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転生先は夜明け前 ―石器時代から文明を拓く―  作者: 夜摩 高嶺
第一章「種蒔きの季節」

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第4話「焚き火の前で」

 三日が経った。


 燻製肉は、まだ食べられた。


 ソウが棚から取り出した肉を噛むと、硬いが、味はしっかりしている。臭みもない。三日前に切った肉が、腐らずに残っている。

 それだけのことが、集落の空気を少しだけ変えていた。


「あの肉、まだ食べられるのか」


 族民の一人が、ソウに声をかけた。普段は話しかけてこない男だ。

 ソウは頷いて、一切れを渡した。男は不思議そうに噛んで、「ほう」と呟いた。

 だが全員がそう受け取ったわけではない。


「たまたまだ」


 ゴウザが焚き火の向こうから言った。

 古参の狩人。四十代半ば。腕が太く、声が大きい。ガランの次に発言力がある男だった。


「乾いた季節だから肉が持っただけだろう。雨が降ったら同じことはできん」


 ソウは反論しなかった。

 ゴウザの言うことにも一理ある。湿度が高ければ燻製の効率は落ちる。だが、それは改善できる問題だ。今は言い返しても意味がない。

 結果で示すしかない。



 夜。

 族長のガランは、毎晩同じ場所に座る。焚き火の正面。風上側。炎と族民の両方を視界に収められる位置。

 ソウは焚き火の端に座りながら、ガランを観察していた。


「明日は北の林に入る。トモ、ハル、お前たちが先行しろ。鹿の群れが北に移動しているはずだ」


 短い指示。無駄な言葉がない。


「リア、お前は川沿いを回れ。魚がまだ残っている」

「わかった」


 リアが頷く。族長の娘だが、特別扱いはされない。むしろ一番きつい役割を振られることが多い。

 ソウはガランの指示の出し方を見て、一つ気づいた。

 ガランは「なぜそうするか」を説明しない。理由を語らず、結果だけを求める。

 だが逆に言えば——結果さえ見えれば、手段を問わない人間だということだ。

 燻製肉は、小さな結果だった。三日間、肉が腐らなかった。それだけのことだ。でも、ガランはあの朝、ソウに視線を向けた。

 この人は見ている。ソウはそう確信した。



 焚き火が小さくなり、族民たちが寝床に散っていく。

 ガランは最後まで火の前に座っている。族長は一番最後に眠る。それが習わしだった。

 ソウも残った。バアも。


「ソウ、お前はまた夜更かしかい」


 バアが火を挟んだ向こう側で、笑った。


「眠れないだけだ」

「嘘つきなさんな。お前は考え事をしとるんじゃ」


 バアは枯れ枝を火に放り込んだ。炎が一瞬明るくなり、三人の影が揺れる。


「のう、ソウ。一つ昔話をしてやろうか」

「昔話?」

「この一族の昔話じゃよ」


 ガランが火を見つめたまま、微かに目を動かした。聞いている。バアはそれを承知の上で話し始めた。


「わしがまだ若かった頃——そうじゃな、お前くらいの歳だったか。ツハという男がおった」


 バアの声は、ゆっくりと夜に溶けていく。


「ツハは変わった男でな。川の向こうに住みたいと言い出した。向こう岸は良い場所だと。木の実が多いし、水が近いし、獣も多い。ここから動かずに暮らせるはずだ、とな」

「定住しようとした、ということか」

「そんな難しい言葉は使わなかったがね。ただ『ここに住みたい』と言ったんじゃよ」


 ソウの心が動いた。過去にも、同じことを考えた人間がいた。


「結果は?」

「失敗した」


 バアは短く言った。


「冬が来た。食べ物がなくなった。ツハは移動を拒んで一人で残ったが——春に戻った時、ツハの体は川辺に転がっておったよ」


 焚き火が爆ぜた。

 ソウは唇を噛んだ。


「……なぜ失敗した」

「食べ物が足りなかったからじゃよ。秋のうちに集めた木の実や干し肉では、冬は越せなかった。それだけのことじゃ」


 それだけのこと。

 だが、ソウにはその「それだけのこと」の中に、致命的な欠陥が見えた。

 ツハには食料を「増やす」方法がなかった。集めることしかできなかった。自然にあるものを拾うだけでは、冬の消費に追いつかない。


 ——農業があれば、違っていたかもしれない。


 秋のうちに収穫して、保存すれば。燻製肉のように、持たせる方法を組み合わせれば。冬を越すだけの備蓄を作れたかもしれない。


「わしがなぜこの話をしたか、わかるかい」

「……俺が同じことをしようとしているから、か」

「お前はツハよりも賢いと、わしは思っとる。じゃがな——賢いだけでは冬は越せん」


 バアは杖をつきながら立ち上がった。


「大事なのはな、一人でやらんことじゃよ。ツハは一人だった。一人だったから、死んだ」


 バアはそれだけ言って、寝床へ向かった。



 焚き火の前に、ソウとガランだけが残った。

 沈黙が続いた。虫の声だけが響いている。秋の虫だ。もうじき、この声も消える。

 ガランが低い声で言った。


「バアの話は聞いたか」

「ああ」

「ツハのことは、俺も覚えている。俺がまだ子供だった」


 ガランは火を見つめたまま動かない。


「あれは愚かな男ではなかった。だが——一人だった」


 バアと同じことを言っている。ソウは立ち上がらなかった。今日は、まだ話さない。材料が足りない。

 だが、材料を集める手がかりはある。テツに、もう一つの話をしなければならない。



 翌日の昼。ソウはテツのところへ行った。

 テツは新しい矢尻を作っていた。


「テツ、少し聞いてくれ」

「ん? また面白いやつ?」

「ああ。燻製肉よりも——もっと大きな話だ」


 テツが手を止めた。


「草の種を、土に埋めたらどうなると思う?」

「種? そりゃ……生えてくるだろ。草ってそういうもんだし」

「じゃあ——食べられる草の種を集めて、自分で育てたら? 食べ物が、自分で作れることになる」


 テツの目が変わった。作業中の集中とは違う。

 何か新しいものを見つけた時の、あの目だ。


「それ……さっきの燻製肉より、もっとすごいってこと?」

「ああ。肉は保存できるようになった。でも、肉を獲れなければ意味がない。食べ物そのものを作れたら——冬も、飢えなくなる」

「これ絶対うまくいく! だってさ、草は毎年勝手に生えてくるだろ? それを自分で選んで生やせるってことは——」

「待て。まだ先がある」

「え、まだあるの?」

「族長に許可を取らないと。それが一番難しい」


 テツの顔が少し曇った。


「ガランは厳しいぞ」

「わかってる。だから——燻製肉で見せた結果を足がかりにする」


 テツは腕を組んだ。しばらく考えて、言った。


「カナにも聞かせてやろう。あいつ、こういう話好きだぞ」


 ソウは頷いた。

 明日の朝、ガランが一人になる時間がある。燻製肉で見せた小さな結果を足がかりに、もっと大きな話をする。

 バアの言葉を思い出した。「一人でやらんこと」。

 テツがいる。バアが見ていてくれる。

 一人ではない。

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