表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

3/9

第三話~みんなとは何かが違うようだ

 村へ降りるのは、三日に一度と決めている。

 塩や油、布切れといった必需品を手に入れるためだ。交流を避けているわけではないが、用がなければ顔を出さない。それが、リオンなりの距離感だった。


 その日も、いつも通りだった――本人にとっては。


 村の入り口で、老女が立ち止まり、じっとこちらを見る。

 すれ違いざま、小さく会釈をすると、なぜか深く頭を下げ返された。


「……?」


 気のせいだろう、と歩を進める。


 雑貨屋に入ると、店主が一瞬、奥から顔を出し、こちらを確認してから慌てて出てきた。


「リオンくん、今日は……ええと、これ、少しおまけしておくよ」


「はあ。ありがとうございます?」


 理由を聞くほどのことでもない。礼を言って受け取る。

 油の量が、いつもよりわずかに多い気がしたが、誤差だろう。


 次に立ち寄ったのは、穀物を扱う倉。

 袋を抱えて出てくると、若い村人がひそひそ声で話しているのが聞こえた。


「……畑、見たか?」

「見た。あれ、放置地だったよな?」

「だよな……?」


 聞かなかったことにして、通り過ぎる。


 だが、変化は確実に積み重なっていた。


 村の外れで畑仕事をしていた男が、作業を止め、こちらに目礼する。

 子どもたちが走ってきて、なぜか距離を取ってから挨拶する。

 酒場の前では、会話が一瞬、途切れた。


 悪意はない。

 だが、評価だけが、勝手に先行している。


 本人が気づかない場所で、村の認識は、少しずつ書き換えられていた。


 ――あの小屋の若者、黙々とやってるが、畑の出来が安定しすぎている。

 ――道具の扱いが妙に丁寧で、借りた鍬が長持ちする。

 ――飯を分けてもらったら、腹持ちが異様にいい。


 誰かが声高に言い出すことはない。

 だが、「あの人なら大丈夫」という空気だけが、静かに共有されていく。


 夕方、用事を終えて村を出ると、背後から声がかかった。


「リオン」


 振り返ると、村長だった。

 いつもなら用件を簡潔に済ませる人物が、今日は少し言い淀んでいる。


「近いうちに……畑のことで、相談をするかもしれん。そのときは、時間をもらえるか」


「ええ。構いませんが……俺で役に立つなら」


 そう答えると、村長はなぜか、ほっとした顔をした。


 ――ああ、そういうことか。


 自分では、ようやく少し分かってきた。

 リオンの能力は、「すごい」と思われるためのものじゃない。


 信頼が、自然に集まってしまう。


 派手な称賛も、嫉妬もない。

 ただ、困ったときに思い出される存在になる。


 それが、この世界での――

 リオンの居場所らしい。



 その変化は、あまりにも静かだった。


 まず、村の見回りの順路が、微妙に変わった。

 夜回りのランタンが、以前よりも小屋の近くを通るようになったが、リオンは気づかない。畑仕事で疲れて、早く眠るだけだ。


 次に、外から来る人間への対応が変わった。


 行商人が村に入ると、必ず村長か副村長が先に声をかける。

 旅人が一夜の宿を求めたときも、酒場での席は、自然と入り口側になる。


「村の外れに小屋がある若者がいるだろう?」


 そう話題を振られても、名前は出ない。

 ただ、「あそこには、用もないのに近づくな」という空気だけが、やんわりと共有される。


 理由をはっきり説明できる者はいない。

 だが、説明できないからこそ、大人たちは慎重だった。


 ――力がある。

 ――だが、使う気がない。

 ――なら、刺激しないほうがいい。


 そんな判断だ。


 一方で、リオンの日常は変わらない。


 畑を耕し、作物を育て、道具を直し、静かに食事をする。

 村で買い物をすれば、少し丁寧に接されるが、深く考えない。


 ある日、畑に見慣れない足跡があった。

 獣ではない。人のものだ。


「……夜に通ったのかな」


 それだけ思って、鍬を振るう。


 その足跡の主は、実際に夜の見回りだった。

 若い見張りが、念のため様子を確認しただけで、畑には一切触れていない。


「何もするな。見るだけでいい」


 そう、言い含められていた。


 数日後、村の集会所で、こんな会話が交わされる。


「もし、あの若者が外から狙われたら?」

「守る。理由はいらん」

