09.また競争しましょうか?_前編【王太子ハインツの場合】
私は間違っていた。
あのような娘、私の輝ける未来に影を落とすだけの存在でしかなかった。
砂糖菓子のように甘そうな乙女。
ストロベリーのような髪とチョコレートの瞳、桃の頬に林檎色に染まる艶やかな唇は、いつだって私への賛美を口遊んだ愛らしい少女。
だが、何も持たない平民。
私を支える地位も、権力も、教養も、金もない、見た目だけの女。
私を騙し、誑かし、陥れようとした罪人。
それを救ってくれたのは、婚約者であるグリゼルダ・ヴァインライヒ公爵令嬢だった。
婚約者になってから一緒に切磋琢磨した、私を真摯に愛してくれる未来の伴侶。
今度こそ彼女を大切に扱わなければならない。
グリゼルダがいなくては、私が歴史に残る王になれないのだから。
「いつだって君を想っているよ、グリゼルダ」
月に一度だったお茶会は、断罪失敗後に隔週に変わっていた。
父上と母上にお願いして、増やしてもらったのだ。
こういうことは誠意が大事だということぐらい理解している。
ハインツが目を細めた先にいるのは、公爵令嬢として、それから王太子妃として社交界に君臨する婚約者のグリゼルダだ。
「勿体ないお言葉ですわ」
慎み深く、ハインツを立てる為に存在するに相応しい、完璧な貴族令嬢グリゼルダ。
「私と君の仲ではないか。もっと気楽にしてくれたらいい。
半年もすれば夫婦となるのだから」
淑女らしい微笑みを浮かべた彼女は、「とんでもないことですから」と言いながら、そっと手元のカップの縁をなぞる。
「殿下。恐れ入りますが、本日は外交会議に参加させて頂く予定となっております。
今日はこのあたりで失礼いたしますね」
「そんなことは聞いていない」
未だハインツが謹慎の立場であるのは変わりなく、表舞台に立って献身をアピールするグリゼルダによって、王として相応しいだけの名誉を取り戻すのだとは聞いている。
ハインツには年がそう離れてはいない弟がいるので、足を掬われるわけにはいかないのだ。
弟の素行は悪くないが平凡で、重要な選択を自分で決めることができない優柔不断。
どうしたって傀儡にしかならない者などに、王位を与えるわけにはいかない。
だが、あくまでグリゼルダはハインツを支える為の存在であって、そこまで表に出過ぎるのは気に入らない。
露骨に不機嫌を表に出すハインツに、グリゼルダは慈母かと思う穏やかな笑みを湛えるだけ。
「ヴァインライヒ公爵令嬢」
不意にかけられた声の主は、ハインツの良く知る人物で。
「……リカードか」
婚約者との穏やかな時間を邪魔するのは、王弟である叔父の一人息子のリカードだ。
既に国で定めた公爵位は他家で占められ、王族として残留することになった、王位継承権が高くも低くもない名ばかりの王子。
ハインツの治世の頃には王位継承権を剝奪し、適当に領地を持たない伯爵位でも与えて、王領のどこかにでも押し込めるつもりだ。
だから、ハインツもハインツの両親も、彼が誰とも婚約しないことに注意を払わない。
「お茶の席を邪魔して失礼。
間もなく会議が始まるので、ヴァインライヒ公爵令嬢を迎えにきました」
懐から出された懐中時計が時を告げる。
「リカード殿下、お手を煩わせて申し訳ございません」
すぐさまお茶会の給仕が席を引き、グリゼルダが立ち上げる。
すかさずエスコートするために差し出されたリカードの手に応えるよう、グリゼルダも手を差し出す。
それが様になりすぎて、知らず唇を噛み締めていた。
自然とグリゼルダの名を呼ぶ声が低くなる。
名を呼ばれたグリゼルダは、ハインツに略式の礼をした。
「申し訳ございません。今日のところはこれで」
そうしてからグリゼルダの笑みが少し深くなった。
「寛容なるハインツ殿下でしたら、お許しくださいますよね?
