第3話 情熱
傑の母親は驚いた顔をした。
今までの自分の態度が演技だったと気付いたのだろう。
「傑はあなたのこと、友達どころじゃないの。離婚した父親以上に慕ってる」
「だからこそ、距離を置こうと思ってるんです」
そう言うと、彼女は深くため息をついた。
「あなたまでいなくなったら……私はもう……」
「まだ元旦那さんに未練があるんですか?」
図星だったのか、彼女は目を伏せた。
人生に絶望しているような、弱い言葉を並べ始める。
僕は少し強めに言った。
「傑のことを考えてくださいよ。酒を減らして、ちゃんと生きましょうよ。ね?」
彼女は自分の体を抱きしめた。
そして財布を取り出し、現金を差し出した。
五万円。
「……これ、受け取って」
「俺がお金を受け取ると思ったんですか?」
断ると、彼女は意外そうな顔をした。
最初はあんなに警戒していたのに。
「傑には父親が必要なの。あなたしかいないのよ」
「親権はあなたにありますよ」
「……私も、いつの間にかあなたに依存してたの」
静かに言う。
「自分には昔のトラウマがあります」
「傑にもある。離婚といじめのトラウマ」
「あなたにもあるはずです。でも、それが何か分からないなら――」
「一緒に成長しましょうよ」
その言葉を聞いた瞬間、彼女は泣き出した。
「依存症なら病院に行きましょう。少しずつでいい。焦らなくていい」
「ね?」
彼女は強く自分を抱きしめたまま言った。
「今まで傑の面倒を見てくれてありがとう。あなたは……いい男よ」
「その割に、最初は異常者扱いしてましたよね」
「当たり前じゃない。今日のあなた見て、分かったの」
彼女はまっすぐ見てきた。
「一度、私と付き合ってみない?」
「……え?」
「うまくいけば、傑のパパになれるわ」
思わず固まる。
親友の母親と結婚?
普通に考えて気まずすぎる。
「俺、元引きこもりのこどもおじさんですよ」
「私に魅力ない?」
「あなたが付き合ってくれるなら、お酒やめる」
「俺、アルバイトで……」
「正社員になればいいのよ。あなたなら出来る」
こんな明るい顔、初めて見た。
でも――
頭に浮かんだのは、水族館のイルカショーだった。
あの子と、また出かけたい。
「……俺、彼女できそうなんですよ」
「生まれて初めて。三十手前で」
傑の母親は少しだけ目を細めた。
「年下?」
「はい」
「その子をずっと愛せるの?」
「……分からないです」
「私はね、あなたが思ってるより一途よ」
予想外の展開だった。
禁酒して病院に行くって話になると思ってたのに。
「実は……両親が、俺は一生結婚できないと思ってて」
「だから……彼女のフリして、挨拶来てもらえません?」
彼女は少し考えて、笑った。
「いいわね。それなら正式に付き合ってることにできる」
「いつ行く?」
「……お母さんは、傑に好かれてる男なら誰でもいいんですか?」
「そんなわけないでしょ」
真剣な目だった。
「あなたが今まで励ましてくれたから、好きになったのよ」
「なら、元旦那のこと忘れてください」
「分かった。本気で付き合いましょう」
沈黙。
そして彼女が聞いた。
「その子のこと、好きなの?」
「……分からないです」
彼女は静かに言った。
「私が離婚した理由はね、旦那の浮気」
「それが今でもトラウマなの」
困った。
本気だ。
「傑もね、あなたと結婚してほしいって言ってたわ」
「……今日は帰ります」
立ち上がる。
「私は本気よ」
背中に声が飛んできた。
「あなたを愛するって約束する」
その夜、副店長を呼び出した。
居酒屋。
「なあ、お前をデートに誘った子な」
「黙ってたけど、俺も告白されたことある」
「……は?」
「彼氏いるのに誘ってきた」
「お前、恋愛経験ないから黙ってたけどな」
「童貞卒業できるし、いいかなって思ってた」
「……よかった」
「よかったのかよ」
スマホを取り出す。
メッセージを送る。
考えたけど、友達のままでいよう
送信。
連絡先を削除した。
「俺って、魅力あると思う?」
副店長は笑った。
「あるよ。真面目だし面白いし」
「次いけ。いつか出会える」
「紹介してやろうか?」
少し考えて言った。
「……正社員、なります」
副店長が目を丸くする。
「マジか。本部に報告するぞ」
「よろしく」
帰り道。
心の中で思った。
社会復帰できた気がする。
引きこもってた頃は、人生終わったと思ってた。
でも――
傑に出会って思った。
いつか、自分にもこんな息子がいたらいいって。
そして思った。
傑の母親みたいに、
一人の男をずっと愛せる女って、少ないんだなって。




