第四話~その力は祝福ではない
村長に呼ばれたのは、翌日の朝だった。
集会所ではなく、村長の家の裏手。
干し草の匂いが残る、小さな納屋だった。人目を避けた場所だ。
「座りなさい」
木箱を示され、リオンは腰を下ろす。
村長はしばらく黙ったまま、茶を注いだ。
沈黙が長い。
だが、急かす気にはなれなかった。
「……君は、自分が何者だと思っている?」
不意に、そんな問いが来る。
「畑を耕して暮らしてる、ただの村人です」
即答すると、村長はわずかに笑った。
「そう思っているなら、それでいい」
だが、次の言葉は、笑ってはいなかった。
「ただし――周囲は、そう見ていない」
村長は、指を組む。
「君が来てから、村の中で起きた変化は、どれも小さい。作物の出来、道具の持ち、飯の満足感……どれも気のせいと言える程度だ」
そこで、一拍置く。
「だが、全部が同時に起きている」
リオンは、息を呑んだ。
「我々は、原因を探した。魔法師でも、占い師でもない、普通の村人なりに、だ」
村長は視線を外し、低く言う。
「結論は出ていない。だが――君の近くにあるものだけが、安定して良くなる」
それは、評価ではなかった。
観察結果の報告だった。
「だから、決めた」
村長は、はっきりと告げる。
「君を、守る。同時に、刺激しない。理由は、二つある」
一つ、と指を立てる。
「君自身が、その力を使う気がないこと」
二つ目。
「君が、それを知らないままのほうが、この村も、君も、平穏でいられる可能性が高いこと」
納屋の外で、風が鳴る。
「……俺は」
リオンは、言葉を選ぶ。
「危険、なんですか?」
村長は、首を振った。
「いいや。危険なのは、君ではない」
視線が、鋭くなる。
「危険なのは――気づいた外の人間だ」
それで、すべてがつながった。
塩を拾わせなかった理由。
夜回りの増えた理由。
旅人への牽制。
「全部、君の日常を壊さないための、我々なりの不器用な判断だ」
村長は、深く頭を下げた。
「説明が遅れたことは、詫びる。だが、すべては話せない」
リオンは、しばらく黙っていた。
怒りも、不安も、確かにあった。
それでも。
「……一つだけ、教えてください」
顔を上げる。
「俺は、この村にいていいですか」
村長は、即答した。
「いてほしい」
その言葉には、打算も、恐れも、混じっていた。
だが、同時に――本音だった。
リオンは、小さく息を吐く。
「なら、今まで通りでいいです」
畑を耕し、飯を作り、静かに暮らす。
説明されないことがあるなら、受け入れる。
少なくとも、この村は、敵じゃない。
村長は、安心したように肩を落とした。
「……助かる」
納屋を出ると、朝の光が眩しかった。
村は、いつも通り動いている。
だが、リオンはもう知ってしまった。
自分の日常は、誰かの判断の上に、辛うじて成り立っているという事実を。
それでも、鍬を取る。
――静かに生きると決めたのは、
他ならぬ、自分自身なのだから。
村長との話から、数日が過ぎた。
何かが変わったようで、何も変わっていない。
リオンは相変わらず畑に出て、芽の様子を見て、土に触れ、黙々と作業を続けていた。
その日、畑の端に、小さな石板が半分埋まっているのを見つけた。
以前からあったはずだが、気にも留めていなかったものだ。
「こんなの……あったか?」
掘り起こすと、掌に収まるほどの古い石。
表面には、文字とも模様ともつかない刻みがある。
読めない。
だが、意味だけが、なぜか分かる。
――《理は、偏らぬ》
――《与えすぎず、奪いすぎず》
声は聞こえない。
頭に直接浮かんだわけでもない。
ただ、そういうものだと理解してしまった。
その瞬間、いつもの感覚が、ほんのわずかに変質した。
土に触れる。
状態が分かる。
だが、そこに――限界線が見えた。
これ以上手を入れれば、逆に悪くなる。
ここで止めれば、最も長く安定する。
(……最善、じゃない)
最適だ。
完璧ではない。
最大でもない。
ただ、「長く続く地点」。
ふと、村長の言葉が蘇る。
君の近くにあるものだけが、安定して良くなる。
良くなる、のではない。
崩れなくなるのだ。
その夜、夢を見た。
誰かが世界を作る夢ではない。
神が祝福を与える夢でもない。
ただ、巨大な歯車が、静かに噛み合って回り続ける夢。
歯車の一部が摩耗しそうになると、目立たない小さな楔が差し込まれる。
力強く押し戻すわけではない。
壊れない位置に、戻すだけ。
目が覚めたとき、胸に残っていたのは、妙な納得だった。
「……俺の能力って」
独り言が、漏れる。
「祝福じゃなくて……補正なんだな」
神の愛でも、選ばれし者でもない。
世界が、自壊しないために設けた、微調整。
だから、派手じゃない。
だから、目立たない。
だからこそ――積み重なる。
畑に出ると、朝露が光っていた。
作物は、今日も順調だ。
奇跡は起きていない。
だが、破綻もしない。
そして、それが――
この世界にとって、どれほど貴重かを、
リオンだけは、まだ知らない。
彼は今日も、
理に触れながら、
何も知らない顔で、鍬を振るう。
――世界が、少しだけ長く回るように。