これも殿下の為になるのですから」
ハインツのため。
そう言われてしまったら、返す言葉がない。
屈辱で震えそうな体と、怒りを抑えるために握りしめたこぶし。
二人を見送るハインツの眼差しは、焦げつくような嫉妬に満ちていた。
** *
「どうしてリカードがグリゼルダと親しくしているのですか!」
久しぶりに一緒の食卓に着くことになった夕食の席で、吠えるハインツを両親が眉を顰めて見返した。
「唐突になんだというのです。
ハインツ、謹慎中に品位を忘れてしまったのですか?」
母親から咎められ、けれどハインツは話をすり替えられては堪らないと、ナイフとフォークを置いた。
横で物言いたそうな顔をしながらも、口を挟むことのない弟はどうでもいい。
「こういう場でないと、父上と母上とは話す時間が取れないではないですか」
「そういうことが言いたいのではありません。
はあ、時間が惜しいから、言いたいことを簡潔にまとめてちょうだい」
小さな溜息の後、諦めたのかハインツへと話の続きが促される。
「ありがとうございます。
先日グリゼルダとのお茶会の席に、リカードが現れたのですが、少しばかりグリゼルダが近しいのではないかと思われたのです。
年も近い上に、私は謹慎している身。
グリゼルダが私を愛しているとはいえ、それでも周囲に誤解する者はおりましょう」
ハインツが思うことを口にすれば、今度は盛大な溜息が吐かれた。
「何を言うかと思えば。ハインツはすっかり忘れているようですが、リカードは外交官として働いているのですよ。
だから、あなたの代わりに、公務として外交に励むグリゼルダに、サポートとして関わるのは当然でしょう?」
ですが、と言い募ろうとするハインツを窘めるのは、今度は父親だった。
「そもそもグリゼルダ嬢は、リカードとは幼馴染の間柄。親しいのも当然だ。
公爵位の与えられぬ弟の後ろ盾になってもらおうと、ヴァインライヒ公爵家の関係者を妻に迎えさせたのだからな」
過去にそう言われたことがあるのを思い出す。
確か、婚約する前のことだから、10歳の頃の話だ。
王となるハインツに一番相応しい相手を見つけたという高揚感から、そんなことは記憶の片隅に置いたままだった。
だが、今はハインツと婚約しているのだから、リカードと疎遠であるのは当然のこと。
幼い頃に面識があったとしても、成人した男女に良い距離ではないと言いたいのに。
「不満そうだな」
「当然です。グリゼルダは私が手に入れたものなのですから。
幼馴染だからといって、立場無き者が近づくべきではありません」
今度は父親からも溜息が落とされる。
そうしたいのはハインツの方だというのに。
「伴侶と願う相手を『もの』か。
あの馬鹿らしい卒業パーティーでの事件の後、少しでも反省を見せればと思ったが。
お前は何も変わらないな」
「そんなことはありません。グリゼルダからの献身を改めて知り、今度こそ輝ける未来の王となるのだと自覚をしています」
そう思うのはお前だけだと返された、言葉の意味がわからない。
食事は間もなく終わろうとしている。
弟は黙々と食事を口に運ぶだけになり、母親も何も話さなくなった。
「お前は王になるだけならば、相応しいくらいには優秀だ。
その驕りとあらぬ自信さえなければ、大局を見極め、国を正しく導けるだろう。
だからあの時、お前の王位継承権を剥奪しなかったのだ」
「当然です。私は誰よりも王になる素質があるのだから」
父親の皿が空となり、音も無くカトラリーが置かれる。
食卓に沈黙が広がったのは一瞬のこと。
「もうよい。お前はそのままで王となるが良い」
食事の終わりが告げられた。
これで言いたいことは伝えられたと席を辞し、誰よりも早く部屋を出て行く。
やはり期待されているのだという、満足感に満たされての歩調は軽やかだ。
ただ、懸念事項は早々に手を打つに限る。
ハインツが王太子として公務に戻るまでは、グリゼルダがしっかりしてくれないと困るのだ。
グリゼルダに手紙でも書いて、釘を刺すことにしようとハインツは考えながら、長い廊下をメイドに付き従われながら進んでいった。




