第3話「煙と肉」
カツン、カツン、と硬い音が響いていた。
朝靄の中、集落の外れにある大きな岩の陰で、一人の少年が石を打っている。
テツ。十六歳。ソウと同い年で、この部族で唯一の友人と呼べる相手だった。
テツの手元を覗き込む。打ち欠いた黒曜石の破片が、足元に散らばっていた。
手のひらの上では、小さな石刃が形を整えられつつある。刃先は薄く、切れ味は見るからに鋭い。
「テツ」
「おう、ソウか。見てくれよこれ。昨日の矢尻より薄くできた」
テツが顔を上げた。目が輝いている。何かを作っている時のテツは、いつもこの顔だ。
テツは猟師には向いていない。走るのは速いが、獲物を追う忍耐力がない。その代わり、石器を作らせたら部族で一番だった。石斧、矢尻、石刃——テツが作ったものは、他の誰のものより切れる。
「テツ、頼みがある」
「ん? 改まってどうした」
「木の枝で棚を組んでほしい。高さはこのくらい——」
ソウは腰の高さを手で示した。
「棚? 何を載せるんだ」
「肉だ。煙に当てて乾かす」
テツが首をかしげた。
「煙で肉を? なんで」
「煙には……肉を腐りにくくする力があるんだ。火で焼くのとは違う。じっくり煙を当て続けると、表面が固くなって、中の水分が抜けて、三日は持つようになる——はずだ」
「はず、って、やったことないのか?」
「ない」
テツは矢尻を地面に置いた。腕を組んで、ソウの顔をじっと見る。
そして、にっと笑った。
「面白い。やってみようよ」
軽い。拍子抜けするほど軽い返事だった。
だが、ソウにはわかっていた。テツの「やってみようよ」は、社交辞令じゃない。テツは面白いと思ったことを本当にやる男だ。
*
テツの手は速かった。
太い枝を四本地面に刺して柱にし、細い枝を渡して棚を作る。ソウが「煙が逃げないよう、周りを囲みたい」と言うと、テツは葉のついた枝を編んで壁にした。
一刻もかからなかった。
「こんな感じ?」
「……すごいな」
「これくらい簡単だって。で、肉はどれを使う?」
ソウは昨夜の残り肉——もう半日で駄目になりかけている鹿肉の薄切り——を棚に並べた。
その下に火を起こす。だが、普段の焚き火とは違う。
「生木を混ぜる。火を大きくしちゃだめだ。煙だけが出るようにする」
「へえ、火を小さくするのか。普通は逆だな」
ソウは生木と枯れ枝を交互に組み、煙が多く出るように調整した。白い煙が棚の中を漂い始める。
——だが、煙が上に抜けすぎる。
肉に当たる前に、ほとんどが空に逃げていった。
「駄目だ。煙が回らない」
「穴掘るか?」
「穴?」
「半地下にすればいい。煙って上に行くだろ。だったら肉を低い位置に置けば——」
ソウは目を見張った。テツは理屈ではなく、直感で正解を出す。
二人で地面を掘った。ソウの体力では浅い穴しか掘れなかったが、テツが石斧で土を砕いて深くした。半地下の窪みに火床を作り、棚を据え直す。
もう一度、火をつけた。
今度は煙が窪みに溜まり、肉の周りをゆっくりと包んでいく。白い煙が肉の表面を舐めるように流れる。
「おっ、いい感じじゃないか」
「このまま半日当て続ける。火が消えないように、生木を足していく」
「俺が見てるよ。お前、火の番は得意だろ?」
「得意というか、それくらいしかできない」
「十分だろ。お前が考えて、俺が作る。いいチームじゃん」
テツがからからと笑った。
*
翌朝。
ソウは棚から肉を取り出した。
表面は茶色く変色し、指で押すと硬い。水分が抜けて、元の半分ほどの大きさに縮んでいた。
煙の匂いが染みついている。
ソウは一切れを口に入れた。
硬い。顎が痛くなるほど噛み続けなければならない。だが——味が凝縮されている。肉の旨みが、噛むたびに口の中に広がった。
そして何より——腐っていない。
昨日の夕方に切った肉だ。普通なら今頃は臭いを放っているはずだった。
「テツ、食べてみろ」
テツが一切れ噛んだ。目を丸くする。
「硬え。でも——うまいな、これ。なんか、味が濃い」
「それより、匂いを嗅いでみろ」
「……腐ってない」
「ああ。昨日の肉だ」
テツの目が光った。
「これ絶対うまくいく——いや、もううまくいってるじゃん!」
その声が響いたのだろう。通りかかったリアが足を止めた。
狩りに出る途中らしい。弓を背負い、腰に矢筒を提げている。鼻がひくりと動いた。
「何、この匂い」
「肉を煙で乾かした。食べてみるか」
リアは眉をひそめたが、ソウが差し出した一切れを受け取り、口に入れた。
しばらく噛んでいた。
「……なにこれ。悪くない」
それだけ言って、リアは歩いていった。振り返らなかった。
だが——ソウを否定しなかった。初めてのことだった。
テツが肘でソウを突いた。
「おっ。リアが褒めたぞ。あいつが『悪くない』って言うの、初めて聞いた」
「褒めてはいないだろう」
「リアにとっては褒め言葉だって。信じろよ」
夕方。
バアが燻製肉を一切れ持って、ガランのところへ行くのが見えた。ガランはその一切れを受け取り、黙って噛んだ。長い間、何も言わなかった。
翌日の朝。
ガランがソウのほうを見た。一瞬だけ。視線が合って、すぐに逸らされた。
言葉はなかった。だが、あの目は覚えておこう、とソウは思った。
テツが背中を叩いてきた。
「なあ、ソウ。お前の頭の中って、他にも面白いもの入ってるのか?」
ソウは少し迷って、答えた。
「……ある。もっと大きなことが」




