07.意に添わぬ婚約者_前編【公爵令息ヨシアスの場合】
ヨシアスの元婚約者の家は、家同士の利益よりもつまらぬ矜持を取ったらしい。
気づけばヨシアスの婚約者は、見知らぬ令嬢に代わっていた。
ただ真っ直ぐなだけの黒髪に、どこまでも平凡な茶色の瞳の、顔の造作だって貴族として見たら凡庸な、使用人だと言われても納得しそうな女。
あまつさえ眼鏡をかけているせいで、ますます見た目が損なわれている。
両親からはローテムント伯爵家の三女だと言われても、全く記憶にないぐらいには地味な姿だった。
こんな女、娶るつもりはない。
王太子であるハインツ殿下が諦めた乙女を、ヨシアスは妻として迎え入れるつもりでいた。
だが、それを無暗やたらと口にしたら、どうなるかぐらいは理解している。
謹慎を解かれるまでの間だけだとしても、冴えない見た目の女が宛てがわれた事実が我慢ならない。
調べてみれば歴史の浅い伯爵家の、持参金すら用意できない六番目だと聞いて、金目当てかと納得できた。
前の婚約者は高飛車で気に食わなかったが、外見でいえばヨシアスの横に立つことは許せた。
あれで我慢できると言ったのに、事務的な文章で留学するから婚約は破棄だと、断りの返事がきただけだったらしい。
女という生物は我儘で勝手なだけ。
唯一、乙女だけが他の女達と違って、ヨシアスの心に寄り添うことができるのだ。
だから最初のお茶会で地味女と顔を合わせたときに、しっかりと言い聞かせてやった。
「お前のような貧乏臭い女と結婚するつもりはない。
これは一時的なもので、解消する時には公爵家から幾ばくかの金をくれてやる。
その貧弱そうな顔と頭でも理解できたなら、わきまえて視界に入るな」
こんなことを言われれば、大抵の令嬢は顔を蒼褪めさせて、酷い時には泣いてしまうものだ。
けれど目の前の女は、黙って頷いただけだった。
やはり金目当ての女だったか、それとも頭が悪くて反論しようがなかったのだろう。
ヨシアスは目の前の物言わぬ婚約者の態度に満足すると、乙女が送られた修道院へと手紙を書こうと、お茶会の席から立ち去る。
お茶会を開始して、10分程のことであった。
* * *
「ヘルガは本当に良くできた令嬢だわ」
夕食の席で聞き慣れない名前を母親が口にし、それが自身の婚約者の名前だと思い出すのに、ヨシアスは暫くかかった。
「六人いる子ども達の末っ子だからか、あまりお金はかけてもらえなかったようだけど、マナーはご友人達の所作に習い、教養として本をよく読んでいるの。
それに慈善活動も嫌がらず、孤児院の子ども達でも分け隔てなく可愛がる姿に感心するわ」
単に金の無い貧しさが共通するからだけだろうと言いたかったが、慈善活動に熱心な母親の機嫌を損ねたくないので黙っておく。
まあ、そこまで面倒見がいいのなら、いつかヨシアスが乙女を妻に迎えた時にでも、メイドか子どもの世話係として雇ってやってもよいだろう。
存在すら忘れかけていた女と婚約してから、既に一年が経過している。
だが、定期的に用意されているお茶会は最初の顔合わせ以降、出向いたことはない。
最近は母親に伴われての慈善活動や、父親に付いて経営を学んでいることから、お茶会自体の回数が減って気が楽だ。
それに育ちだって伯爵令嬢と呼ぶに相応しくないようで、今なお、ヨシアスとの結婚が出ないのもありがたい。
これなら公爵夫人に向いていないと両親が思う頃には、他に適当な令嬢が見つからなくなっており、乙女を迎えるために説得できるかもしれない。
「来年にはライモンドが卒業だから、そろそろ卒業パーティーの衣装も考えないと」
気づけば食卓の話題は、ヨシアスの弟であるライモンドに変わっていた。
ヨシアスの横で、ライモンドが溌溂と笑う。
「ちょうど今日、エーディトと話をしていたところです。
できればドレスか装飾品を贈ってもいいですか?」
「どちらかなら問題無い。一緒に選びたいのであれば、あちらの家に予定を確認して仕立て屋を呼ぶか、我が家がよく利用する宝石店に二人で行ってきなさい。
どうするかはエーディト嬢と相談するように」
ありがとうございますと礼を言う弟の横で、ヨシアスは鼻白む思いだった。
