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第五話~謎の影

 その気配に、リオンが気づいたのは、雨の降らない朝だった。


 空は晴れている。

 風も穏やか。

 いつも通りの一日になるはずだった。


 なのに、畑に立った瞬間、違和感があった。


 土は悪くない。

 作物も順調だ。

 それでも、感覚が――遠い。


 まるで、水面越しに触れているような、薄い隔たり。


「……?」


 畑の外れに視線を向けると、川沿いの道を、一人の旅人が歩いていた。

 フードを深くかぶり、足取りは軽い。荷も少ない。


 それだけなら、何の変哲もない。


 だが――


(近づいてないのに、分かる……)


 あの旅人の周囲だけ、世界の揺れが、収まっている。


 言葉にできない感覚。

 だが、石板を拾ったときと、同じ種類の理解だった。


 旅人が、ふと立ち止まる。

 こちらを見たわけでもないのに、確かに――視線が合った気がした。


 一瞬。


 胸の奥で、歯車が噛み合うような感触。


 そして、旅人は何事もなかったかのように歩き出し、村の方へは向かわず、そのまま道の先へ消えていった。


 残ったのは、静寂だけだ。


「……今の、なんだ」


 答えは、すぐには出なかった。

 だが、畑に触れた指先が、微かに震えていた。


 その夜、村の酒場で、噂話が交わされていた。


「北の街道でな、奇妙な話を聞いた」

「奇妙?」

「飢饉寸前だった村が、理由もなく持ち直したらしい」

「魔法師か?」

「違う。誰かが来て、何もしないまま、去っただけだと」


 話は、すぐに別の話題に流れた。

 誰も深く追わない。


 だが、リオンの胸だけが、静かに重くなる。


(……俺だけじゃ、ない)


 世界には、派手に救う者がいる。

 名を残す者がいる。


 そして――

 壊れないように、そっと支える者もいる。


 その役割は、表に出ない。

 互いに名乗らない。

 干渉しすぎれば、理が崩れる。


 だから、すれ違うだけでいい。


 畑に出ると、いつもの感覚が戻っていた。

 土は、土としてある。


 リオンは、鍬を握り直す。


「……世界、案外、ギリギリなんだな」


 独り言は、誰にも届かない。


 彼は知らない。

 今朝、川沿いを歩いていた旅人もまた、同じように思っていたことを。


 ――ああ、ここにもいる。

 ――しかも、ちゃんと根付いている。


 名も交わさず、言葉も残さず。

 ただ、互いの存在を確認しただけ。


 それで十分だった。


 世界は、今日も壊れずに回っている。


 ――目立たない者たちのおかげで。



 それは、夜明け前の出来事だった。


 夢を見ていたわけではない。

 だが、完全に目覚めていたとも言えない。


 リオンは、寝台の上で、胸の奥が――ひやりと冷えるのを感じた。


(……来た?)


 何が、とは分からない。

 ただ、畑に触れたときの感覚が、急に尖った。


 静かに起き上がり、外に出る。

 月は雲に隠れ、村は眠っている。


 畑に足を踏み入れた瞬間、はっきり分かった。


 ――ここじゃない。だが、近い。


 世界の揺れが、収束ではなく、引き伸ばされている。

 まるで、誰かが歯車に無理な力をかけているような感覚。


 リオンは、鍬を持たず、ただ立ち尽くした。

 自分が何かをすれば、逆に目立つ気がしたからだ。


 そのとき。


 遠く、村と川の間――

 視界の端に、黒い欠けが見えた。


 影ではない。

 闇でもない。


 そこだけ、存在が薄い。


(……あれは)


 名前は知らない。

 だが、本能的に理解してしまった。


 ――補正を嫌うもの。

 ――均されることを拒むもの。


 それは、こちらを見ていない。

 だが、探している。


 何を?

 誰を?


 答えは、分かりきっていた。


 リオンの背後で、土がわずかに鳴った。


 振り返ると、畑の隅、作物の影に、小さな歪みが生じている。

 枯れてはいない。

 だが、成長が、ほんの一拍だけ遅れている。


 ――世界が、引っ張られた。


(……触らないほうがいい)


 直感が告げる。

 ここで直すのは、危険だ。


 影は、補正そのものを追っている。

 なら、補正が強く働いた瞬間を――狙う。


 リオンは、静かに一歩、後ろへ下がった。

 畑から、距離を取る。


 すると、影は――

 何も起こさず、ゆっくりと、消えた。


 夜明けとともに、感覚は元に戻る。

 鳥が鳴き、村が目を覚ます。


 作物は、問題なく育っていた。

 昨日までと、ほとんど同じだ。


 だが、リオンだけは知っている。


 今夜、世界は、選別された。


 目立つ力は、狙われる。

 均す力は、見つけにくい。


 だからこそ――

 これまで、彼らは生き残ってきた。


「……なるほど」


 小さく、呟く。


「静かにやらないと、ダメな理由が、ちゃんとあるんだな」


 鍬を手に取り、いつも通り、土を返す。

 何もなかったふりをして。


 村人たちは、気づかない。

 夜回りも、異変を報告しない。


 だが、世界のどこかで、同じ冷えを感じた者が、もう一人いた。


 ――影が、動き始めた。

 ――そして、補正役は、数えられている。


 静かなスローライフの裏側で、誰にも知られない戦いが、まだ始まってすらいない段階で、進行している。


 リオンは、それを望まない。


 だから今日も、畑を耕し、飯を作り、壊れない日常を、少しずつ積み重ねる。


 ――狙われにくい形で。


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