「だが、本人は……」

「知らなくていい。平穏に暮らしてもらうのが、一番だ」


 決定は、満場一致だった。


 ――リオンは、村の保護対象とする。

 ――同時に、無用な刺激を避ける要注意人物とする。


 矛盾しているようで、矛盾していない判断。


 守るが、踏み込まない。

 頼るが、背負わせない。


 そのころ、リオンはというと。


 夕暮れの畑で、芽の出揃い具合を眺めながら、ただ思っていた。


「……今年は、うまくいきそうだな」


 誰かに守られているとも、

 誰かに警戒されているとも、

 夢にも思わずに。


 彼は今日も、

 静かに、丁寧に、生きている。


 ――それが、この村にとって、

 何よりも大切な異変だと知らないまま。



 その違和感は、失敗から始まった。


 リオンはその日、村で買った塩の袋を落とした。

 紐が切れ、白い粒が地面に散らばる。大した量ではないが、貧しい身には惜しい。


「あ……」


 しゃがみ込んで拾おうとした、そのときだった。


「触らなくていい!」


 声が飛んできた。

 驚いて顔を上げると、雑貨屋の店主と、村の若者が二人、やけに慌てた様子で駆け寄ってくる。


「え、いや、自分で拾えますけど……」


「いいから! 本当にいいから、そのままで!」


 店主は、地面に散った塩を見てから、周囲を一瞬だけ確認し、声を落とした。


「……これは、こちらの不手際だ。新しいのを渡す」


「え? でも――」


「受け取ってくれ」


 有無を言わせぬ調子だった。

 結局、リオンは新しい塩の袋を手渡され、落とした分については、誰も触れさせてもらえなかった。


 家に戻る道すがら、胸の奥がざわつく。


(今の……おかしくなかったか?)


 これまでの親切とは、質が違う。

 気遣いというより、制止に近かった。


 さらに決定的だったのは、翌日のことだ。


 畑で作業をしていると、村の見回り役がやってきた。

 普段は軽く挨拶する程度の相手が、今日は距離を保ったまま、言った。


「……最近、困っていることはないか」


「いえ、特には」


「そうか。……本当に、何もないな?」


 念を押すような言い方。

 まるで、答えが決まっている質問のようだった。


 リオンは、鍬を止めて相手を見る。


「……何か、俺に隠してます?」


 一瞬。

 見回り役の呼吸が、わずかに乱れた。


「……いや」


 だが、その否定は、遅かった。


 沈黙が落ちる。

 風が、畑を渡る。


「俺、最近――」


 言葉を選びながら、続ける。


「村の人たちが、俺に何か説明しないまま、判断してる気がするんです。悪意じゃないのは分かります。でも……理由が分からない」


 見回り役は、すぐには答えなかった。

 視線を畑の向こうへ逃がし、しばらく考えてから、ようやく口を開く。


「……それを、知る必要はない」


 優しい声だった。

 だからこそ、重かった。


「知ったら、面倒が増える」

「知らなければ、今のままでいられる」


 リオンは、そこで確信した。


 ――ああ、やっぱりだ。

 ――俺だけ、蚊帳の外だ。


 怒りはなかった。

 だが、納得もできなかった。


「……俺、何か、やっちゃいました?」


 冗談めかして言ったつもりだった。

 だが、相手は笑わなかった。


「何もしていない」

「だからこそだ」


 それ以上は、言わなかった。


 見回り役は軽く頭を下げ、踵を返す。

 その背中を見送りながら、リオンは畑に視線を戻した。


 作物は、順調に育っている。

 いつも通りだ。


 なのに。


(……俺が思ってるいつも通りと、みんなが見てるいつも通りは、違うのか)


 初めて、はっきりとした境界線を感じた。

 自分の知らない場所で、評価と判断が進んでいるという事実。


 だが同時に、分かってしまったこともある。


 彼らは、説明しないことで、リオンの日常を守ろうとしている。


 それが正しいのかどうかは、分からない。

 ただ一つ確かなのは――


 この村は、もう「何も知らない若者」を、そのまま放っておくつもりはない、ということだった。


 夕暮れの畑で、リオンは静かに息を吐く。


「……まあ」


 小さく、笑った。


「スローライフって、思ったより面倒だな」


 それでも、鍬は手放さなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