「私が謹慎を余儀なくされているのに、ライモンドが卒業パーティーを大っぴらに楽しむのは、周囲の反感を買うから止めるべきです」
王太子であるハインツ殿下とヨシアス達が、卒業パーティーで令嬢達に嵌められたのは昨年のこと。
そのせいでヨシアスは謹慎扱いのままで、未だに解けていない。
嫡男であるヨシアスが社交を慎んでいるのだから、ヴェンツェル公爵家としても体裁として華やかなことなど控えるべきなのだ。
次男でしかないライモンドが、羽目を外すことなど論外である。
けれど、両親がヨシアスに向けた顔には、ありありと呆れが浮かんでいた。
「何を言っている? 問題を起こしたのはヨシアス、お前だろう。
恥じて自粛するのはお前であって、ライモンドには関係ない」
父親の言葉が信じられなくて凝視する。
「あれは令嬢達に私達が嵌められたのです! いわば、被害者はこちらなのですよ!」
思わずテーブルを叩けば、フォークが落ちた。
行儀が悪いが、今はそれどころじゃない。
「何度も言っているが、令嬢達は殿下とお前達が冤罪を被せる可能性があるからと、もしもの為に備えていただけのこと。
つまらん断罪劇など起こさねば、彼女達は話し合いの場を設けただろう」
冗談ではない。
そんな悠長なことをしていたら、ヨシアス達が不利になっていた。
相手に問題があると名誉を傷つけ、悪女と指を差されてもらわなければ、ヨシアス達が正義を掲げられずに破格の慰謝料が手に入らない。
それもこれも公爵家の為だというのに、父親は何を言っているのか。
ヨシアスに公爵位を譲って隠居した方がいいのではないかと言いかけ、すんでのところで父親の怒りに気づく。
「なんにせよ、令嬢達を陥れようとした加害者が言うべきことではない。
ヘルガ嬢への態度といい、お前は本当に何も反省していないのだな」
最後の言葉には、呆れと疲れが滲み出ていた。
噛み合わない会話に疲れるのはこっちだと、ヨシアスの方が溜息をつきたいくらいだ。
「とにかく、ライモンドのことで、ヨシアスが口を挟む必要はない。
暫くは食事も自室で取るがいい。そのように手配しておく」
気づけば母親もライモンドも食事を終えている。
口論になりかけた父親も間もなく食べ終える状態の中、ヨシアスだけがメインにナイフすら入れていないままだった。
誰もがカトラリーを置くと、給仕がイスを引いてくれるのを待って席を立つ。
父親の皿にあった、鶏肉の煮込みが無くなるのもすぐで、彼もまた席を立って食堂を出て行こうとする。
けれど、立ち上がったところで、ヨシアスを見下ろす。
「殿下と他の者達がどうなったのか、何度も言い聞かせただろう。
ヨシアスも自身と向き合って反省し、誰の手垢が付いたかわからぬ娘への執着を捨て、ヘルガ嬢としっかり交流するように。
そうでないと謹慎は解かれないままだ」
言いたいことだけを言って出て行く、父親の背を見送りながら聞いた話を思い出す。
ハインツ殿下は夢から醒めたように乙女を裏切り、王という未来を取った。
悪女達の統括であった、ヴァインライヒ公爵家のグリゼルダと結婚するのは来月だったか。
招待状はこなかった。
ハインツ殿下から王族御用達の商会にしてもらうと約束をしていた、ルーファー商会のフェラートも卒業して早々に婿入りしてしまった。
ヴァルターは騎士になることなく、ヨシアス同様に家で謹慎しているようだが、家で何をしているかまでは知らない。
誰も彼も、乙女を救うことができないまま。
だからこそ、ヨシアスが救わなければならないのだ。
彼女を思い出すだけで、胸中を照らす小さな灯が、ヨシアスに諦めないでと囁く。
もう一年の我慢だ。
ライモンドが来年学園を卒業することは、成人年齢に達したということでもある。
早々に子爵位でも与えて公爵家から出せば、両親も嫡男のヨシアスと向き合う必要が出てくる。
そこで説得するのだ。
あの金無しが間違っても公爵夫人になれるなどと期待させないよう、早々に婚約解消しなければならないというのに。
無力な自身が歯痒い。
だが、諦めるつもりはなかった。
ヨシアスが選ぶのは、誰も手に入れられなかった乙女なのだから。




