ。穂のついた草——食べられる実をつける草の種を集めて、土に埋める。水をやる。待つ。そうすれば、同じ草が生えてくる。食べ物を、自分で作れるようになる」


ガランが初めて振り返った。

炎のない朝の光の中で、ガランの目は黒く、深かった。


「続けろ」

「今の暮らしは、食べ物を探して歩くことで成り立っている。獲物がいなくなれば移動する。木の実がなくなれば移動する。だが——食べ物を自分で作れたら、移動しなくていい」

「移動しないで、どうやって冬を越す」

「秋のうちに収穫する。乾かして保存する。冬の間の食料にする」


ガランは黙った。

嘲笑はなかった。怒りもなかった。ただ、黙ってソウの顔を見ていた。


「それで——冬までに何人分の食料が取れる」

「……わからない。やったことがないから」


正直に言った。嘘をついても仕方がない。ガランは嘘を見抜く男だ。


「やったことがないことに、人手は割けない。肉を燻したのとは話が違う」


ガランの声は低く、静かだった。怒っていないが、却下している。


「ガラン、俺は——」

「待て」


ガランが手を上げた。丘の下から、足音が聞こえてきた。

ゴウザだった。

古参の狩人。四十代半ば。体が大きく、腕が太い。ガランの右腕とも言える男だ。


「族長、朝の準備が——」


ゴウザはソウを見て、眉を寄せた。


「何の話をしていた」

「ソウが提案をしていた」


ガランが淡々と答える。ゴウザの目がソウに向いた。


「提案? こいつが?」

「種を土に埋めて食べ物を作る、という話だ」


ゴウザの顔が歪んだ。


「若造の戯言だ」


太い声だった。嘲りではなく、怒りに近かった。


「煙で肉を乾かしたくらいで調子に乗るな。食べ物は狩って取るものだ。土から生えてくるのを待つ? その間、誰がこいつの飯を食わせるんだ。今だって役に立たないのに——これ以上、食い扶持を無駄にする気か」


ソウは言い返さなかった。

ゴウザの言葉は、正しいからだ。

この世界の常識では、ゴウザが正しい。食べ物は狩って取るもの。体が弱い人間は、集団のお荷物。それが何千年も続いてきたこの世界のルールだった。

ソウが否定しているのは、そのルールそのものだ。

言葉で覆せるはずがない。


「ガラン」


ソウは族長に向き直った。


「人手は要らない。一人でやる。狩りの邪魔はしない。ただ——やらせてほしい」


ゴウザが「馬鹿馬鹿しい」と吐き捨てた。

ガランは黙っていた。

長い沈黙だった。

東の空が明るくなり始めている。風が草原を揺らす。

ガランは背を向けた。丘を降り始める。

ソウは動けなかった。

却下された——と思った。

だが、ガランは三歩目で足を止めた。振り返りもせず、低い声で呟いた。


「……お前一人でやる分には、止めない」


それだけ言って、ガランは丘を降りていった。ゴウザが舌打ちをして、その後を追う。

ソウは丘の上に一人、残された。

風が吹いていた。


止めない。


許可ではない。応援でもない。「勝手にしろ」という意味だ。

だが——止めないと言った。

それだけで十分だった。

ソウは唇の端が持ち上がるのを感じた。笑った。何日ぶりかわからない。


東の空から、朝日が顔を出し始めていた。

丘の下では、族民たちが起き始めている。リアが弓を背負って歩いているのが見えた。

テツが岩の陰で石を打っているのが見えた。バアが焚き火の前で、こちらを見上げていた。

バアは——笑っていた。

見ていたのだろう。丘の上の三人のやり取りを。

ソウは息を吐いた。

やると決めた。

一人で始める。野生の穀物を探す。種を集める。土を選ぶ。蒔く場所を決める。

笑われてもいい。

ツハのように死ぬかもしれない。

だが——ツハにはなかった知識が、ソウにはある。

農業の知識。食料保存の知識。土壌の知識。

それだけが、ソウの武器だった。

丘を降りる足取りは、登った時よりも軽かった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